牙研ぐダイヤモンド(1)
足が重い……いや、もう足なんてなかったっけ。体を動かそうにも、神経の行く先が見当たらずに、もがいたところで反応もない。まるで……自分の体が、自分のものではないように感じる。足もない。生きる気力もない。このザマじゃ、まるで……“彷徨えるヒース人”の幽霊じゃないか。
「退屈だ。なぁ、お前もそう思うだろ? ユア……あぁ。そう言や、そうだった。……俺はもう、一人ぼっちなんだよな……」
いつもの癖で、相棒に話しかけようとしたところで……喉に言葉を詰まらせる、ジャック。彼が転がっているのは、ヴランヴェルトの療養施設のベッドの上。常に清潔に保たれた病室で、常に最適な治療を施され……ジャックは不自由ながらも、命を繋ぎ止めたが。以前のように大暴れもできなければ、大暴れする気概も持てない。
旧・シェルドゥラの秘密基地に乗り込んだまではよかったものの、ご主人様に指定されたターゲットがあまりに悪すぎた。ユアンのご主人様も、ブライアンの上司も……そして、ジャック自身も。こちら側は全員丸ごと、略奪を試みたターゲット……アダムズ・ワーズの真価を見誤っていたのだ。
ご主人様達はダイヤモンドの完成品を2人も揃えれば、勝てない者はないと思っていたのだろうし、実際……ユアンもジャックも、3人で力を合わせれば降せない相手はいないと自負してもいた。それでなくても、相手は苦手なコランダムではなく、硬度も靭性もこちらの方が優位なアレキサンドライト。勝てない要素さえ、見当たらない。そう、思っていたのに……相手がまさか完成品の上を行く、来訪者そのものとして完成しているなんて。……ただの手違いによる悪夢だと片付けるにしても、それは最悪の予想外でしかない。
「調子はどうだ、ジャック」
「……ルサンシーの兄貴か。わざわざ、俺のシケた顔を見に来るなんて……ご苦労な事だね」
「見舞いに来てやったのに……そう、言うなって。今日は紹介したい相手が来てもらったんだ。……はい、ラウール君。こいつが、俺の弟分で……」
「ジャック様、でしたよね。……存じてますよ。うちの愛犬と娘が大層、お世話になったようですから」
直接顔を合わせるのは、本当に初めてだが。こいつが噂に聞いていた、金緑石ナンバー3……究極の完成品と悪名高い、イレギュラー種か。
初対面から敵意混じりの視線を受け止めて……相手のディテールにも、しっかりと思い至るジャック。そうして、更に彼の言う「愛犬」と「娘」が誰なのかにも当たりをつけては、冷酷だとばかり思っていたアレキサンドライトは、揃って甘っちょろいことを言う奴らなのだと、ジャックは諦めたように苦笑いしてしまう。
「なるほど、ねぇ。アレキサンドライトって言うのは、本当に家族ゴッコが好きなタイプのカケラなんだな。……別に、あんたの家族に恨みはないんだよ。命令で仕方なく、首を突っ込まざるを得なかっただけなんだから」
「左様で? ヴェーラ先生には、執行人の一員だと、堂々と自己紹介をされたと聞いていますよ。それも、アダムズの命令だった……いや、違いますね。俺はてっきり、あなた達はアダムズの手の者だとばかり、思っていましたが。執行人などという肩書きも、別のご主人様のご意向だったという事ですか?」
「そういうことにしておいてくれるか? ……相棒がその肩書きを気に入っていただけなもんでね」
もう、潮時か。執行人の肩書きを気に入っていた相棒は、傍に居ない。今あるのは、心も半分こになった情けない片割れだけ。生きている意義さえ見つけられない以上、素直に白状してしまった方が却って、スッキリするかも知れない。そう、敢えて思い込んで……ジャックはポツポツと、事情と言い訳を語り出す。
「あぁ、誤解されていたみたいだから、一応は正解を言っておこうかな。……俺達のご主人様はアレン王子だよ。ま……元はと言えば、ルサンシーのご主人様から、俺達だけ譲られた形になるんだけど。相棒が表にいる間は、本当に色々やらされていたっけな。……あいつが心の底から仕事を楽しんでいたのは、オペラ歌手だった時くらいなもんさ。後は汚れ仕事に、雑用に、尻拭い。……ホント、ユアンはよく耐えていたと思うよ」
「そう、でしたか。ルサンシー様とヴァン様のお話から、アレン様はミュレット……あ、そちらではニュアジュと呼ばれているのでしたっけ? どうも、彼女の息がかかっているようだと、それとなく知らされてもいましてね。先達てから王宮内でも姿が見えないと報告も上がっていますし、アレン様もロンバルディアの覇権奪取に本腰を入れ始めたという事でしょうか?」
「いや……それは、違うと思う。アレン様はどうも弟や妹を守るために、ニュアジュに協力していたみたいでね。きっと、いよいよ追い詰められているんじゃないかな。……何せ、俺達が任務に失敗したもんだから。ニュアジュがそのまま諦めてくれれば、いいのだけど。……あのオバさんの性格からして、それはないだろうな」
あれで、ニュアジュは見境も節操もないもんだから。
苦し紛れに相手を貶めて、申し訳程度に自尊心を埋めようとも。ジャックの心はポッカリと半分になったまま、埋まることもない。それでも、伝えなければと……ジャックは潮らしく肩を窄める。
「……ニュアジュはアレン様を復元の土台として使うつもりなんだよ。……アレン様は、さ。大したもんで、その辺もよく分かっていたらしい。先祖返りを再現するには、濃い王族の血統が必要……そして、自分が1番可能性が高いという事を知ってもいた。だから、……いざとなったら、自分を使うといいだなんて、王子様にしては悲しすぎる事も言ってたっけ」
いつかの一室で、毒入りの紅茶さえも朗らかに飲み下してみせた、かつてのご主人様。確かに彼はユアンに理不尽なことも押し付けてきたし、彼を使って気に入らない相手を揉み消しても来た。だが、その悪行は憂さ晴らしなのだとユアンに理解させる程に……彼は自身の中に真っ黒な痼を抱えたまま、悩み憂いていたのを、ジャックも知っている。
「……ジャック様。そのご様子ですと……もしかして、彼らの行き先にもお心当たりが?」
「うん、それなりに。アレン様はあれで、インフラ整備に首を突っ込んでいたからね。治水工事なんかも、手広くやってたよ」
「治水工事……ですか? しかし、ロンバルディアにはそんなものが必要な暴れ川はなかったかと……」
しかし……そこまで答えたところで、ふと何かに気づいたらしい。ラウールも「あっ」と小さく声を上げると、ジャックの言わんとしていることを理解した様だ。
「……そういうこと、ですか。セヴルに不自然な水門がありましたね。しかも、大規模な下部貯留槽込みの」
「へぇ、天下のロンバルディアは違うねぇ。必要もないのに、王族の意向でそんなものを作れちゃうんだ?」
「現代のロンバルディア王宮の面々は、何かとハコモノにこだわる部分がありましてね。城の馬鹿げた大きさに始まり、過剰な軍備施設にと……何かと自己主張をしないと気が済まない方々なのですよ、ルサンシー様」
「へぇ! そいつは豪気だね」
ラウールの皮肉っぽい態度も相変わらずだとルサンシーは思いつつ、わざと戯けてみるものの。そんな寸劇を前にしても、ジャックの表情は晴れない。
「……とにかく、ジャック様はここで安静にしていてください。ヴィクトワール様が義足を作られると言っていましたし、そちらができれば……」
「いや、そんなもの……いらないよ。俺が欲しいのは、いつも通りの相棒だけさ。……でも、もうあいつは帰ってこないだろうな。抉られた核石がどうなるかくらい……俺だって、知ってる」
「……」
引き剥がされた核石は意思や熱を持つとは言え、同じカケラとして生き返ることはできない。あるとすれば、他の肉体に埋め込まれ、自我を吹き返すくらいか。特に……ジャックのケースでは、「いつも通り」は絶望的な確率とさえ、言えるだろう。それでも……。
「承知しました。もし、あなたの相棒に遭遇することがあれば……あなたの居場所を伝えて差し上げますよ」
「……そう、だな。それでいいよ。もし、見つけたら……帰って来いって、声をかけてやってくれる?」
転がされたままのベッドの上で、ようやくジャックが力なく微笑む。足もいらない。自由なんか、最初から持っていない。でも……2人が一緒だった思い出だけは、絶対に失くしたくない。
(なぁ、ユアン。今、どうしてる? 俺……1人にされて、とっても寂しいよ。早く……帰ってきてくれよ……)




