全ての宝石達に愛を込めて(1)
薄笑いの三日月に、不穏な影が映る。穏やかな月光を遮るシルエットは、明らかなる異形。真っ赤な真っ赤な王冠をちょこんと頭に乗せたそれは、紛れもなく伝承の中に生息しているはずのドラゴンそのもの。だが、夜空に舞う暴君は、非常に残念なことにどこまでもリアルでしかない。
【さぁ、ここに宣言しようーー! この世界から、全ての醜い人間を駆逐してやるとーー!】
しかも、よく通る声でそんな咆哮を上げられれば。何だ何だと人々が騒ぎ、慄き、興奮するのも無理はない。そんな市井の観客を見下ろして、神様気取りのドラゴンはフゥッと息を吐く。次の瞬間……彼らを指差し、見世物でも見つめるかのような好奇心の塊達が、バタバタと息絶えていくではないか。
「な、何だ……?」
「ゔっ……息が……?」
彼の吐息は死の息吹。確固たる毒ではないが、確実な害になる。
アルティメットに成り下がったアレンは、既にその力を十二分に理解し、発揮するまでに馴染み切っていた。そう……彼は、思うがままに気に入らない人間達の命を、一方的に奪うまでの権能を獲得してしまったのだ。
【さ……逃げるがいいよ、どこまでも。僕から逃げられれば、の話だけど】
「あ、アレン様……」
【おや、少しは休めたかい、ニュアジュ。……ちょっと待っててね。もう少し、集めたらお前にも分けてやるから】
「なんと……ありがたきことでしょう……!」
何を集めるのか、に関しての明言はない。だが、それが何なのかは、ニュアジュにも薄らと判断できる。何せ、今のアレンは相手の命を奪うと同時に、好き勝手に再分配することも許される身だ。第2の太陽となることを諦めた究極の彗星の真価は、「最終審判を下すこと」。失敗作を強制的にリセットし、破壊することを前提にデザインされている。しかも、元の対象は同格の来訪者である。それに比較して、遥かに瑣末な人間の命を奪う事など……彼にしてみれば、これ以上ない程に容易い事だった。
【……⁉︎】
そんな自身の異能と権威に、クラクラとアレンが酔いしれていると。彼の不意を打つように、脇腹に強烈な衝撃が走る。そうして絶対暴君がギロリと攻撃の主を見やれば……そこには白銀の竜神と、紫色の魔竜とが鋭い双眸で唸っているのが目に入った。
【……ふふ、そう。君達は僕の邪魔をしようって言うんだね、イノセントにラウール君】
【ソウイウ事デス。……コレ以上、アナタノ横暴ヲ許ス訳ニハ行キマセンカラ】
【ふん……ホントウにキにイらんヤツだ。ラウール、フタリでこいつをイッキにタタきオとすぞ!】
【無論、言ワレズトモ!】
【生意気なッ!】
自分よりも遥かに小さいクセに。自分よりも遥かに弱いクセに。それなのに……彼らは王様の覇道を塞ぎ、邪魔しようとしているらしい。
それでなくても、今の今までアレンは自らの王道を、仕方なしに諦めてきたのだ。それを歩み直すチャンスを得たと言うのに、同類に踏み荒らされるだなんて……暴君になってしまった彼に、我慢できるはずもない。
【ラウール!】
【分カッテイマス!】
しかし、相手はそれなりにアルティメットという存在に対して、対抗手段を持ち得ている様子。心得ましたとばかりに、白銀の竜神の差金に素直に従って。アレンの吐息をかき消すように、紫の魔竜……ラウールの吐息が重なる。
火を吹くわけでもないのに、明らかな攻撃ですらないのに。彼が深く吐いた柔らかな清風は、あっという間に周囲の空気を包み込んでは、絶命の吐息を中和せしめた。
【コンドはワタシのバンだな……クらえッ!】
【ぐっ……! この……反逆者共がッ……!】
穏やかな涼風の後に押し寄せてくるのは、猛り狂う灼熱の蒼炎。白銀の竜神……イノセントの咆哮は情け容赦など、寸分も見せる事なく暴君の鱗を焦がす。しかも、ようよう炎をやり過ごした彼の喉元に、今度は鋭い牙が食い込んでいるではないか。
【は、離せっ! この……!】
【フガッ、フッ……グルルルル(離セト言ワレテ、離ス馬鹿ハイマセンヨ)!】
三日月に浮かぶは、世にも奇妙な3頭のドラゴンによる仲違いのシルエット。そんな神々の戦いを、地を這う人間は恐ろしげに見上げるしかない。それでも、それはどこまでも幻想的な光景でしかなく……誰も彼もに避難さえも忘れさせて、ただただ月下を仰がせるのみである。




