蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(24)
ギュスターヴを追いかけなかったのは、決して彼を侮っていたからではない。ショックと怪我で立ち上がれなくなった、愛犬を慰めるためだ。見れば、可哀想に……ジェームズの前脚が1本、明らかに折れている。これでは走ることはおろか、歩くこともできないだろう。
カケラとなった者は体内を巡る鉱物の硬度により、多少は体が頑強になるものの、怪我の治りは普通の生物となんら変わらない。骨が折れれば安静を余儀なくされるし、治療も必要だ。しかし、普通の病院には掛かる訳にはいかない以上、その治療は特殊機関頼みとなる。
「とにかく、俺達は先に戻らせてもらいましょう。……家族が怪我をしたとなれば、お仕事の継続は不可能です」
【……ラウール、ジェームズ……ダイジョウブ。オいてイってもらってカマわない。……アトでオいつくから】
「そんな訳にはいかないでしょう? どうして、あなたを置いていかなければならないのです」
「そうだぞ、ジェームズ。ここはラウールに運んで貰えばいいだろう。……元々、こんな所の調査は私達には関係ないのだし」
流石の娘もどきも、この状況で自分を抱っこしろとは言わずに……心配そうに、父親もどきの腕の中でか細く震えているドーベルマンを見つめている。きっと、愛息の現状と彼に突き飛ばされたという事実に打ちのめされたのだろう。明らかに怪我の痛みだけではない震えに、ラウールがヨシヨシとジェームズの背中を摩る。
「しかし、さっきのグスタフの様子だと……放っておくのは、まずいかもな」
「……でしょうね。彼は明らかに、例の悪魔憑きと同じ状況に身を置いているものと思われます」
黒光りする右腕を起点に、悪魔へと変貌を遂げた銀行強盗。腕の出どころは、ヴランヴェルト側でも調査中の扱いだったが……ここにきて、出どころだけはハッキリしたと、ラウールは嘆息してしまう。
ある程度、予想していたとは言え。かの怪人の暗躍が八面六臂過ぎて、彼の思想にも行動力にも、ますます付いていけない。
「それに……あぁ、これ以上は止めておきましょうか。とにかく、ジェームズ。気を強く持って下さい。……グスタフの事は、また別の機会に考えましょ」
【……うむ……】
言いかけた言葉をラウールが飲み込んだところで、ジェームズの気分は到底上向かない。きっと、賢いドーベルマンのこと。その先にある現実にも、気づいてしまっているのだろう。……鎧に感化された末に、ギュスターヴがどうなってしまうのかを。
(……本当に嫌になってしまいます。どうして、俺はこうも因縁を作ってしまうのでしょうか……)
***
【こんなもの……でしょうか? それにしても、ワタシのケンキュウジョにダイヤモンドが3人もソロうなんて、オモいもしませんでしたよ。……ヒサしぶりですね、ルサンシー】
「そうだね。久しぶりだね、アダムズ。……しかし、究極の彗星への対抗手段を模索するためとは言え、これはちょっと悪趣味が過ぎるんじゃないの?」
予断なくキャメロの部隊を背後に控えさせ、ルサンシーがさもお笑い種だと、肩で笑う。一方のアダムズは娘と付き人の窮状に駆けつけたものの、怒り任せに退化をしでかしては、バイコーンとトライコーンのカケラを完膚なきまでに降した後だった。残るは、試験槽の後ろでガタガタと震えている、のっぺりとした面の男のみ。
「ル、ルサンシーの兄貴……なぁ、あいつは何なんだ? 相棒が……相棒が……!」
「うん、今の君は……ジャックの方かな? だとすると……あぁ、そういう事。……ユアンは取り込まれてしまったか。あれは、ね。アレキサンドライトの完成形……融和の彗星そのものさ」
性質量が減って、涙を流せるようになったらしい弟分が、ルサンシーの足元に縋り付いてくる。にじり寄ってくる惨状からしても、相当に叩きのめされたのだろう。足は跡形もなくひしゃげ、匍匐前進で近寄ってくるのを……不気味がることもなく、誠心誠意に慰めてやるルサンシー。だが……聡明で情報通なルサンシーも、ここまでの惨状は予想していなかった。何せ……。
「……アダムズはとうとう、完成してしまったのだね。ラウール君を作り出してから、そちらは諦めていたと思っていたけど……あぁ、そういう事か。どうやったのかは、知らないけど……残りの15%もくっつけられたんだ? だから、死に際を受け入れることができるようになったんだね」
そう。ルサンシーも予想していなかったのだ。アダムズが100%の性質量を取り戻すに至っていた事を。だからこそ、2人で100%を誇るバイコーンの死神にはアダムズでは敵わないと思っていたし、究極の彗星への抵抗手段を揃えるためにも、怪人の助力も必須だと考えていた。
【モチロン、アルティメットのアイテはラウールにさせます。……ワタシはあくまで、クズイシドモのチりギワをミつめるのがスきなだけ。だが……アルティメットがいたら、そのタノみもウバわれてしまう】
「だから、化け物退治はラウール君に押し付けて、自分は高みの見物を気取ると? ……なるほどねぇ。相変わらず、高い所が大好きな馬鹿さ加減は変わっていないんだ」
【そういうコト、です。イズれにしても……フム】
きっと、非常食もここで作っていたのだろう。手近な試験槽の中から、目敏く金緑石のストックを見つけ出すと、中身をゴクリと丸呑みにする紫色の魔竜。
「やはり、この姿の方がしっくりと来る……さて、と。とりあえず、ここは退かせて頂きましょうか。……シオン、立てますか?」
「は、はい……アダムズ様、申し訳ございません……」
「なに、君が謝る事はありません。……娘はまだ無事なのですから、修復もいくらでもできます。あぁ、それと……ルサンシー」
「何かな?」
「その様子だと、ラウールと接触を図ったようですね? でしたら……ここの資材は研究所ごと、お譲りしましょう。是非に手を取り合って、究極の彗星を討ち取ってください」
「言われなくても、そうするさ。だけど……アダムズはそれでいいのか? お前はいつもいつも、見ているだけじゃないか。少しは……」
「ふん、陳腐なことを仰るようになったのですね、ルサンシー。もしかして、テオに感化されましたか?」
おや、知ってたの。流石、神出鬼没の怪人・アダムズ。
……なんて、戯けて見せても。ルサンシーの視線が柔なくならないのも見届けて、やはりこちらはこちらで、フンと小さく息を吐いては……怪人が娘を抱き上げ、去っていく。そんな彼に追従するように、シオンも後に続くが……そこは、きちんと躾けられたレディというもの。去り際に主人の不躾を穴埋めするかのように、きちんとカーテシーをしてはクルリと背を向けた。
「……さて、と。こっちには大した被害は出てないが……う〜ん。でも、やらなきゃいけないことは、山積みっぽいな。申し訳ないんだけど、キャメロ君。……色々と面倒事をお願いしても、いいかな」
「勿論ですよ、ルサンシー様。その為に我々がいるのです。面倒事の内容はこちらの被験者達の確保と……怪我人の収容、で合っていますか?」
「うん、合ってる。……ただ……」
「そう、でしょうね。……あちらのお1人はもう、助からないかと……」
ルサンシーとキャメロが目配せをした視線の先には、壁にめり込んだ状態でピクリとも動かない青い竜の姿がある。喉を抉られ、首が見事に畳まれているのを見る限り……この状態で生きていると考える方が、馬鹿げている。
「……きっと、アダムズを怒らせるような事を言ったんだろうねぇ。アダムズは自分の手を汚すのを、極端に嫌うから。……ブライアンの処理は任せるよ。喉元を持っていかれている時点で、肝心な部分はなくなっていると思うけど。……せめて、弔ってやってくれないかな」
「承知しました。それと……誰か、こちらの紳士に手を貸してあげなさい! 緊急治療病棟へ搬送するんだ!」
キャメロの号令に従い、嗚咽を漏らすことしかできないジャックを2名の団員達が手早く担架に乗せる。そうされても尚、ジャックが自分の心配どころか、相棒の心配をしているのを見つめては……ルサンシーはやり切れないと、1人でこっそりと肩を落とした。




