牙研ぐダイヤモンド(21)
分厚かった試験槽のガラスを切り裂いて、ダイヤモンドの魔竜が唸り声混じりで牙を剥く。その歩みはゆっくりだが、確実にアレンの手元へ向かっているらしい。1歩、1歩、事あるごとにズシンズシンと周囲を震わせながら、着実に無機質な床を踏みしめる。
(グリード! 私を思いっきり振り抜け!)
「えぇ、行きますよ!」
しかして、その進軍を認めるわけにはいかないと、黒尽くめの大泥棒が彼の行手に立ち塞がる。手元の聖剣に言われるがまま、彼女のお望み通りに青い炎も存分に振るってみるが。一方の魔竜は涼しい顔を保ったまま、平然と一定の進軍リズムを崩そうともしない。
「クッ……効いていませんか? でしたら、次はクリムゾンも一緒に行きますよ!」
(はい! 存分に私を使ってくださいまし!)
(よっし、ここは我らコランダムの底力、見せつけてやるのだ!)
手元の相棒達はやる気も十分。それぞれに青と赤の眩い炎を吹き出しては、絶対王者のダイヤモンドさえもジリジリと焦がす。そんな大泥棒一味が繰り出す、三位一体のお熱すぎるアプローチには、いくら究極の彗星と言えど、無視できなくなってきた様子。先ほどまでアレンに注いでいた熱視線を黒尽くめの挑戦者に注ぎ直すと、邪魔するなとばかりに極寒の吐息を漏らし始めたではないか。
「おっと! こいつは、なかなかに厄介な攻撃のようです……!」
彼の吐き出す煌めきは周囲の空気を瞬時に凍らせ、どこまでも美しいのに、極限の冷たさを顕現して見せる。あれ程までに無機質だった灰色の景色を穿ち、帯状の純白に凍結させるが……しかして、吐かれた瞬間から溶け出してドロドロと気色悪く垂れる様は、さながら冥府を流れる嘆きの川そのものである。
(ふん! そんなちっぽけな川なんぞ、私の炎で涸れ川にしてくれようぞ!)
「それは頼もしい限りですが……なんだか、嫌な感じがしますね、あの川。主成分はただの氷でもないような……。それに、この微かな甘い匂いは、まさか……!」
(グリード様? どうされたのですか?)
「しまった……! おそらく、アルティメットが吐いたのはニトログリセリン……爆薬の一種です。こんな所であの量に爆発されたら……!」
この場に居合わせているメンバーは1人残らず、強烈な爆風に屠られる羽目になるだろう。
それでなくても、ニトログリセリンは非常に取り扱いの難しい爆薬である。氷結点も約8℃と凍りやすい上に、融点は約14℃と、これまた簡単に溶ける。しかも、一部が凍結している方が刺激に敏感になるため、液状化している状態よりも、一部でも凍結している状態の方が爆発しやすい。なので……今、アルティメットが吐き出した爆薬は、あからさまに暴発しやすい条件を揃えている事になる。
「とにかく、一時撤退です! すみません、ヴァン様にルナール! ボンドとグスタフをお願いします!」
「う、うん……! とにかく、ボンドを助けて……って、あれ? ヴァン兄?」
グリード達の善戦を見守っていただけのルナールとて、鋭い号令にピリリと神経を縮めずにはいられない。しかし、不安だらけの弟分を他所に、いつになく真剣な顔をした兄貴分はそっとルナールの手を取ると……意外な事を言い出した。
「……ここは僕の出番みたいだね」
「で、出番って……何を言ってるの、ヴァン兄……」
「ふふ。忘れたの? 僕はアメトリンのカケラ……これで、性質量は80%もあるんだよ。ルナール、僕の香りを……ちょっと気が立っているらしい、あいつに届けてやろうじゃないの!」
いつかの時に手繋ぎでもらった力を発揮するべきなのは、今だろう。そうしてヴァンは、ルナールの手の中でバター色と菫色のツートーンが艶やかな弓に姿を変じて見せると……既に煌めく矢を咥えては、準備万端とばかりにルナールを促す。
(さ、ルナール! 僕を使って、ここは勇ましく活躍しておくれ。遠慮なく、あいつに僕の牙をお見舞いしてやるんだ!)
「うん……! 分かったよ、ヴァン兄!」
ここは四の五の言っている場合じゃない。ルナールの体にはやや大ぶりな弓を精一杯、引き絞り。渾身の力で解き放てば、ギュンと軽やかかつ力強い光弾が一直線にアルティメットの首元に命中する。そして、着弾と同時に散弾をばらまき、床という床でコツンコツンと踊り始めた。
「融解が止まった……? これは……あぁ、そういう事ですね。酸化ケイ素は、ニトログリセリンを膠化させることができます。……伊達に香水屋をやっているわけではないですね、ヴァン様も。甘い香りを別の香りで抑え込むのも、お手の物という訳ですか?」
(はは、それ程でも。いずれにしても、膠化できればある程度は時間稼ぎができるだろ? ……爆薬は僕に任せて、君達にはあいつを縛り上げる方をお願いしたいな)
「軽々しく言ってくれますね? 不完全とは言え……相手は、究極の彗星ですよ? まぁ、いいでしょう。俺もこんな所で死ぬつもりはありません。それに……アレン様、そろそろそのダイヤモンド、引っ込めてください。あの状態で、アルティメットがあなたの言う事を聞くとも思えません」
「……みたいだね。全く、ニュアジュはいつまで待たせるんだろうねぇ……」
この大一番にさえも未だに姿を見せない、保護者を詰りつつ。渋々アレンがダイヤモンドを引っ込める。きっと、彼も理性さえも確立できないアルティメットが不完全であることを理解したのだろう。かと言って、餌を与えてみた所で、彼が完成する保証もない。様子を見ている限りでも……言う事を聞かずに飼い主の手を齧ることも、十分に考えられる。そうしてただの腹を空かした暴れ竜には、首輪だけではなく手綱も必要かもしれないと……アレンはこんな状況にも関わらず、そんな事を悠長に考えていた。




