牙研ぐダイヤモンド(6)
「そいつはラウール君らしいな」
「笑い事じゃありませんよ、ヴァン様。お陰で、こちらは日常生活を取り戻すのにも、一苦労です」
「まぁ、そうだろうねぇ。あの勢いじゃ、お疲れなのも無理もないよな。……こっちにも飛び火したくらいだし」
「おや、そうだったのですか? それはそれは……申し訳ない事をしました」
メクラディはハール君鑑賞会の日である。抜かりなく用意された手土産を頬張りながら、イノセントとサムはジェームズを間に挟みつつ、受像器に張り付いている。そんな子供達の背後で交わされるのは、保護者同士のやりきれない現実への恨み節。トーキーアニメの軽快なマーチでさえも、忽ち陰気なエレジーに変調させてしまう。
「しかし、どうするつもりなんだい? いくら皆さんを怖がらせたと言っても、君達が注目の的なのは変わらないんじゃないかな」
「でしょうね。流石に、夜間まで張り込むようなお馬鹿さんはいないようですが……いつ、誰が見ているか分かりませんからね。そこで、ヴァン様にお願いがあるのです」
「えっ? 僕に……かい? もちろん、協力できる事があれば喜んで手を貸すけど……」
しかし、そこは悪知恵の働く大泥棒である。明らかにあちら側を彷彿とさせる笑みを浮かべたかと思うと、ラウールが貸して欲しいのは手ではなく、店だというのだから呆れてしまうではないか。
「……つまり、僕の店の地下室を貸してほしいと? しかも……地下通路と連結したいだって?」
ラウールの目論みとしては、ロンバルディアに縦横無尽に張り巡らされている、地下通路を当面の出勤ルートとして利用したい……という事らしい。ロンバルディアの下水道はありがたいことに、ほぼ全域をカバーする勢いの地下迷宮となっている。しかも、メンテナンス用に順路も道標も整備済み。ないのは清潔さと、陽気さのみである。
「えぇ。是非に、ヴァン様の地下室を地下水道と繋げて欲しいのです。折角、広大で順路も整備された地下道があるのです。色々と我慢しなければなりませんが……この状況ですし。そちらを利用しない手はありません」
いくら気の置けない隣人とは言え、そんな突拍子もない話に乗る物好きは少ない。だが、残念なことにヴァンは好奇心も旺盛なら、怖いもの知らずである。その上、ちょっとした恩人の頼みともなれば。……面白そうだと、ヒョイと2つ返事で話に乗ってしまう。
「いいね、いいね、それ。ふふ。だったら、僕もお供しようかな? それこそ、消臭剤代わりに」
「それはありがたい限りですね。ドブ臭い下水の香りより、ヴァン様の香りの方が遥かにいい匂いですから。……とは言え、積極的に嗅ぐものでもないでしょうけど」
「アハハ、そうかもね。でも、僕はラウール君にフンフンされるのは、構わないよ?」
「いえ、遠慮しておきます。……なんだか、絵面的に最悪ですし」
「それもそうか」
互いに見目麗しい青年であるため、彼らの睦まじい光景を喜ぶ淑女もいるかもしれないが。生憎と、ラウールもヴァンもそちらの趣味はない。そんな事を、内心で「ウゲェ」と呻きながらも……いつかの時に、とある傀儡師に対して「追い剥ぎのご趣味もお持ちか」と囃した事もあったと思い出すラウール。あの時はまだ「間抜けな正義のロリコン・ヒーロー」で済んでいたのだから、お気楽だったが。ロリコン・ヒーローは今、どこで何をしているのかと考えると……ラウールとて、流石にバツが悪い。
「はい、お待たせしました。コーヒーのお代わりですよ。ところで、ラウールさん。なんだか浮かない顔をしていますけど、大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。……あぁ、大丈夫ですよ。少しばかり、嫌なことを思い出していただけですから」
間抜けな傀儡師を狂気の復讐者へと物理的に変えてしまったのは、間違いなくアダムズではある。だが……その原因を手繰り寄せてみれば、怪盗紳士の横恋慕に行き着くのだから、後味も非常に悪い。
「……キャロル、一応の確認ですけど。君はこれから先も、俺に付いて来てくれますか?」
「本当に、どうしたのですか? ラウールさん……」
「理由は聞かずに、答えてください。……君にはその覚悟はありますか?」
何の説明もないものだから、話の筋が読めなくて、困惑するキャロルだったが。それを説明してしまうと、嫌われそうだという身勝手な予測から、ラウールはつい、奥様に詰め寄ってしまう。
ラウールの懸念事項は傀儡師が恨んでいるのは自分だけではなく、クリムゾンもだろうという事にある。グスタフに直接制裁を降したのは、他ならぬクリムゾンと呼ばれるルビーの核石だ。目の前で起こった現象である以上……今のギュスターヴは、クリムゾンがキャロルに根付いている事を知ってもいるだろう。
だからこそ、心配なのだ。ギュスターヴはグリードに復讐することを、何よりも望んでいる。もしかしたら、その範囲にはクリムゾンも含まれているかも知れない。しかし、キャロル自体はどうかと言えば。……彼にとってはまだまだ、恋愛対象である可能性も否めない。
(格好悪いのは、分かっていますよ。しかも……俺はどこまでも卑怯者です)
スマートなのは、見た目だけ。中身は未熟で、奥様に甘えっぱなしの状態。しかも、とっても素敵なことに……当の奥様も、旦那様の格好悪さを誰よりも理解している。
嫉妬深く、執着心も強い上に、何かと不器用。頭は回るが、気は利かないし、周囲への気遣いも敢えて忘れる事がある。しかも……奥様を取られたくないばかりに、理由を伏せて答えだけを引き出そうとする図々しさまで発揮しているともなれば。……格好悪い以上に、卑怯だとラウールも自覚している次第である。
「もぅ……そんなの当たり前じゃないですか。今更、覚悟はありますか……なんて、聞かれても、ありますと答えるしかないでしょう?」
「だ、だけど……」
「はい、とにかくコーヒーをどうぞ? 大丈夫ですよ。……私はラウールさんがとっても面倒臭いのを、よく知っていますもの。私がいなくなって、ラウールさんの不機嫌が他の人に向くと考えたら……心配で離れられる訳、ないじゃないですか」
「……そんな理由ですか? えっと、いや……俺は、その……」
人の目もあるし、殊更ロマンティックな回答を期待していた訳ではないが。少しくらいは好意的な答えを出してくれても、いいではないか。
「アッハハハハ! 確かにね! ラウール君の難物加減を中和できるのは、キャロルちゃんくらいしかいないかも。ふふっ……ふふふふ……!」
「……ヴァン様も笑いすぎですよ。……もう、いいです。とにかく付いて来てくれるのであれば、それで」
妙に納得はできないけれど。彼女の淹れてくれたコーヒーは、いつもながらにいい香りだ。フテた旦那様の刺々しい気分まで、芳醇なアロマでカバーしてくるのだから……やっぱりキャロルには敵わないと、ラウールも仕方なしに肩を揺らすしかない。




