牙研ぐダイヤモンド(4)
不機嫌だ。今、飼い主は猛烈に不機嫌だ。
動物病院からの帰り道。ジェームズはチラとサイドカーから、飼い主の様子を窺う。前脚の怪我は順調に回復を見せつつあるが、飼い主……ラウールの不機嫌は悪化の一途を辿っている。それもそのはず、最近はとあるゴシップのせいで周囲が非常に騒がしいのだ。普段から「静謐」を是とするアンティークショップは、興味本位の野次馬が集まる惨事に見舞われていた。
【……ラウール】
「どうしましたか? ジェームズ」
【えぇと、その……ビョウインにまでツきアってもらって、ワルいな】
「怪我をした愛犬を病院に連れて行くのは、飼い主として当然のことでしょう」
【いや……ジェームズのせいで、ヨケイなキヅカれをさせたかなと、オモって】
「そんな事はありませんよ。……もう、慣れてしまいましたし」
ジェームズの怪我はごくごく一般的なものだったため、経過観察は普通の動物病院で事足りる。しかし、変わった目色のドーベルマンは飼い主の評判も相まって民間の動物病院にしてみれば、上客も上客なのだろう。あまり目立ちたくない心理とは裏腹に、ラウールとジェームズは過剰なまでのサービスとホスピタリティを提供されたばかり。貴族嫌いの飼い主にとって、それは何よりも不愉快なことであるはずだが……ラウールには珍しく、無駄な嫌味を振り撒くこともしなかった。……嵐が過ぎるのを、彼なりに我慢することも覚えたらしい。
「はぁ……それにしても、この感じは久しぶりですねぇ……。ブルローゼの時以来ですか」
【そうイえば、そんなコトもあったな】
もうすぐ中央通りに入ろうかという頃。ラウールが思い出したようにため息をつきながら、さも疲れたと肩を落とす。彼の言う「久しぶりの感じ」とは、怪盗紳士(偽者)がピンクダイヤモンドへの予告状を寄越した時の事であるが、その時はまだラウール側は一般市民として認識されていたため、モホークが捕まった後は事態の収束も早かった。
「店で騒がれるのは、もう諦めればいいと思いますが。しかし、困りましたねぇ……。この調子では、あちら側のお仕事を受注できませんし……」
どうやら、今の仏頂面は不機嫌によるものではなく、仕事に対する懸念によるものらしいと、賢いドーベルマンは理解する。そうして、互いにどうせ皆様の興味は長続きしないだろうと、結論を急ぐが。今の状況で身動きを封じられるのは、非常に都合が悪いことも認識していた。
【そう、だな。ホントウはすぐにチョウサにイかなければならないんだよな?】
「えぇ。まぁ、向こう側に変装しなくても、お仕事はできるだろうと言われれば、それまでですが。……アディショナルはお飾りでもありませんので。相手も拘束銃を持っていることを考えると、仮面の利用を封じられるのは厳しいと言わざるを得ません」
ラウールの言う相手、とはミュレットの事である。かつてヴランヴェルトの宝石鑑定士アカデミアの副学園長でもあった彼女は、ブランネルの補佐以上に護衛も兼ねていたため、対抗手段として特殊な武器を持たされていたのだ。
「……現在、正統な拘束銃は5丁しか存在しません。そして、正式にヴランヴェルトで製造されたのはたったの3丁です。そんな貴重な武器のうち、1丁をミュレットが所持していることを考えると、アディショナル抜きの仕事は不安が残ります」
拘束銃の原理は大部分が企業秘密のヴェールに包まれているが、おいそれと大量生産できないものであることくらいは、ラウールも知っている。そして……材料が揃わないため、現在は増産もできないことも重々承知していた。
「俺が持たされている拘束銃は、ハーモナイズと呼ばれたアレキサンドライトの来訪者に宿る力を利用したものです。……確か、自分の中に流れる雷鳴の血を使って、凶暴化した同胞を諌めなさい……でしたかね。彼女はその言葉と一緒に、アダムズにアルティメットと呼ばれるダイヤモンドの来訪者への抵抗手段を与えたそうです」
そうして作り出されたのが2丁のプロトタイプの拘束銃であり、そのうちの1丁はロンバルディアへと気まぐれに提供されることになる。
【……アダムズはムカシから、ロンバルディアオウキュウにデイりしていたからな。そうか。……サイショのコウソクジュウはチチウエにタクされていたのか】
「そういう事のようです。本当にしてやられたとしか、言いようがないのですが。……どうも、爺様がヴランヴェルトに引っ込んだと同時に、宝石鑑定士のアカデミアを立ち上げたのにはそちら側の目的もあったみたいですね」
ヴランヴェルトの理念は昔から、カケラの保護であることに変わりはない。だが、他方で……カケラが危険な存在に成り果てることも、悲しいかな。……昔から、よくある事でもあった。故に、平和ボケに象徴されるような「融和政策」をお得意としていたブランネルは、カケラとの共存を目標にすると同時に……無作為に彼らが人間を傷つけないように、「善良な一般市民」を守るための部隊も編成することにしたらしい。
「それがヴィクトワール様率いる、ロンバルディア騎士団のロイス軍団……ということになりますかね。それに、拘束銃は確かな決定打になりすぎる部分もありまして。……重ね掛けすると、対象を拘束するどころか、絶命させることも可能だったりします。だからこそ、拘束銃に頼らない保護活動を充足させる意味でも、抵抗するための戦闘集団と、治療をするための研究施設を用意する必要があったのでしょう」
【なるほど、ナ。タシか……ボウソウしたカケラはコウソクジュウでキノウテイシしてからクダくのが、ヒツジョウだったか。だが、そうなったら……カケラはシぬしかない】
「えぇ、その通りですよ。あまり選択したい手段ではありませんが……熱暴走を起こしたカケラはそのまま放置すると、新たな脅威を生みかねないのです。そうなる前に思いとどまらせるのが、俺達の仕事でもあるのですけど。……基本的に、俺達は生まれも育ちも悲惨ですからね。自暴自棄になるのを、一方的に責められないのが辛いところです」
【……】
さて、そろそろ中央通りに入ります……と、意外と素早くご機嫌を回復させた飼い主の一方で、ジェームズの気分は重いままだ。今となっては、同じ身の上かも知れないが。かつてのジェームズは紛れもなく、カケラ達の敵だった。その事実と後悔が、何よりもジェームズの心を締め上げる。
【ラウール】
「はい、どうしましたか?」
【……ジェームズがクダけるトキは、バカがウツらないように、きちんとコウソクしてほしい】
「何を縁起でもない事を言っているのです。あなたがお馬鹿さんかどうかは、知りませんけれど。……そんなにも馬鹿な不幸を連鎖させたくないのでしたら、砕けることよりも生き延びる事を考えてください。それが防止策としては、最適解だと思いますよ」
予断なくエンジンを唸らせながら、市街地に入る軍用バイク。まるでそれ以上の懺悔は許さないとばかりに、ラウールが思い切りチェンジギアを踏み込めば。ジェームズは仕方なしに、言葉と一緒に悔恨の念も飲み込まざるを得ない。




