牙研ぐダイヤモンド(18)
だけどね、これはあくまで「契約の真似事」でしかないんだ。本当の契約じゃない。
ギュスターヴへゆらりゆらりと躙り寄る間も、アレンは忘れずに譫言を呟く。それでも、自身に寄ってくる切迫した危機感を前に、ギュスターヴはようよう「ここに来た目的」を思い出す。少なくとも、それを献上すれば……見逃してもらえるだろうか?
「アレン様、実は私はあなたにお届けものを預かってきただけなのです。ですので……」
「おや、そうだったの? 僕はてっきり、君は仲間になりに来たんだと思っていたのだけど。そう……それこそ、ジェームズ叔父さんみたいに」
「父上みたいに……ですか?」
「あぁ、もしかして知らなかったの? ジェームズ叔父さんは君と話がしたくて、人間を捨てて犬になっているんだよ。ニュアジュの話だと、ちょっとした動物実験の一環だったみたいだけど……彼も王族だからね。適性もなければ、普通の手順ではカケラになることはできない。だから、核石に食われた脳をドーベルマンに移植したみたいだよ?」
「……」
あの情けない姿はそういうことだったのか。ギュスターヴは父親の声で喋る不気味なドーベルマンを思い浮かべては……ギリっと作り物の唇を噛み締める。いくら歯を立てようとも、血すら流れない唇であろうとも。悔しさで痛みを錯覚しては、思わず拳も握りしめてしまう。
「うん? もしかして……その様子だと、ジェームズ叔父さんの今を知っていそうだね? まぁ、いいや。叔父さんの研究成果があったおかげで、今の僕があるんだから。……適性を絶対に持ち得ない王族でも、近しい存在になれることを、彼は身をもって証明してくれたのだもの。ふふっ、そう怒るなって。意外と、あの姿を気に入ってもいるみたいだよ? ジェームズ叔父さん。ラウールさんの所で暮らしているみたいだけど……彼に撫でられて、嬉しそうにしちゃって。あぁも犬になりきれれば、逆に幸せなのかも知れないね」
そう言いつつ、またもギロリと牙を弓形に整列させるアレン。その凶暴な口元の輝きに、ギュスターヴは徐々に怒りを鎮めては……またも、恐怖を思い出す。そうだ、今は私情に駆られて怒る場面ではない。この化け物から一刻も早く、逃げなければ。
「今の私には父なんてものはありません。それはそうと……もうそろそろ、本題に入らせていただいても? 今はとにかく、用事を済ませたいだけですし」
「おや、連れない事を言うのだね、グスタフ。そんな体になっても、まだ知らぬ存ぜぬを通そうなんて。まぁ、いいか。で? ご用事って何かな? お届け物は何だろう?」
「……これです。アダムズ・ワーズからアレン様に返却するよう、預かってきました」
きっと、その後の顛末を知っていたのなら、ギュスターヴはなりふり構わず逃げていた事だろう。自分が持ってきた「お届け物」がアレンの怒りのツボを押すなんて、知っていたのなら……きっと、こんな馬鹿なことはしなかっただろうに。
お節介かつ、愚直に何も知らないギュスターヴは2つのダイヤモンドの核石をアレンに渡す。しかし、青い方はともかくとして……黒い方には並々ならぬ思い入れがある様子。黒いダイヤモンドを愛おしげに鱗まみれの指でなぞりながら、アレンが急激に温度を落とした詰問をギュスターヴに投げかけ始めた。
「……お前、これをどこで……?」
「えっ? いや、どこでと言われましても。私は預かってきただけですし……」
「そんな事を聞いているんじゃない。お前……この核石がどこでどんな風に抉られたのか……知っているのか……? 何か聞いていないのか……?」
「な、何も……聞いていませんし、何も知りません……」
ギュスターヴの情けない答えを否定するかのように、突如パキンッ! と、鋭い何かの破滅音が聞こえる。その音に驚いて、ギュスターヴがアレンを見やれば。彼はとうとう、噛み締めすぎて牙を1つ、折ってしまったらしい。鮮血と言うには、あまりに酷い匂いの黒い血液を滴らせて。血塗れになりつつある口元で、アレンが恨言を喚き始めた。
「よくも……よくも、よくも、よくもッ! ユアンを……殺したなぁッ⁉︎」
「ユアン……? アレン様、私は何も……」
「何もしていないとは、言わせない! あいつの手先となった時点で、お前も同罪だ……! もう、いい。お前もどうせ、元には戻れない……。どうせ、どこにも帰れっこないんだ。だったら、ここで……」
殺してやる。
短くも確実な死刑宣告を告げられて、いよいよギュスターヴの神経は縮み上がる。燦然と輝く鱗を纏おうとも、彼の中に流れる血は不浄の色を示す。そんな不浄を湛えた口元に牙を剥いて、アレンは涙ながらに仇敵の尖兵へ躍り掛かる。そして……あっという間に、ギュスターヴの左腕を縊り捥いだ。
「くっ……! エリー様、行けますか⁉︎」
(お任せなさいな。……腕1本なら、どうにかなります。ふふ……)
こうなったら、なりふり構ってもいられない。独り言を敵前で呟くのは、非常に格好悪いが……ここは内なる相棒に頼るしかないだろう。そうして、ギュスターヴが頼んでみれば……エリーは容易く左腕を再生して見せる。だが……どうも嗜虐的な彼女は、この状況を楽しんでもいるらしい。まるで他人事のように、クスクスと声を弾ませては、ギュスターヴの危機感さえもせせら笑う。
「こんな時に笑っている場合ではないでしょう! とにかく……」
(あら、お逃げ遊ばすの? 私はこのまま力試しをしたいのですけど)
「えっ……? それこそ、一体何を……」
(もうちょっと、様子を見るつもりでしたけど。……あなたはやっぱり、退屈な男ですわね。最後まで貴族であろうとするのは素敵でしたけれど……却って、惨めでもありましたし)
「エ、エリー様……?」
(折角、餌を補給したのですもの。ここは思いっきり暴れませんと)
不気味な一言と一緒に、エリーも牙を剥くことにしたらしい。ギュスターヴを「退屈な男」と罵る間も、彼を食い荒らすことを忘れない。そうして、ギュスターヴが気づく間も無く……彼女は彼を容易く制圧せしめる。
(……どうして、こんな事になったのだ? 私はただ……復讐したいだけだったのに……)
どこで、何を間違えたのだろう?
どこで、何を見逃していたのだろう?
アレンの威容を見た時……いや、アンリエットの秘宝をお利口に持ち帰った時?
それとも……。
(あぁ、違う。……それもこれも……元はと言えば、父上が悪いんだ。私に……あんな物を残すから……)




