蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(21)
そろそろ、お茶の時間だろうに。アンリ様はとにかく、シオンはどうしたのだろう?
自分をモルモット扱いするアンリエットよりも、それなりの配慮を見せるシオンの方を心配しては……やれやれと、腰を浮かせるギュスターヴ。体の馴染みも悪くないようだし、散歩に出かけがてらシオンを探すのも一興だ。
(それでなくても、アンリ様のお茶は必須事項だろうに。時間に遅れてしまっては、大変だ)
アンリエットが普段嗜んでいるお茶は、言わば精神安定剤の一種である。だが、安定剤と言いはしたものの、中身はごくごく普通の高級な紅茶に変わりはない。それでも、アンリエットには「紅茶を嗜む」という行為そのものが必須であり、ティータイムを実施できないという事は、彼女の精神バランスが崩れる事を意味する。
(人間と同じように……か。なんとも、因果な身の上だな……)
同じ屋敷に住む以上、ギュスターヴもアンリエットのディテールはそれとなく聞かされてもいる。父・ジェームズに禁忌の秘術とそれを賄う元手を授けた、危険思想の探求者・アダムズ。そして、アダムズ以上に残忍で探究心も旺盛な娘・アンリエット。
父親も人ならざる者ならば、娘も人ならざる者。だが……娘は人間としての記憶と、生活様式とに固執し続けていた。そのかつての「様式美」を繰り返すことで、彼女は「自分は自分自身だ」という記憶を刷り込み直し、精神の安寧を見つけ出すのだ。
(おや? どうしたのだろう? 妙に、向こうが騒がしい気がするが……)
居住スペースは静まりかえっているが、目と鼻の先に聳える研究スペースからは、異様な雰囲気が漂ってくる。そうして見やれば、中庭に妙に既視感のある奴が入り込んでいるのが目に入った。
「あ、あいつが……どうして、こんな所にいるんだ……?」
忘れやしない。気取った仏頂面に、澄ました渋面。ギュスターヴに不自由な現状をもたらした、何よりも憎たらしい因縁の相手……ラウール。しかも、腕には見覚えのありそうな真っ白な少女を抱えては、我が物顔で芝の上を彷徨っている。たまに、足元で鼻を鳴らしているドーベルマンに話しかけているのを見る限り……何かを探しているようだ。
(もしかして、あの少女はイノセント……?)
ギュスターヴには、イノセントが狩人達に鎮められたまでの記憶しかない。だが、窓からこっそりと様子を伺う限り……白すぎる肌に生意気そうな面立ちは、かつて純白の台座で力なく蹲っていた彼女そのものだ。しかし……イノセントが狩人の仲間であるはずのラウールを嫌がっている様子もなければ、ラウールも満更でもない様子。きっと、相当に懐かれているのだろう。その親密さが、理由は分からないにせよ、ギュスターヴには何よりも不愉快に映った。
「……許さない、許さない、許さない……! お前だけは……絶対に、許さない……!」
窓越しにギリリと歯を鳴らしては、仮面の下に怒りの形相を隠し持つギュスターヴ。そう……彼がグリードと名乗る相手を痛めつけないと鎮まらない体なのは、今も変わらない。
業火の中で本能レベルにまで焼き付けられた、この恨み……晴らさずして、なるものか。
***
「ジェームズ、どうですか? アダムズがいるかどうか、分かりますか?」
【……】
「ジェームズ? どうしたのだ? 先程から、黙りおって。何か、見つけたのか?」
キャメロの保護部隊は研究所方面の制圧に動いている。そんな中、ルサンシーの助言に従って、ラウールはアダムズを探しにやって来ていたが。中庭に足を踏み入れた途端、ジェームズの口数が極端に少なくなった。
本来は犬なのだから、喋らないのは当然ではあるが。ジェームズは部外者がいない所であれば、殊の外陽気で饒舌なナイスガイである。しかし、そんな陽気なはずのジェームズはラウールとイノセントとで話しかけても、一向に返事もせずに……困ったようにため息をついた。
【キュゥゥゥン……】
そうしてとうとう、悲しそうな声を出しては……ジェームズがへたり込む。その様子に体調が悪いのだろうかと、イノセントを下ろしてジェームズを抱っこするラウール。
「どうしました、ジェームズ。大丈夫ですか?」
【キュン……】
「もしかして、言葉を忘れたのか?」
そうじゃない。そうではないんだ。
イノセントの問いに、フルフルと首を振っては、違うと自己主張するものの。どこかで見ているかもしれない、誰かさんの気配を感じ取っては……尚もか細く悲しそうな声を出す。
「……ここは一旦、引き返した方がいいでしょうか。よく分かりませんが、ジェームズにはこの場所が辛いのかも」
「そうなのか? しかし……あぁ、そうかも知れないな。……私もこの場所は嫌いだ。嫌に綺麗で気取っているが、ルーが言っていたことからしても……私達にとっては、墓場みたいな所だからな。ここは」
ルサンシーをルーと呼びながら、フンスとイノセントが鼻を鳴らす。そのルサンシーはキャメロ部隊の護衛として、別行動を取っている。そうして、ここはルサンシーをもう一度問い詰めた方が良さそうだと、Uターンをして中庭を後にしようとするラウール一行だったが……。
【どうして、デてキてしまったんだ……】
「ジェームズ? というか……おや? あなたは……?」
ようやくお喋りを再開した愛犬の呟きが向いている先には、ポツリと佇む紳士が1人。背格好からして、アダムズではなさそうだが……。
「……ラウール。こいつ……グスタフじゃないか?」
「グスタフ、ですって? だとすると、ジェームズが先程までダンマリだったのは……」
忘れ形見になっていたはずの愛息の気配を感じていたからか。
しかして、そんな事をラウールが思い至るか、至らないかの合間に、ヒョイと飼い主の腕の中から芝上に着地しては。ジェームズがラウールの足元にピタリと控える。
「……悪趣味ですね。父上の名前を、犬に付けるなんて。それは父に対する、侮辱のつもりですか?」
「そういう訳ではありませんよ? 少なくとも、俺はジェームズを馬鹿にしている訳でも、侮辱するつもりもありませんし」
「それが侮辱だと……!」
【グスタフ、それイジョウはよせ。……ラウールにそんなつもりはナイ。ジェームズ、イマはイヌのカラダでイきてる。ラウールのトコロで、セワになっているだけだ】
「はっ……? そ、その声はもしかして……!」
不思議なライムグリーンの瞳のドーベルマンは、どこまでも聞き覚えのある声で語りかけてくる。あまりに信じられない光景に、ギュスターヴの頭はパニックになり始めていたが……本能だけは鳴りを潜めることもないらしい。最後にはあらぬ誤解に怨嗟を加えては、最も凶暴な結論を出す。
……そうだ。こいつが全部全部、悪いんだ。こいつが父上をこんな風にして、飼い慣らしたんだ。だったら……全て全て、壊して、壊し尽くして……晴らしてしまえばいい。恨みも、現状も……何もかも。




