牙研ぐダイヤモンド(11)
何の因果か、偶然か。散歩の帰り道に、とある事件現場に出くわしたという、娘と愛犬の表情が明らかに険しい。しかも、ラウールが隠しておこうと考えていた目撃情報は、不運にも最も届けたくない愛犬の耳に入ってしまったようで……ジェームズは眉間に皺を寄せていると同時に、今にも泣きそうな顔をしている。
「……そう。彼はとうとう、人としての一線を越えてしまったのですね」
「モーリスも言ってたぞ。目撃情報も揃ってるし、多分、犯人はグスタフだろうって。本当に……父親の気も知らず、馬鹿なことをして」
きっと、ジェームズの代わりのつもりなのだろう。イノセントが少しばかり怒った様子で鼻を鳴らす。
「ジェームズ、気を確かに。……大丈夫ですよ、と安請け合いはできませんが、きちんとお話できる機会くらいは作れると思います。……腹を割って話し合えば、少しは納得できるものがあるかも知れませんし、何より……」
【……グスタフがアクマツきになりキらないうちに、テをウたないといけない。……ジェームズ、それだけはソシできるように、ガンバる】
「そうだ、その意気だぞ、ジェームズ。……人としてまだ間に合う部分があるのなら、諦めるのはまだ早い」
【うむ……そう、だな】
しかしながら言葉は気丈でも、耳を垂らし、肩を落としているジェームズの様子に、これは重症だとラウールもつられて肩を落とす。愛犬の傷心は、容易く塞がるものでもないだろう。であれば、飼い主としてできることとすれば……。
(グスタフをできるだけ早く見つけ出すこと……でしょうか。それも、手遅れになる前に)
まだ検証は完了していないものの。目撃情報と彼の足取りからしても、ほぼグスタフが犯人であることは明白だろうというのが、警察側の見立てらしい。しかも、モーリスが言うには早い段階で「殺人事件があった事実」は発表されてしまうそうで……そうなれば、グスタフは更に追い込まれることになる。
(カケラは追い込まれた時が、1番厄介なのです。感情を溜め込み、爆発させて……熱を放出し始めたら、暴れるより他にない……)
グスタフが純粋なカケラではなく、タダの悪魔憑きになりかけている人間であるのは、不幸中の幸いと言うべきか。彼は所定の方法……心臓に核石を埋め込まれること……でカケラになったのではなく、あくまで後付けの設定でカケラに近しい者になりつつあるだけだ。熱暴走の度合いは不透明だが、カケラ程までには凄惨な状況にはならないだろう。
だが、精神的に追い込まれて自暴自棄になるのは、人間もカケラも変わらない。ただ、体の作りがほんの少し違うせいで……カケラは被害を及ぼす範囲とレベルが桁違い過ぎる、という難点はあるが。何にしても、今のグスタフに人間と同じ尺度と感性とを求めるのは、無謀というもの。純度の高いカケラには及ばないかも知れないが……壊れた時の暴れっぷりは、度を越えていると想像するべきだ。
(きっと警察とて、表立って犯人はグスタフだとまでは発表しないでしょう。ですが……メーニャン様の口からも、それらしい目撃例が出ている時点で、世間様の目にもしっかりと映っていると考えた方が良さそうです)
それでなくても、グスタフは目立つ。マラカイトの一幕の際に、ハーストの宝飾店で出会した時だって……ラウールよりも、圧倒的に人々の羨望の眼差しと好奇心とを集めに集めていた。
そして、今回は人々の注目を集めることは、悪い意味で効果的だと言わざるを得ない。ロンバルディアの民衆と言うものは、基本的に無責任で享楽的な部分がある。簡単に言えば、対岸の火事を眺めるのが大好きな連中でしかないのだが……特に落ちぶれた貴族に対する仕打ちは、一種のストレスの捌け口ではないかと勘繰るのが、普通の感覚だろう。To add insult to injury……水に落ちた犬を徹底的に叩くのが、悲しいかな。ロンバルディア市民のあまりに陰険なデフォルトの気質だったりする。
(だからこそ、心配なのです。……叩かれて追い詰められた者ほど、何をしでかすか、分かったものではありません)
必死に逃げ回るだけなら、いいのだが。そんな臆病さがあるのなら、そもそも手を汚すこともなかっただろうに。今のグスタフは、自らの手で人を殺められる精神状態にまで追い詰められている。そもそも、グスタフは元から相手を慮る気質に欠けていたとする方が、間違いも少ない。クリムゾンやエターナルと自らが称していたお人形を、躊躇なく潰した手際を見ていても……彼には、下々に対する温情はなさそうだ。
そして……そんな彼にとって民衆の好奇の目に晒される事が、どれ程までに屈辱的なことかは……推して知るべし事柄だろう。あまりに醜悪な現実、あまりに望むべくもない現状。彼に向けられる民衆の冷ややかな視線が何よりも危険で、何よりも厄介だと考えては……ため息をつく、ラウール。それと同時に、愛しい家族のためにも、彼との決着の段取りについて悩み始めるのだった。




