牙研ぐダイヤモンド(23)
戦場に突如木霊する、悲痛な慟哭。派手な衝撃音の後に響くのは大の男が咽び泣く声と、惨状の余韻のみ。
大声に誘われたわけではないが、ハタと一同が気付いて見やれば。目の前で獰猛な表情を浮かべている魔竜に気を取られている間に……どうやら、大切な家族が天に召されたのを悟らされる。そうして、いの一番に堪えきれなかったらしいダモクレアが勝手にグリードの手を離れ、元の姿に戻った。
「ハール!」
「すまない、グリード! 私は……!」
「そう、ですね……分かっています。俺達もすぐにでも、そちらに向かいたいところですが……今はこれを鎮めなければなりません。……せめてあなただけでも、きちんとお別れをしてきてあげてください」
「……あぁ、感謝する。それで……」
その先は言わないでおこう。
見れば、ルナールは何も言わずとも涙を流しているし、グリードの左手からも啜り泣きの声が聞こえてくる。涙を流せない残り3名は表面こそ変わらないように見えて……あのグリードでさえも、悔しそうに唇をかみしめては、口元だけでも悲嘆の表情をありありと示していた。
「……全く、約束した結果がこれか。本当に、馬鹿なのだから……!」
ダイヤモンドの魔竜をグリード達に任せ、一時的に戦線を離脱したハール。そうして、相棒の元に駆け出しては、既に事切れているドーベルマンを悲しそうに詰る。
「お前は……イノセントか?」
「ふん! 今はセイントハールと呼ばれているぞ! ……まぁ、いい。それで? お前はこの先……どんな風に生きていくつもりなんだ? ……これ以上の馬鹿な生き方は許さんぞ……?」
ハールの言う「馬鹿な生き方」の意味を、流石にグスタフも理解し始めていた。父親が最後の最後まで紡げなかった隠れたメッセージを受け取った後となっては……もう、復讐なんて馬鹿げた真似をする気にもなれない。
そうだ、本当はどこかで気付いていた。表面だけを取り繕って、煌びやかな世界にポツンと身を置いても、いつもいつも虚しいだけ。思い返してみても、自分を本当に愛してくれる相手なんぞ……父親・ジェームズと叔父・トーマスしかいなかった。花嫁にと望んだルヴィアもキャロルも、選ばれて仕方なく同じ時間を過ごしていただけであって、本心からグスタフの側にいてくれたわけではない。そんなこと、よく知っている。だって、ルヴィアもキャロルも……自分の前で満面の笑みを見せたことなど、一度もなかったのだから。
でも、グスタフは彼女達が自分を愛してくれない理由を知らなかったし、気付こうともしていない。ただ、自分の都合を押し付けているだけだと言うのに、自分の側にいられることを誇らない女性などいないと決めつけては、2人とも恋敵達に奪われたのだと被害者面していただけである。
……だって、そうだろう? 自分が選んだ女性が揃いも揃って、訳アリな方が悪いじゃないか。理解しようとしなかったなんて言われても、悪かったのは自分ではないし、被害者でいた方が……色々と楽であると同時に、自尊心を傷つけなくて済む。本当は彼女達が自分を愛していなかったなんて認めたら、純白の矜持はズタズタに切り裂かれて、真っ赤になってしまうじゃないか。だけど……。
「そう、ですね。……私は馬鹿だっただけなのです。そして、ようやく少しだけ……父上が言いたかったことを理解できそうな気がします。……私は生まれた時から与えられすぎた存在でしたが、それはさも当然だと勘違いしていました。そして、与えられ過ぎた分をただ取り戻されただけなのに……奪われたと思い込んでは、思い通りにならないモノを全て憎むようになっていた。……本当に情けない。ここでようやく、クリムゾンが抵抗した理由を思い知るなんて」
「ふん……随分と殊勝な事を言うようになったではないか。……そういう事なら、仕方ないな。ジェームズの願いくらいは聞き届けてやらねばならんか」
「父上の……願い?」
「そうだ。お前を人間に……つまり、人の心を取り戻させることができたのなら、ジェームズの命を取り上げるだけで済ませてやろうと約束していてな。……ジェームズの望みは自分の命と引き換えにしてでも、お前を人として生かす事だった。少々、スッキリしない部分もあるが……今の答えであれば、ギリギリ及第点をくれてやろう。それと……ジェームズの思い出は私の方で引き取るぞ。少し、離れていろ」
「……!」
しっかりとグスタフを下げさせ、ハールが青い炎で穏やかな表情のドーベルマンを荼毘に伏す。本当は土葬が主流なのだけど、ジェームズもカケラの一員である以上、そのまま放置するのは危険すぎる。
「……何より、この方が思い出が残る。……ボンド……いや、ジェームズ。よく、頑張ったな。お前の核石は私が預からせてもらおう。……そうだな。ラウールにお願いして、ブローチに仕立てるのもいいかもな」
そんな事を悲しげに言いながら、ハールも穏やか微笑む。だが、しんみりとした別れの大切な時間さえも……突然の襲撃に断ち切られた。
「……! グスタフ、お前……!」
背中に振り下ろされた拳を、既のところで避けるハール。そうして先程の懺悔は嘘だったのかと、グスタフを糾弾するが……。
「ここまでされても尚、ジェームズの思いを無駄にするつもりなのかッ⁉︎ こんの……薄情者! 大馬鹿者! そんでもって、スカピントンッ‼︎」
「い、いや……今のは、私で……はっ⁉︎」
「……⁉︎」
しかして、ハールの叱咤をかき消したのは、グスタフの情けない弁明ではなく……聞き慣れたくもない、醜い老女の声だった。
【ふふふ……これで、このカラダはワタシのものですわ。そこのケモノにはカンシャしなければなりませんか?】
「えぇと……貴様は確か、能無し貴族の……なんだったけな? とにかく、お前はお呼びではない。引っ込んでおれ!」
【まぁ、こニクたらしい。テハジめに……あなたからフクシュウするのも、いいかもシれませんね?】
「エ、エリー……様? 何を……」
【さっきもイったでしょう? ワタシはリヨウカチのないアイテはキラいですの。ですから……そろそろ、ホンカクテキにシんでくださいませんこと?】
死んでおしまいなさい、私のために。
世にも悍ましい自己中心的なセリフと同時に、グスタフの首が落とされる。そうして、首を失った本体はゴロリと転がった本当の持ち主を踏み潰すと……意気揚々と暴れ始めた。
「あははははッ! いいですわ! とっても、調子がよろしくてよ! ふふ……首以外にしっかりと根回しした甲斐がありましたわね」
「……さま」
「あら、どうしましたの? おチビさん。聞こえませんことよ?」
「……貴様……! よくも……!」
「よくも? 何だとおっしゃるのでしょうか? もしかして、怒っていらっしゃるの? ほほ……お嬢さんが怒ったところで、怖くもなんとも……」
【ユルさんぞ、このクソババァ! よくも……よくも、ジェームズのオモいをムダにしてくれたなぁッ⁉︎】
「……えっ?」
エリーメルダは知らなかった。ハールこと、イノセントがただの小さなプリンセスではないという事を。その逆鱗には絶対に触れてはならない、最強クラスの竜神であることを……知らなすぎたのだ。
「ちょ、ちょっとお待ちになって! あなたは一体……何者ですの⁉︎」
【ワレはイノセント……! コランダムのライホウシャであり、チジョウのケガれをミソぐモノ。キサマのようなクサりキったオブツはチリもノコさず、ヤきツくしてくれようぞ……!】
怒髪天を衝いた竜神の咆哮はまさに、烈火の如く。白銀に輝く圧倒的な威容を前に、ようようエリーメルダも危機感を募らせる。彼女は……少しばかり化け物の仲間入りを果たしただけの能無しには、到底敵うべく相手ではない、と。




