牙研ぐダイヤモンド(10)
ラウールがルセデスと楽しく歓談している、その頃。まだまだ本調子とは言えないが、リハビリのため(と見せかけて、ゴーフルが目当て)にジェームズはイノセントと一緒に散歩に出ていた。
幸いにも、ジェームズの骨折は治りやすい箇所だったらしい。2週間ほどで完治が見込めるというのだから、回復スピードも早いと言えそうだが、まだまだ激しい運動は禁物だ。それでも、走ることはできなくとも、トコトコと歩くことはできるようになっていた。
「クフフ……やっぱり、ジェームズと食べるゴーフルは最高だな!」
【キャフッ、ハゥン(ヒサしぶりだが、やっぱりウマい)】
余す事なく鼻をくすぐるバターのぬくもりと、チーズの香味。しかも、イノセントが贔屓にしている屋台のおじさんは心得てますとばかりに、イノセントには焼き立てを用意してくれる。そうして買い求めたゴーフルは、外側のサクサク食感と中身のモッチリ食感が絶妙で、イノセントとジェームズを虜にして止まない。しかし……。
【ハゥン(あれは)……?】
「……何だろうな、事件でもあったのか?」
帰り道の途中。1人と1匹がゴーフルに夢中になりつつ、中央通りを何気なく歩いていると。裏道へ続く路地の入り口に仰々しいバリケードが据えられているのが、目に入る。しかも、困ったように頭を掻いているのが、どう見ても知り合いでもあったため、嫌な予感を募らせつつ……声をかけずにはいられない、イノセント。
「モーリス!」
「あっ、イノセントにジェームズ……そっか、今は散歩の時間なんだ」
「うむ……今日は少々遅めの時間だが。しかし、その様子だと……何かあったのか?」
「……うん、そうだね。結構な事件が起こったんだ」
遅かれ早かれ、テレビっ子なイノセントの耳に事件の概要が入るだろうことは、モーリスも織り込み済みだ。それに朝の事件ともなれば、夕刊の記事には十分間に合う。そこまで考えて、どうせ今日中に知れる事なのだろうからと……ラウールにも伝える意味でも、イノセントに話をしようとするモーリスだったが。
【……!】
「ジェームズ、どうした? うん……? 何か引っかかるものがあるのか?」
【ガフ、ハゥゥゥン(このニオイは)……!】
モーリスが口を開くよりも早く、ジェームズがか細く悲しそうな声を上げ始める。そんな彼の様子に、思うことがあるらしい。モーリスはジェームズをバリケードの中に招き入れると、彼の鼻に鑑識をしてもらうよう、試みる。
【……キャフ】
「ジェームズ、何か分かったのか?」
しかし、鑑識から戻ったジェームズは犬に戻ったまま、黙秘を貫く。ただただ、肩を震わせて悲しそうにキュンキュンと鳴くばかり。
【キュゥン、キュゥン……】
「この反応からするに……なるほど。ホシはジェームズの顔見知りみたいだな……はぁ。そうなると、目撃情報とも合致するか……」
「目撃情報?」
「うん。実は……被害者の身元はもう、割れていてね。ゴシップ専門のパパラッツィだったみたいなんだ。で、彼が追い回していたのが……グスタフ・グラニエラ・ロンバルディアだったらしい事までは、目撃情報が上がっている。ほら……何せ、グスタフ様はあの見た目だから。……ただ歩いているだけでも、目立つんだろう」
それはモーリスも一緒だろうが、そういう機微こそ、当の本人は気づかないものらしい。自身に余計な耳目が集まることも予想できず、グスタフは虫払いの凶行に走ったのだろうと勘ぐっては、尚も遣る瀬ないとモーリスはため息を漏らす。
「……イノセント、悪いのだけど……」
「うん、分かっている。……ラウールに伝えた方がいいんだよな? それで……」
「そうだね。……グスタフ様を止めてやってほしいと、お願いしてもらっていいかな。詳細な現場検証はこれからだし、記者会見は夕方になる見込みだけど。……罪状が殺人ともなれば、発表せざるを得ない」
モーリスも一応の関係者として、グスタフがかの怪人に唆されていた事くらいは知っている。そして、彼があの状態になった元凶が弟だということも、熟知していた。
「今のグスタフ様は相当に追い込まれていると、考えるべきだろう。何をするか分からない状態のようだし……早めに助けてやってほしいんだ」
「承知した。そうと決まれば……ジェームズ、泣いている場合じゃないぞ。これ以上、あいつに馬鹿な事をさせないためにも、前を向け」
【ハゥ……】
無茶な事を言う。モーリスはイノセントの強引な励ましに、苦笑いしてしまうけれど。それも彼女なりの叱咤なのだと考えて、自身はジェームズの頭を優しく撫でては立ち上がるよう促す。
「大丈夫かい、ジェームズ。歩けそうかな?」
【ハフ……ハゥ(ダイ……ジョウブ)】
「そっか。それじゃ、気をつけて帰るんだよ。……ラウールにもよろしく」
健気かつ気丈に立ち上がる、ドーベルマンの様子を見届けて。弟とは正反対とも言える、穏やかな微笑みを見せるモーリス。そうして、彼の仕事をこれ以上邪魔してはいけないと……ジェームズは足取りの重い帰り道を、トボトボと進め始める。




