牙研ぐダイヤモンド(7)
「あんた……なーに、ボケっとしてんだよ」
「いいだろ、呆けていたって。……俺には生きる意味も価値もないんだから」
清潔な空間、快適な空気。全てが患者のために作られた空間で、ジャックは相変わらず、ベッドからぼんやりと空を眺めていた。ユアンがいなくなってから、まだ数日だと言うのに。……もう、身も心も砕けてしまいそうだと、ギュッとポッカリと空いた右胸を、苦し紛れに抑える。
「フゥン……生きる価値もない、ねぇ。だとすると、何か? お前……片割れでも失ったのかい?」
「……そうだよ。それがどうしたんだよ。何か、文句でもあるのか?」
「別にないね。と言うより……うん、当てずっぽうだったとは言え、悪い事を聞いた」
それでも、女はジャックに興味があるらしい。ヒビ割れだらけの青い瞳を翳らせながら、ドサリとジャックのベッドに腰掛ける。
「にしても……本当に、綺麗な空だね。こういう日は、外の空気を吸うのも悪くないぞ」
「見て分からないのか? ……俺、足がないんだよ」
「知ってるよ。だから、気晴らしにでも連れ出してやろうか、って言ってるんだ。ほれ、車椅子がそっちにあるだろ?」
「……」
顎で病室の隅に控えている車椅子を示しながら、女が屈託なく笑う。そうして頼まれもしないのに、自身のことも語り出すが……話し相手もいなければ、暇潰しの手段さえ持たないジャックには、彼女の独白は新鮮でもあった。
「そう言や、あんた、名前は? 私はアリスってんだ。ま、見りゃ分かるだどうけど、あんたと同類って奴だろうな。で……核石はサファイア、ってことになってる」
「サファイア……つまり、コランダムのカケラか。ハッ……こんな所でも難敵に絡まれるなんてな。つくづく、ツイてない。まぁ、いい。俺はジャック。……一応、核石はダイヤモンドだったりするんだが」
コランダムの連中にはいい思い出がないもんでね……と言いつつ、アリスの半生の物語に親近感と興味を抱くジャック。
カケラは生まれも育ちも、大抵は最悪。アリスも例に漏れず、初めての呼吸は試験槽の中だった。しかも、最初から完成品としてのデビューも用意されていなかった彼女達に与えられたのは、実験台としてのモルモットの立場だけ。
「私にはキャロルって言う、妹がいるんだけど。あの子が特殊過ぎる生まれだったもんで、ますます自分達の存在が惨めに思えてね。で、逃げ出したんだ。外の世界に。……そっちはそっちで、甘ったるくもなかったけど。でも、後悔してないよ? だって、今のキャロルは幸せだろうから。私がしたことは無駄じゃなかったってだけでも、生きるのを諦めなくて良かったって、思うよ」
「そうかい、そうかい。だけど……それは、片割れが生きているから、強がれるだけってもんさ。お前だって、そいつが砕けてたら……」
「いいや? 死にたいだなんて、思わないね。寧ろ、がむしゃらに生き延びてやろうって、思うだろうよ」
死んだ片割れの分まで生きるのは、当然だろう?
アリスは窓の外の空を見上げては、差し込む光に眩しそうに目を眇める。ひび割れていても、美しさを忘れていない彼女の瞳はまるで万華鏡のようにキラキラと……周囲へとランダムに反射光を漏らす。
「と言っても……私らの場合、こっちが死に損なっているだけなんだけど。でも、折角助けてもらったんだ。ヒビは繕えないけど、調子は良くなってる。だったら、たまにやってくるあの子を悲しませないためにも、きちんと生きてやらなくちゃね」
最後はニカっと悪戯っぽく笑うと、外に出ようとジャックを誘うアリス。そうして、頼みもしないのにカラカラと車椅子をベッドに寄せては、どうする? と首を傾げて見せる。
「……分かったよ、付き合ってやるよ」
「そうそう、そう来なくっちゃ。……外の空気を吸えば、ちっとは気分も調子も良くなるってもんさ」
「……どうだろね」
……あの時と変わっていない。
……あの時からちっとも、良くなってない。
……いいや、違う。あの時よりも、境遇は悪化している。
それなのに……自分はどうして、生きようとしている?
どうして、自分は生きることを諦めるのを……こんなにも怖がっているんだ?
(あぁ、そうか。俺は……)
暴れ疲れてはいるけれど、夢は捨てていないんだ。怖いのは死ぬことじゃない……相棒が生きていたという事実が、自分と一緒にいなくなってしまうのが、怖いんだ。檻を出られたら、2人で綺麗な世界をたくさん見に行こう。自由になれたら、2人で思い出の青い空を見つめ直しに行こう。そう、約束したじゃないか。
(それなのに……なーんで、俺の方が残っちまうかねぇ。これじゃ、あの時にあいつに道を譲ったのが、トコトン間抜けに思えるじゃないか。でも……)
相棒は戻ってこないかも知れないが、相棒との思い出は取り戻すことができるかも知れない。相棒だったはずの核石はきっと、怪人が持っているはずだ。で、あれば……それを取り戻すために、もう少し間抜けになるのも悪くない。
「……アリスって言ったか?」
「うん? どうした、ジャック」
「外に連れ出してくれるついでに……ここの医者にも会いたいんだけど」
「あぁ、構わないよ。ウィルソン先生を呼べばいいかい? しかし……もしかして、調子が悪いのか?」
「いいや、そうじゃない。ちょっと、やり残したことがあったのを思い出してな。……義足について、相談したいんだ」
「おっ! いいねぇ、いいねぇ。それこそ、そう来なくっちゃ」
初めて溢れたジャックの前向きな言葉に、嬉しそうに笑うアリス。そうして、まずは中庭に行こうかと……ジャックを乗せた車椅子を鼻歌混じりで押し始めた。
(そう、だよな。俺、まだ死んじゃダメだよな。……待ってろよ、相棒。必ず、迎えに行くからな)




