蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(17)
この色味じゃ、寝かせ具合が足りないな。こいつが白ワインだったら、とっても若くてフレッシュ。だが、味わいの余韻と複雑さは浅く、アッサリし過ぎている。
目の前の堕天使の柔肌はメイプル色……まだまだ、人肌の明るい色を残していると、ブライアンは余裕の笑みで繁々と彼女を眺める。どこぞの宗教画の聖母のように、瑞々しい乳白色は、胸元の十字を刻んだ茶褐色を存分に引き立てるようだ。まるで……その1点に穢れを集約した、禍根の傷跡に見える程に。
【ここをトオすワケには、イかないのです! さぁ、おヒきトりを!】
「おや? お引き取りするだけで、いいの? やっぱり、君はNotre-Dame……我らの貴婦人! 慈悲深さも、最高傑作ってところかな?」
きっと、彼女は自分自身の醜さも、未熟さも知っているのだろう。この見た目であれば、相手を否応なしに怯えさせ、追い払えると考えている。女性でありながら、ここまで理性を保った退化ともなれば……トリガーとして機能していた剣の方に仕掛けがありそうだと、ブライアンは尚も面白そうに口元を歪めている。
「……ブライアン、大丈夫なのか?」
「うん? 何がだい、相棒」
「今回の目的からして、あの化け物も倒さねばならんのだろう? ……あれに勝てるのか?」
「あれれ? 相棒は地雷だけじゃなくて、お化けも怖いの? 大丈夫だって。相棒がいれば、この程度の半端者は木っ端微塵さ」
「私がいれば……?」
それはどういう意味だ? とファントムが問う間もなく、いよいよ対する聖母は直接行動に出るつもりらしい。取り込んだ剣を器用に再放出するように、両手に2本、背中に2本……そして、頭に1本の刃を作り出して見せる。そして……。
「おっと! いやぁ……危ない、危ない。ま、いいや。とにかく、相棒は下がってな。……あれ、ひと擦りでもしたら、結構ヤバいぞ」
「ヒィッ……!」
彼女が薙いだ軌跡を辿ってみれば。空っぽの試験槽がスパリと斬り伏せられており、斜めに入った切れ目で綺麗にズリズリと陥落していく。
「すっごい切れ味だね、そいつは。……って、そんなに睨むなよ。可愛かった顔が台無しじゃないか」
ファントム顔負けの、のっぺりした肌はテラテラと不気味に光を反射する。試験槽から漏れた溶液を惜しげもなく浴びて、尚もこちらを睨みつけてくる様相は……聖母というよりは、悪魔のそれに等しい。
【まだ、ヒきませんか? ……では、ツギはあなたをネラいます】
「あっ、なるほど。今のはデモンストレーションだったんだ」
見た目は悪魔でも、中身はまだまだ慈悲を残している。しかして……念入りに警告を重ねていた偽聖母も、いよいよ痺れを切らしたのだろう。ようよう彼女が思い切りよく、野太い轟音と共に左腕をブライアン目掛けて振り下ろす。既のところで、ブライアンが横に飛び退くものの。ズバリと一刀両断……彼が元々立っていた床には、まっすぐに一筋の剣戟跡が刻まれている。
「すっごいな、こいつは。……だけど……ふぅ〜ん。お嬢さんは本当に大した奴だよね。まだまだ、資材を気にする余裕があるんだから。その辛抱強さは楔石による、自我の結合によるものかな?」
【……あなた、ナニモノなの? どうして……それをシっている?】
女性のカケラは基本的に、巨人の姿へと退化したところで理性を保つことができない。……いや、男性のカケラでも相当の鍛錬を積まない限り、化け物の姿で理性を保持するのは難しいことなのだ。しかし、女性のカケラは鍛錬を積む、積まない以前に、元の姿に戻れないのが通例である。だからこそ、目の前の堕天使のからくりに興味津々と青い瞳を輝かせては……尚も、口元で下賤な笑みを作るブライアン。
彼女の原理を利用すれば、理想の聖母にもう1度会えるかもしれない。そんな事を企めば、企むほど……興奮し始めた体が疼くと、トライコーンの仮面の下でブルルとそれらしく嘶く。
「おっ、ようやく俺に興味を持ってくれる気になった?」
【カルクチのへらないカタですね、あなたは。そんなモノ、あるわけないでしょうッ!】
「おっとっとっと……危ないじゃないの、本当に。聖母様は博愛がウリだろうに。そんなんじゃ、俺のこと……教えてあーげない!」
興味もないし、傾ける慈悲もない。あなたの事なんぞ、知るつもりもないし、知りたくもない。
初手よりも更に苛烈な剣戟を繰り出しては、ブライアンを一刀の下に切り捨てようと、刃を振るうシオン。しかし、いくら素早く剣の連撃を繰り出しても、漆黒の駿馬を捉えることはできない。
片や、ブライアンはシオンの攻撃を的確にかわしながら、彼女の勘所も探り始めていた。これだけ暴れても、彼女が斬り伏せるのは、床と空っぽの試験槽だけ。足元を水浸しにしても、彼女は頑なにあるものだけは傷つけまいと気を遣っているのにも、気づく。そうして……。
【キ、キサマ……ナニをする⁉︎】
「あっ、これ? 八つ当たりって奴かな。だってさー……君、ちっとも俺に興味を持ってくれないんだもん。だったら、他の子と遊ぶのもいいかな〜って」
【ヤメて! それだけは、キズつけないで!】
「……ふふ。そんなに慌てるなんて、妬けちゃうな。やっぱり、君は素敵な聖母だよね。……自分の身を傷つけても、実験台は傷つけようとしないんだもの」
手元には聖母がもたらした鈍い輝きを放つ剣が、さぞお誂え向きと2振りも残されている。それはブライアンも「かなりの得物」だと認める、一級品。しかし、あからさまな頑強さは彼女が言う「アンダルサイトの磔刑」……要するに、アルミニウム珪酸塩を主成分だとするには、やや無理がある。だとすれば……。
(こいつの主成分は、例の命の禁制品……だろうな。……ふふ。ますます、興味が湧いてきちゃうじゃないの)




