蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(26)
旧・シェルドゥラの研究所を手放し、アダムズが次の拠点に選んだのはロツァネルだった。宝飾店・ジョワイエール。代表はアンリエット名義になってはいるが、この店もアダムズ肝煎りの大事なお庭の1つである。
アダムズにしてみれば、旧・シェルドゥラの拠点を手放すことになんら、不都合はない。むしろ、自身が手がけた最高傑作の性能を引き出すという意味でも、餌を与えるのは理にかなっているとさえ、思っていた。
「あなたが材料を持ち出してくれていたおかげで、助かりましたよ。……この事実に免じて、娘の財産を勝手に持ち出した粗相は不問にしましょう」
しかしながら、手放した拠点から資産を勝手に持ち出していい訳ではない。自分を頼ってやってきたのだろう青年貴族を迎え入れてやりこそすれ、嗜めるべきところはしっかりと、嗜めるアダムズ。それでなくても、彼が盗み出した資材はアンリエットにとっても重要な逸品である。ここで取り戻さないのは、愚の骨頂というもの。
「それにしても……何と、嘆かわしい。いくら貴族ではなくなったとは言え、ここぞとばかりに火事場泥棒になるなんてね。手癖の悪さは、グリードにも遅れを取りませんね?」
アダムズは眼前で萎縮している青年貴族が、アンリエットが溜め込んでいた非常食を盗み食いしていることも知っていたし、それを当然のように寄越せと言える立場と権利も持ち合わせている。研究所の資材や資産は全て、アダムズが長い年月をかけて集めたコレクション。それらの譲渡先を決めるのはアダムズであって、そこに群がる蛾達ではない。
「大変、失礼……いたしました……」
傍に置かれているいかにも重たそうなトランクを見つめた後、アダムズがギロリとギュスターヴを睨む。そうされてギュスターヴは弁明の言葉を紡ぐこともできずに、仕方なしに隠し持っていた皮袋をシオンに預けては肩を落とすものの。しかしながら、この先も存在を磨くともなれば、目の前の怪人の手助けは必須だ。
ギュスターヴもまた、自分の立ち位置がタダの取り巻きであると感じ取っては、素直に彼に従う。果たさなければならない目標がある以上、アダムズの怒りに燃やされるのは面白くない。
(ここは辛抱強く、機会を待ちましょう、ギュスターヴ様。ふふ……しかし、面白いことになってきましたね。あのトランクの中身も……グチャグチャにしてやらなければ、私、気が済みませんことよ?)
近くにアダムズとシオンがいるため、内から響く協力者の声に答えることはできない。だが……エリーの言からするに、彼女はラウール以外にも恨んでいる相手がいるらしい。そうして、トランクの中身が何なのかにも思い至ると……ギュスターヴはつくづく、彼女とは目的も利害も一致するものだと、苦笑いしてしまう。
(そうだ……今は、我慢の時。グリードも、クリムゾンも……そして、この際だからアンリエットも潰さねば。彼女がいる限り、私はずっとずっと……仮面を被ったままの、モルモットでしかいられない)
アダムズが自分を助けた理由くらい、とっくに分かっている。全ては自身の好奇心を満たすため。全ては……好奇心の赴くままに繰り返してきた研究を、深化させるため。そして、彼の現在の目標がアンリエットとの平穏であることを、ギュスターヴは理解していた。
(だからこそ、ライバルは蹴落とさなければならない……!)
もう、ギュスターヴの体は普通の食事をほとんど必要としない。必要なのは、蒼鉛の体を維持するための背徳の結晶。誰かの命を毟り取って生成されたそれは……他者の存在そのものの延命を可能にする。
きっと、アダムズは自分から押収した背徳の結晶を娘の延命に使うのだろう。それを必要としているのはギュスターヴも同じであるという現実を無視して、見せつけるように……さも、当然のように。
「あぁ、そうそう。……ギュスターヴに1つ、お願いがあるのです」
「お願い、ですか? どのようなことでしょうか?」
「なに、大した事ではありません。この2つのダイヤモンドを、ご主人様とやらに返しておいて欲しいのです。怒りに任せて、剥ぎ取ってみましたが……あぁ、なんて悍ましい。ダイヤモンドのクセに、折角のファイアをこんなにも濁らせて。……私は美しくないものが、本当に嫌いでね。こんな屑石、サッサと手放すに限る」
事もなげに、まるで放り投げるように手の平大程の宝石を寄越すアダムズ。その様子に、シオンが僅かに眉を顰めたが……ご主人様のご意向は熟知しているとばかりに、要領を得ないギュスターヴに丁寧に説明を施す。
「……そちらはオルロフ・ブラックダイヤモンドと、ホープ・ダイヤモンドの核石です。ですが、生憎と私達の同胞にダイヤモンドは必要ありません。こちらのダイヤモンド2つを、警告の意味も込めて……アレン・ロンバルディアへご返還いただきたいのです」
「アレン……ロンバルディア、ですって?」
アレンはかつてのグスタフとは従兄弟の間柄である。そこまで親しくしていた訳ではないが、互いに顔見知りくらいのお付き合いはあった。
(なるほど……そういう事、でしたか……!)
だが、ただただ親戚だというだけの王子を相手に、余計な勘違いをしては……またも1人で怒りを激らせるギュスターヴ。アレンは、どこかの誰かさんの初孫でもある。そして、どこかの誰かさん……ブランネルの息がかかっていると、思われるともなれば。彼もまたあいつ側の相手なのだろうと決めつけ、荷物の配達どころでは済まされないと考える。
もちろん、シオンの解説にはそのような含みは一切、ない。首を突っ込んでいる事案は同じとは言え、アレンとブランネルには、そちら方面の結託は皆無ですらある。だが、極度に肥大した被害妄想と英雄主義に凝り固まったギュスターヴにとって、そんな事はそれこそ、どうでもいい。
目的は自分をこのような境遇に貶めた、全ての相手に復讐すること。そして、心の底から理解していることとしては……そのために、全てを圧倒する力が必要だということ。
清々しい程に禍々しい、目標を胸に秘めつつも。ギュスターヴは両の掌に転がる黒と青の貴重な宝石が放つ、なけなしのファイアを……濁ったブルーの瞳で、憎たらしげに見つめるばかりである。
【おまけ・ビスマスについて】
宝石ではなく、金属の一種でして。
「蒼鉛」と書くものの、本体は銀色をしています。
結晶化したものは虹色に見えますが、これまたビスマス本体の色ではなく、酸化した表面に光が反射した時に見える構造色(スペクトルの分光による発色)だったりします。
しかし……ただただ、光を反射しているだけだと言われても。
なかなかに神秘的な色と姿をしているのですよ、このビスマス結晶。
観賞用に販売されている事もあり、迷宮の階段っぽい形から、なんとなーくファンタジー臭がプンプンします。
【参考作品】
『ダルタニャン物語』
『アニメ三銃士』
鉄仮面のモティーフの着想はこちらから拝借しています。
なお、「怪力」の要素に関しては、『アニメ三銃士』の影響が強いです。




