ヒースフォート城のモルガナイト(18)
いつも通りの1日のはずだった。ベリスの希望通りに、「地味なエリカ」ではなく「可愛いデイジー」を植えるため、庭を改築しているだけのはずだっのに……その日の庭の景色は、何かが違っていた。
僅かな違和感の原因を探して、辺りを見渡せば。最後の抵抗と言わんばかりに残っていたエリカの足元に、見たこともない程にみすぼらしいボロ布を纏った少女が蹲っている。しかし、ボロ布を纏っているのに……こちらを怯えるように見つめる彼女の美しい瞳と目が合った瞬間、自分の体温が僅かに上がるのを確かに感じた。どこか悲しげで、どこか寂しげなエリカと同じ色の瞳。そして……か細い首を捥いでしまうのではないかと思われるほどに、重厚な首輪が付いているのに気がついて、今度は苦々しい気分になる。多分、彼女は……。
「あぁ、こんな所にいたの? 全く、ちょっと散歩させてやろうと思ったのに、恩知らずにも逃げ出すのだもの。お前がいなくなったら、お父様が大損をすることになるじゃない!」
「ベリス……? もしかして、あの子と知り合いなのか?」
「あら、ジェイ。ご機嫌よう。……あぁ、あの子の事は気にしなくていいわよ。彼女は商材なの。お父様がお客様の為に苦労して仕入れたのだから、逃すわけにもいかないわ。何せ、ウチの商会の目玉商品ですもの。今度の競売に出すことも、決まったみたいだし」
「競売に……出す⁇ ちょっと待って、ベリス。あの子……どう見ても、生きていると思うのだけど……。それを売るなんて、まるで人身売買じゃないか」
「あぁ、そんな事? 大丈夫よ。生きていても、人間じゃないから。あなたが心配することなんて、何もないわ」
何故だろう、彼女の冷たい言葉を聞いた時……あれ程までに憧れていたベリスがとても醜く思えて、仕方なかった。そして、明らかに嫌がる彼女の鎖を引き上げながら、耳も塞ぎたくなるような言葉を浴びせる彼女の背中が、既に人の物にも思えなくて、寒気がする。だけど……そんなベリスへの失望を吸い上げるかのように、名も無き少女を渇望している自分をも確かに感じて、嫌気がした。……彼女を求めている時点で、自分もどこまでもベリスと同類なのだと、つくづく思い知る。それでも……もしも、彼女が自分の元に来てくれるのなら……。
***
「この部分がどうやら、ジェイとハイデの出会いの日の出来事だったようですね。……きっと、その時は既にワガママ放題だったベリスに、多少愛想を尽かしていた部分もあったのでしょう。埋まらない何かを埋めるが如く……ハイデが目の前に現れたのですから、ジェイが彼女を忘れられなかったのも、無理はないのかもしれません」
手元に残してあるというキャラウェイの手記の非公開部分をなぞりながら、寂しそうに呟くニック。彼によると、キャラウェイはジェイのお抱え画家だった以前に、気の置けない友人でもあったらしい。キャラウェイの手記には、ジェイが彼に語ったと思われる内容がビッシリと書き記されていた。
「それからというもの、ジェイは名前もなかったエリカの少女を探し求めるようになります。……そして、あまりの希少性から……ジェイが彼女を探し当てるのにそう、時間はかかりませんでした」
「それで……ジェイは彼女を見事に所有することになった、と」
「えぇ、結果的にはそうなりますね。……庭の痕跡が中途半端に残っているのは、実はそういった理由もあったのです。彼女を得るために私財の殆どを投げ打ったジェイはその後、細々と暮らす事を余儀なくされます。当然ながら、夜会を開くこともなくなり、庭を改修する余裕すらなくなり……残り僅かな資金で彼女を匿うための離れを作った後は、画家以外が彼の城を訪れることはなかったそうです。きっと、今までの反動もあるのでしょうね。……ジェイは画家のみを友人とし、胸の内を色々と明かしてくれていたようです」
どこか悲しそうな眼差しでニックが指差す先には、ジェイが彼に語ったであろう、彼らのその後が綴られている。彼女をようやく見つけ出したジェイは、生活費を得るために広い城を少しずつ切り売りしながらも……それでも、確かにしばらくは幸せに暮らしていたらしい。しかし、あの絵にも描かれていた通り、彼女の目は既にひび割れていた。……瞳がひび割れているカケラの寿命はそう、長くはない。きっと、彼らの蜜月も長くは続かなかったのだろう。
「ハイデとの生活は、どのくらい続いたのですか?」
「詳しい期間は分かりませんが……あまり長くはなかったようですね。というのも……ジェイはハイデを失うと、後を追うようにすぐに亡くなったとあります。ジェイの享年は38歳だった事を考えても……2人の生活はあまりに短かったのだと、思わざるを得ません。しかし……例え短い間だったとしても、ジェイは間違いなく幸せだったのでしょう。そして……隠れん坊とエリカの二重の意味で“ハイデ”と名付けられた彼女もまた、その間は幸せだったのかもしれません。この手記には彼女が初めて笑顔を見せた日には、画家が訪ねた際に飛びつくように……ジェイが嬉しそうに報告してくれたとあります。そして……きっと、彼女の笑顔の記憶を残すために……彼はあの絵をキャラウェイに依頼したのでしょう」
「……」
「さて、ここまで話したところで……肝心の“高嶺のモルガナイト”の行方ですが」
「きっと……最初から、そんな宝石は存在しないのでは? 少なくとも……既にこの城にも、この世界のどこにも……もういないのでしょう?」
「その通りです。“高嶺のモルガナイト”は宝石の名前ではありません。それは、ジェイが最も愛した女性の通称名……“隠れん坊のハイデ”はモルガナイトの宝石人形だったのです」
ニックの答えに、ソーニャにしてやられたと思う反面……確かに存在した、幸せの記憶の一端に触れられたという充足感に満たされる。きっとラウールが彼の答えにガッカリするどころか、納得した事を読み取ったのだろう。最後にニックが嬉しそうに、別れの挨拶を切り出した。
「……最後の最後に、君のような若者にこの話を伝えられて良かったと思いますよ。……実を言えば、今回の“ヴァカンス”のシーズンで私は退職することになっていまして。秋頃には、新しい学芸員が来ることになっています。後任がどんな方かは存じませんが、ホテルのオーナーの息がかかっていると思うと……あまり、ヒースフォートの造詣に期待はできないでしょう。だから、この手記は君に託すことにしますよ」
「いや、しかし……こんな貴重品を受け取る訳には……」
「いいのです。私が持っていてもこの先、この手記をきちんと引き継いでくれる相手が現れるとも限りません。だから君にこそ是非、持っていて欲しい。もしかしたら……君との巡り合いは、この城のハイデが結んでくれたご縁なのかもしれませんね」




