蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(23)
どうして? どうしてだ? どうして……私はまた、負けなければならない?
切り崩されたプライドが半壊する頃、ギュスターヴは理由も出どころも分からない涙を流していた。どうも、彼の涙は無駄に塩分が濃いらしい。仮面の下で彼の顔を覆う樹脂をも容易く通過しては、ギュスターヴの爛れた肌に容赦無く突き刺さる。
【ラウール! もう……そろそろ、ヨしてやってくれないか……?】
仮面が邪魔をしていて、息子の表情は窺い知れない。だが、父親として息子のことを知っているはずのドーベルマンには、ギュスターヴがどんな状態かくらいは見当がつく。
ギュスターヴ……いや、グスタフには昔から無言で涙を流す癖がある。人前で泣くのは格好悪いと、表舞台では常に気取った澄まし顔をしていたが。それは純粋に、悔しさをやり過ごしていただけでしかないし、なかったこととして強制的に自己暗示をかけていたに過ぎない。だが、いくら思い込んでみても……限界を迎えれば、自覚があろうとなかろうと。悔し涙が溢れるのは、無理からぬことだった。
【……グスタフと、ハナシがしたい。スコし、ジカンくれ】
「分かりましたよ。……他ならぬ、愛犬の頼みです。少しと言わず、好きなだけお話しすればいいでしょう」
【……すまない】
あぁ、やっぱり。この子は泣いているんだ。
心配そうにスンスンと鼻を近づけては、ギュスターヴの仮面の奥の瞳を見つめる、ライムグリーンの瞳。だが……澄んだライムグリーンとは対照的に、鉄仮面の奥に沈むのは淀んだブルーでしかない。
【……グスタフ?】
「……違う……」
【えっ?】
「違う……違う、違う! これは私が望んだ結果じゃない!」
【グスタ……キャンッ⁉︎】
「どけ! この穢らわしい、獣が! お前が私が尊敬する父のはずが、ないだろう!」
【グ……グスタフ……?】
右腹や右腕を抉られていても、走ることはできる。
自分を心配しているらしいドーベルマンに左腕の剛腕を振るい、怒り任せに突き飛ばす。仇敵に敗北した屈辱と、犬に心配された雪辱と。雑多な悔しさをバネにしながら、お利口に稼働するバネ仕掛けの俊足で、一旦の退却を決断するギュスターヴ。そうして、飽きもせずに物騒なことを考える。
もっと……もっと、力が欲しい。それこそ……あいつを完膚なきまでに、叩きのめす程の力が。
***
(……追ってこない……か。ふん、見くびられたものだ)
追手がないことに安心半分、寂しさ半分。それでも、今は体勢を整えるのが先決と自身に言い聞かせ、ギュスターヴは秘密の小部屋へと歩みを進める。……研究所で生成された自分の体の原料は、そちらにあったはずだ。
「確か、この辺に……あぁ、あった。……非常に気に食わないが、一旦はここで体勢を立て直すか……」
柱と柱の間に潜む、隠し扉の向こう側。アンリエットが「自分の為に」用意していた保管庫にまんまと侵入すると、ギュスターヴは疲れたようにため息を吐く。そうして、1人きりの状況に寂しさを募らせるが……。
(あなた、あいつに復讐したいのでしょう?)
「……⁉︎ だ、誰だ……?」
(あら、今までお気づきにならなかったの? ……こんなにもお近くに控え、お支えしておりましたのに)
1人きりだったはずのギュスターヴに、ヒソヒソと話しかけてくるものがある。そうして、ややお年を召しているらしい彼女の音源を探れば……自分自身の内側から聞こえてくるのにも気づく、ギュスターヴ。もしかして……?
「あなたは……この鎧の中にいるのか……?」
(あぁ、鎧……になるのでしょうね、これは。まぁ、いやだ、いやだ。私は常に、守られる側だったと言うのに)
「えぇと……」
(あら、失礼。……うふふ。そんなに怯えなくても、よろしくてよ。……私はあなた様がご指摘されるように、こちらの一部でございますの。更に詳しく申せば……あなた様の体を形作る大元だったと言えば、いいかしら?)
「体の大元……」
突然始まった淑女の呟きに、耳を傾ければ。彼女はギュスターヴの鎧を作り上げている、特殊素材の原材料だったのだと言う。そうして、生み出された特殊素材……ダークオーラクォーツの結晶を混ぜ込んで作られているのがギュスターヴの機械仕掛けの体であり、彼の素地の信号系統にさえも連結し、稼働するのは偏に、彼女のようなダークオーラクォーツの原料が幅を利かせているからだった。
(……と、私のあらましはどうでも宜しくてよ。これはきっと、運命の悪戯とでも言うべきなのでしょうね。……偶然にも、私にもあの男に恨みがございますの。しばらく、あなたに馴染むのに時間がかかりましたが……先程の光景に、きちんと理解いたしましたわ。……私も、あいつに復讐したい。そして、あなたもあいつに復讐したい。目的が一致している以上……全力で協力させていただきましょう)
「協力、ですか? ミセス……」
(あら! これまた失礼いたしました。そうね……私はエリーメルダと申しましたわ。ふふ。折角ですから、エリーと呼ぶことを許してあげます)
「は、はぁ……」
自分の一部を形作っている割には、エリーという淑女は高慢で、居丈高な態度を崩さない。それでも、全力で協力するという言葉に偽りもないらしい。「しかと、ご覧あそばせ」と何かに集中する雰囲気を醸し出したと思ったら、ギュスターヴの右腹や打ち砕かれた右腕がゆっくりと再生していく。
「な、なんと、素晴らしい!」
(ほほほ……私にかかればこんなものですわ。ですけど、無限に再生できるわけではありませんの。……肉体を作るのに、原料が必要なのは普通の人間と変わりはしません。ですから……)
「えぇ、分かっております、エリー様。……これを補充すれば良いのでしょう?」
グニャリと笑顔を歪ませると同時に、仮面を剥ぎ取って。アンリエットが隠し持っていたダークオーラクォーツの結晶をガリガリと咀嚼し、飲み下すギュスターヴ。そうされて、エリーが歓喜の声を上げると同時に……確かに、腹の底から力が漲ってくるのを感じる。
「そうか……最初から、こうすればよかったのですね。今の私なら……!」
(いいえ、まだ無理よ。だって、あいつはちっとも本気を出していないようでしたもの。……焦らず機会を窺うのです、ギュスターヴ。今は悔しくとも、結果的に勝てれば良いではありませんか。……最後に笑うのは、私よ)
「……そう、ですね。では、まずは……」
(逃げ延びて、体勢を立て直すことをお勧めいたしますわ)
意見の一致に、目的の一致。全てがピタリと重なった安心感に、ギュスターヴはエリーをすっかり信頼し切っていた。それでなくても、彼女は手負いの自分をすぐさま立て直した恩人でもある。かの怪人が言った通り、この体は大切に使わねばと別の決意も新たにするが……エリーはギュスターヴが思っている以上に、高慢で狡猾だった。彼が内に潜む淑女の目論みに気づくのは……少しばかり、先のことである。




