牙研ぐダイヤモンド(2)
ぶら下げている皮袋に餌代わりで詰め込まれたのは、呪いの宝石でもある黒と青のダイヤモンド。それをアレンに返してこいと言われたが、今のギュスターヴには当てもなければ、伝もない。だが……仮面の下の顔だけは、綺麗に整えられている。この顔であれば……少し甘い態度を作れば、情報は集められるだろうか。
「そう、でしたか。……アレン様、行方不明になっているのですね」
「らしいわよぉ? ほら、新聞にも載ってるでしょぉ? 巷じゃ、本当はアレン様は行方不明じゃなくて、お隠れになったんじゃないか、って専らの噂よぅ?」
絵本から抜け出してきた王子様のような、完璧な佇まいの銀髪碧眼の青年に色目を使うのに余念がないらしい。気軽なバールには似つかわしくない上質そうな客ともなれば、無理もないのかもしれないが。目の前で世間話を振りまいてくれている、若い女性店員のわざとらしい態度に、辟易としながらも……ギュスターヴは辛抱強く、情報収集に勤しんでいた。
「しかし、お隠れになった……ですか?」
「えぇ、そうなのよぅ。ほら、アレン様は結構、太めだったじゃない? ……噂じゃ、それを苦に自殺したんじゃないかって言われているわぁ」
「はは……そいつはまた、飛躍した発想ですね?」
「そう? 私だったらあんなに完璧な人達の中で、自分だけデブっちょだったら死にたくもなるわよぉ」
酷い言われようである。
確かに、ロンバルディア王族はアレン以外は揃いも揃って、見目麗しい。だが、体型が太め=醜いというわけではないし、アレンは少々ぽっちゃり目とは言っても……極度の肥満ではなかったはずだ。
だが、目の前で不愉快な憶測を撒き散らし始めた彼女の弁を借りれば、アレンは見目を恥じたために自殺したのではないか……ということになっているらしい。だから、ギュスターヴは彼女の結論を「飛躍した発想」だと思うのだし、どこまでも「馬鹿げている」と内心で蔑まずにはいられない。
(……困ったな。こいつを押し付けなければ、餌はお預けだろうな。はて……アレンはどこに行ったたのだろうか?)
あまり美味くもないカプチーノ代と情報料を支払うついでに、噂の発信源も手に入れてみたが。繁々と見つめてみたところで、肝心のアレンの行方に繋がる情報はなさそうだ。しかし……。
(これは一体、何の冗談だ……?)
手に入れた新聞がいわゆるタブロイドだったのが、良くなかったのだろう。ありがた迷惑なことに、アレン関連の特集として「ロンバルディア王族大解剖」などと、訳も意図も意味不明過ぎる相関図が面白半分に載せられている。そして、更によろしくない事に……「ジェームズ・グラニエラ・ブランローゼ」と「トーマス・ブランローゼ」は故人として掲載されているのに、グスタフの存在はなかった事にされていた。その上、憎んでも憎みきれないどこぞの誰かが……兄弟揃って掲載されているではないか。
(あら……あの気取り屋は本当に、王族だったのね? ……それが分かっていたら、あのような失態をせずに済んだものを……)
「エリー様、今はこいつの事を掘り下げている場合では……」
ギュスターヴが見つめている記事は、一方のエリーの好奇心をくすぐるものだったらしい。更に、兄弟が「既婚者」であることを指摘しながらも、弟の伴侶についても言及し始めた。
(……この小娘、見覚えがあるわ。確か……クリムゾンと名乗っていましたっけ)
「クリムゾン、ですって⁉︎」
(ま、まぁ……どうされたの、ギュスターヴ様。そんな大声を出されては、周りの愚民共が驚くではありませんか)
周囲の目を「愚民」と切り捨てるエリーに指摘され、ギュスターヴはしまったと口を噤む。それでなくても、ロンバルディア市民にとって「クリムゾン」と言えば、話題沸騰中の女怪盗の名である。口にするだけで、注目度も抜群だった。
「あっ……す、すみません、皆様。少し、新聞を読んでおりまして……つい」
「あぁ、兄ちゃんもクリムゾンちゃんにほの字のセンかい?」
「やめとけ、やめとけ。兄ちゃんがいくらハンサムでも、相手がグリードじゃ、火傷するのがオチだぞ〜」
「そっ、そうですね……ハハハ……」
咄嗟に空気を取り繕うギュスターヴ相手に……きっと、労働者階級の男達だろう。宵の口だというのにエール片手に、2名の紳士が嬉しそうに囃してくる。とは言え……ここは彼らの陽気さに助けられた部分もあるので、大人の対応で乗り切るものの。更に刺激的な相手の名前を耳にして、ギュスターブは努めて腹に力を入れて怒りを押し留めていた。
「……ここまでくれば、ゆっくり話もできそうですね、エリー様」
(そうですわね、ギュスターヴ様。それにしても……あぁ、嫌だ嫌だ。本当に……貧民というのは、下品な上に、身の程知らずなのですから)
「まぁ、そう言わずに。……彼らに、悪気はないと思いますよ」
(ギュスターヴ様はどこまでも、優美でいらっしゃるのね。……生きていたら、娘の婿にして差し上げてもよかったのに。しかし……それはそうと、もう少しマシなお部屋はありませんの?)
「仕方ないでしょう。今回は駆け込みなのですから。今夜はこちらで我慢しなければなりません」
腹痛を抱えて、苦し紛れに手頃なホテルに駆け込んで。抜かりなくチェックインを済ませては……簡素な部屋で、ようやくの一息をつくギュスターヴ。そうして改めて、あまり見たくもない例の記事を広げては、エリーに話の続きを促す。
「ところで、エリー様。あなたの言う小娘は、こちらのキャロルで合っていますか?」
(そうね。仮面を着けていたけど……ラウールとやらがグリードであるのなら、ほぼほぼ、間違い無いでしょうね。本当に……思い出すだけで、忌々しい! この女のせいで、私達は逃げ遅れたのですわ!)
「そう、でしたか……。なるほど、キャロルはとうとう……クリムゾンに取り込まれてしまったのですね。でしたら尚の事、グリードとクリムゾンの魔の手から救い出してやらねばなりません」
(まぁ……ギュスターヴ様はこちらのキャロルに、何か思われることがおありなのですか?)
「それなりに。……グリードに花嫁候補を取り上げられた事が、2回ほどございましてね。その2回目が、このキャロルなのですよ。そして、彼女が名乗っている“クリムゾン”は私を裏切ったカケラの名前です。……キャロルが私を庇って、クリムゾンの攻撃を受け止めてくれた事があったのですが、きっとその時に根付いたのでしょう。なんて、可哀想に……。それなのに、キャロルはそんな状況でもグリードに利用されているのですね……!」
ブランローゼ城での、逃亡劇の一幕。あの時のクリムゾンの怒りは、ギュスターヴを全身火傷にするまで治らなかった。ギュスターヴはクリムゾンの叛逆を「裏切り」だと定義しているが、それはどこまでも所有者側の思い上がりというもの。……故に、ギュスターヴに今のキャロルの現実を知る余裕もなければ、理解しようという度量もない。
(……面白い事になってきましたわ。……ふふ……このまま、この男に根付いて……最後まで見届けてみるのも、悪くありませんわね)
ギリリと歯を食いしばり、最後は憎たらしいとばかりに新聞をグシャグシャに丸めては、屑籠に放り投げるギュスターヴ。スポンと気持ちよく、新聞だった紙屑は屑籠の底へコトンと着地するが。しかして、ギュスターヴは自分の腹の底で同伴者が「よからぬ事」を考えているなんて、知る由もない。そして、自身のあまりにお粗末な勘違いが、救いようもない程の絶望をもたらす事も……知り得ぬことであった。




