牙研ぐダイヤモンド(12)
オーラクォーツだけは、無事に調達できたものの。残りの手持ちでとりあえずの宿を取ろうとも、ギュスターヴの顔を見るなり怯える者がいたり、疫病神扱いする者がいたりと……ギュスターヴは体を休ませる借宿を確保できずにいた。しかも周囲の様子も、どこかおかしい。
(……避けられている気がする……)
恐ろしいことに、ギュスターヴはこの時点で何も気付いていない。自分の手が汚れていることも、その汚れのせいで避けられていることも。
自分の手を汚したことがなかったギュスターヴにとって、「誰かを亡き者にした」事に対する罪悪感はない。今まで、掃除や片付けも誰かにさせていただけであって、自分の手でチリ1つ拾ったことのないギュスターヴは、自分の命令で都合の悪い相手を片付ける手段に恵まれ過ぎていた。
直接手を下さずとも、自分の意向で誰かが死ぬ。それは貴族として当然の権利だと思っていたし、王族だからこそ許される傲慢だとも思っていた。そして、実際に……貴族にトコトン甘い警察組織の存在もあり、余程相手が悪くない限りは、彼らの凶行も許されてしまうフシがある。
非常に乱暴な言い方ではあるが……ロンバルディア貴族にとっては、失態の沙汰も金次第なのである。
だが、今のギュスターヴにはいくら自らが信じ込もうとも、貴族としての存在価値も旨みもない。それなのに、まだ自分の罪状や状況に気づいてもいないし、気づこうともしていない。それでも、人々の視線の鋭さ位は多少理解できるというもので。理由は分からないなりにも、人々の視線の鋭さに痛みを感じて……よせばいいのに、グスタフは堪らず裏路地に逃げ込んでいた。
「ちょっと、よろしいですか?」
「あんた、指名手配されてるんすけど……お話、聞かせてもらっても?」
そして、そんな貴公子の行手を阻む、制服姿の警察官2名。どうやら……彼らも見目麗しい落ちぶれ貴族の追っかけらしい。妙に卑しいニヤケ面を見る限り、警察ならではの金次第による交渉を持ちかけようとしているに違いなかった。
「指名手配、ですか? 私が?」
一方、涼しい顔で小粋に首を傾げるギュスターヴ。そうして、わざとらしく「冗談でしょう?」と戯けてみるものの。彼らの手には慌てん坊の夕刊が広げられており、呆れたことに……公式な発表はないのに、あたかもグスタフという元貴族が指名手配されているかのように、殺人事件を取り上げていた。
「遅かれ早かれ、あんたは殺人犯として逮捕される身だ。だから、こうして情けをかけに来てやったんだよ」
「ほぅ? 理解に苦しむ事をおっしゃるのですね。殺人犯? 私が? くく……」
「なっ、何がおかしいッ!」
「いや、失敬。掃除をしただけで、殺人犯呼ばわりとは……相変わらず、警察というものが間抜けなのだと再認識した次第です。何の価値もない存在を掃き捨てたところで、あなた達には何の影響もないでしょうに」
「はは〜ん……ここで言い逃れかい? いやいや、そうはいかないよ。一応、俺達は警察官って奴なんだ。要するに、正義の味方ってもので。殺人をタダで見過ごすわけにはいかないんだよ」
「そうそう。正義の味方の言う事は聞かなきゃダメだって、パパに習わなかったのかい?」
さらに続く2人の詭弁に、さも滑稽だとギュスターヴは大袈裟に肩を揺らす。そして……内なる相棒の声に鼓舞されると、ギロリと人のものとは思えない獰猛な視線を、2名の愚か者にくれてやる。
「そう……そういう事ですか? あなた達も綺麗さっぱり片付けられたい、と?」
「この状況で、よくも、まぁ……抜け抜けと……! まぁ、いい。どうせ、あんたははみ出し者だ。片付けられるのはそっちの方さ。このままじゃぁ、有無を言わさず豚箱行きだろうなぁ……!」
「そういうこった。だけど、ちょいと恵んでくれるんなら、便宜を図ってやってもいい。少しばかり上等なベッドのある部屋に……」
「もういい」
片方の警察官が親指と人差し指で輪を作り、あからさまに下品なハンドサインを示したところで……不意に彼の言葉が途切れる。ズシャッと何かが砕ける音と、ほんの一瞬だけ感じた確かな風圧。残された警察官が、驚いて横を振り向けば。そこには、バディを組んでいたはずの警察官だったものがぶちまけられ、汚い壁から石畳へと……だらりと滑落していくのが、目に入った。
「ひ、ヒィッ……!」
「おや、お逃げあそばすのですか? 正義の味方が聞いて呆れますね?」
折角、ヒーローゴッコに付き合って差し上げようとしているのに。なんと、連れないことか。
勇ましくも敵前逃亡を決め込んだ、警察官がくるりと背中を見せる間もなく……素早く頭を鷲掴みにして見せるギュスターヴ。見た目は細身だと言うのに、彼の指から伝わってくる剛力は……獲物に恐怖さえも、鮮明に与える。
「やめろ! やめっ……!」
「耳障りですね、あなたの声。まずは、その煩い口を利けなくして差し上げましょう。……黙らせるには、舌を抜けばいいんでしたっけ?」
「ヒギャッ⁉︎」
引き抜いた血塗れの肉塊をさも穢らわしいと、打ち捨てると同時に……ここぞとばかりに、踏み潰すギュスターヴ。そうして、涼しい顔を保ちながら……気まぐれに手を離し、足元に血を吹く警察官を転がしてみる。
「ヒュガ……ふがっ……?」
「おやおや、お見それしました。鮮やかな顔面着地だけは、お見事ですね。……そこだけは流石、惨めで愚かな警察官だと誉めて差し上げましょう。ふふっ……死ぬ前に、屈辱の土の味を体験させてあげられないのが、非常に残念ですね」
「……!」
グイグイと足蹴にした頭に、冷酷な言葉を浴びせながら。名残惜しむこともなく、軽々と足元の何かを踏み潰す。その上で、彼らが示した不都合にようやく自身の立場を理解すると、やれやれと肩を落としつつ逃げ場を探す。
そうして見つけた、足元のマンホール。なんとも可笑しな現象だが。……目が合うと言うのは、こういう事を言うのだろう。まるで誘われるように、ギュスターヴは何の迷いもなく、何の未練もなく。力任せにこじ開けた地下への入り口へ、するりと身を滑らせるのだった。




