全ての宝石達に愛を込めて(7)
雲の切れ目から、弱々しい月光がか細く夜空の舞台を照らしている。だが、嫋やかな寂光では濁ったダイヤモンドを輝かせるには、何もかもが足りなさすぎる。そうして、不気味な虹色の瞳を眇めると……足りない輝きは補うに限ると、暴君が悍ましく牙を剥いた。
《……まだ、足りぬ……! 朕にはまだまだ、完成の余地がある! だから……》
【ふん! ドウゾクグいのバケモノがエラそうに! キサマのカンセイなど、ダレもノゾんでおらぬわ!】
アルティメットと同じオリジンであるイノセントが鎌首を大きく逸らして、頭を振りざま咆哮から青い灼熱を吹き出す。しかし、先程までは僅かに焦がされていたはずの鱗は、仄暗いまま。燻んだ色を、変化させる事もない。
【クッ……! ルー! おマエ、オナじダイヤモンドだろう! ジャクテンくらい、シらないのか⁉︎】
【無茶言ワナイデヨ、イノセント! アレハ僕ガ知ッテル来訪者ノ範疇ヲ、トックニ超エテル!】
【もぅ! ルーのスカピントンッ!】
【……コノ場面デ、素寒貧ハ関係ナイデショウニ……】
それでなくても、今はつまらない事を言っている場合でもない。イノセントの駄々っ子は半ば無視して、ラウールとルサンシーとでアルティメットに攻撃を仕掛けるが……小柄になった分、素早さも格段に上がっているらしい暴君の鱗を削ることも、掠ることも、能わず。逆に長く伸びた尻尾で脇腹を殴打されては、まずはラウールの方が地上へと叩き落とされる。そして……。
【ラウール!】
【グッ……! 俺ハ、大丈夫デス……! 今ハソレヨリモ、ルサンシー様ヲ!】
正直なところ、「大丈夫」なのは強がりである。アルティメットの一撃は確実にラウールの鱗を砕き、腹を抉っていた。だが、ラウールが苦しまぐれに首を上げた先では、ルサンシーの鼻先にしがみつき、口をギロリと開けたアルティメットが彼を捕食せんと、無様に涎を垂らしているではないか。
ここでルサンシーを喰われたら、痛い等と弱音を吐く間も無く、丸ごと焼き尽くされてしまう。そのデッドラインを前にしたら、痛いなどとピーピー泣いている場合ではない。
《お前は、朕の口に合いそうだ。どれ……》
捕食者の口から漏れるのは鼻ももげそうな、酷い腐敗臭。果たして、アルティメットの腹の中では何がそんなに腐っているのだろうかと、ルサンシーは思わず顔を顰めてしまうが。食べられるのも、臭いのも、イヤイヤと首を乱雑に振ろうとも……アルティメットの鋭い爪が食い込んでいて、簡単に振り解けないでいる。
【イヤ、僕ハトッテモ不味イト思ウヨ、アルティメット】
《ハッ! そんなの、食ってみなければ分からんだろう……ッ⁉︎》
喰われる……! 臭気と振動とで、クラクラしている頭でルサンシーが悟ったのは、自分の死以上に、世界の滅亡。しかしながら、そうアッサリ同胞を喰われてたまるかと、今度は一際太い緑の尻尾がアルティメットの小さな体を吹き飛ばす。
【オヤオヤ……王ヲ名乗ルノナラ、食事ハ上品カツエレガントニナサイ……!】
《この……軟弱なエメラルド風情が! であれば、望み通り……貴様から始末してくれる!》
折角の食事を邪魔されて、アルティメットが気だるく靠れるように甘い臭気を吐く。だが、一方のフランシスは慌てることもなく、冷ややかにアルティメットを一瞥すると……大きな翼をはためかせ、周囲にエメラルドグリーンの寂光を散らし始めた。
《なる、ほど……? 貴様、豊穣の彗星の能力を受け継いでおるのだな……?》
【伊達ニ私モ、原初ノカケラ等ト言ワレテイル訳デハナイノデナ。……大地ヲ豊カニ蘇ラセルノガ、我ラガベリルノ身上。矮小ナ太陽如キニ、我ガ恵ミガ焼キ尽クセルモノカ!】
イノセント以外で、この場には火を吹く竜はいない。だが、オリジンでなくとも完成品でもある以上はフランシスもルサンシーも来訪者由来の能力を発揮することができる。……ルサンシーの能力は少々危なっかしいので、本人も自重しているに過ぎないが。
【おぉ! フランシス、スゴいぞ!】
【オ褒メ頂キ光栄デスヨ、鋼玉ノ姫ヨ。……サ、再生ハ私ニ任セテ、貴方達ハ思ウ存分、力ヲ振ルウガ宜シイ!】
【イわれずとも! ラウールはダイジョウブか?】
【エェ、何トカ。……ナルホド、エメラルドノ力ハ守備向キダッタノデスネ】
ラウールがあたりを見渡せば、灰まみれだったはずの石畳には鮮やかな緑が繁茂し始めている。しかも、先程まで苛烈な痛みを残していた脇腹の悲鳴も止まっていた。そんな超常現象に驚いて、ラウールが自身の脇腹を今一度見やると……仄かに輝く緑色の苔が張り付き、彼の傷を塞ぎ始めているではないか。
【(……豊穣ノ意義ニハ、大地ノ再生ダケデハナク、同類ノ再生モ含マレルノデスネ……)】
だが非常に残念なことに、豊穣の彗星の慈悲深さは対象が同類であれば、平等に効果を発揮する。つまりは、フランシスの力が発揮されている間はアルティメットの傷も癒してしまうという事であり、膠着状態が長引くことも意味していた。
確かに、戦いを続けるためのバックアップはあるのかも知れない。だが、こちら側にアルティメットへの決定打がない状況も変わっていない。だからこそラウールは戦況の変化と、彼らの登場を待ち侘びている。
【(モウソロソロ、デショウカ……? クリムゾンハ無事ニ、先生達ト合流デキタカナ。ソレト……)】
ヴァンとサムも戻ってきてくれる頃合いだろうか?
そう、あくまでラウール達がこうしてアルティメットの相手をしているのは、タダの大掛かりな時間稼ぎである。グリードはクリムゾンにはダイヤモンドの核石の避難をお願いすると同時に、ウィルソンに連絡を取るように指示していた。それは何も、オルロフ・ブラックダイヤモンドを依頼主に返却するためではない。彼らの持ちえる医療技術が、ヴァンを本当の意味で解放してくれるだろうと、予測したからだ。
ヴァンが変貌を遂げたミストルティンは、アルティメットの急所を締め上げるのに効力を発揮していた。だが、本領をまだまだ発揮しきれていない以上、やはり決定打にはなり得ていない。だからこそ……。
【(モウ少シ……モウ少シノ辛抱デス。5人目ノ登場ヲ拝ムマデハ……何ガ何デモ、持チ堪エナケレバ……!)】
自分を柔らかく包んでいた緑の輝きは、収束しつつある。そして、傷も完全に塞がっているのを見届けては、もう一踏ん張りと体を起こす。翼を広げ、尾を荒々しく叩きつけ。乱闘への再参加の気合も十分と、紫の魔竜は力強く夜空へ舞い上がっていった。




