蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(10)
ご主人様からの指令はたった1つ。「相手から全てを奪え」。ただ、これだけである。だが、ブライアンはシンプルな命令程、骨が折れることをよく知っている。
彼女がシンプルなオーダーを出してくる時は、大抵、細かい所まで構っていられない時だ。彼女は野心家であり、極度の完璧主義者。故に、オーダーを寄越す時は決まって、あれこれと忠告や注文も一緒にくれたりするのだが。しかして、今回知らされたのは、大枠のオーダーとターゲットの名前のみ。この事から察するに、彼女……ニュアジュはブライアンに作戦の進行や方法とを一任すると同時に、最速で成し遂げろと言いたいのだろう。
(ま、別に俺は暴れられれば、それでいいけどな)
ニュアジュも含め、彼女のご主人様もブライアンが貴重な存在であることは知っているはずだ。それもそのはず、ダイヤモンドのカケラはブライアンを含めて3人しか存在しない。
ダイヤモンドは唯一無二の至高の宝石。炭素のみの単一元素による組成を持ち、他の宝石とは成り立ちが大幅に異なる。カケラの存在価値は核石の希少性と、ある意味で比例はする。ある意味で、と但しが付くのは、核石の希少性と堅牢性とが比例しないからであるが……ダイヤモンドのカケラはその両方を満たした、まさに「兵器」としても貴重な存在でもあった。その上で、申し合わせたように全員が男性ともなれば。バリエーション豊かなコランダムのカケラ達よりも、生粋のアタッカーだと考えるのは自然なことである。
そんなダイヤモンドのカケラにあって、最も若く、最も凶暴なのが……彼、ブライアン。ユニコーンのルサンシーやバイコーンのユアンと比較すると、勝手な行動を取ることも多く、独断の凶行に走ったことも1度や2度じゃない。それでも、彼の首が締め上げられた事は、今まで1度もなかった。
(俺は何をしても許される……だろうな、きっと)
だからこそ、ニュアジュは定期的にブライアンを訪れては、忠告を与えると同時に様子を確認してもいたのだが。ブライアンはと言えば、ニュアジュが自分をコントロールし切れていない事を見透かしては、彼女さえも軽く扱っていた。そんなブライアンがどうしてニュアジュ……延いては、ご主人様に従うのかと言えば。彼らが程よく暴れる口実と、蹂躙するべきターゲットとを与えてくれるからに過ぎない。正直な所、首輪の存在はブライアンにとっては、あまり意味を成さないものだった。
(しっかし、次のお仕事現場は旧・シェルドゥラの地雷原を越えた先、かぁ。なんつーか。敵さんも厄介な所に根付いたもんだ)
シンプルなオーダーの難易度は、皮肉なまでに最高クラス。それなのに、ブライアンは余裕の笑みを浮かべては、青い瞳を輝かせる。だって……これ程までに、こちら側の思惑通りに動いてくれている相手もそうそういないに違いない。
グリクァルツの陥落。その裏でこっそりと行われた不自然な釈放について、いち早く反応したご主人様はブライアンにとある仕掛けを施すよう、命令を寄越していた。確かに3人は何の手筈も打てないまま、向こう側に回収されていったが。唯一、実行犯として残されたルメオ・グリクァルツだけは拘留期間がやや、長引いている。そして、ルメオもいずれ回収されると踏んだご主人様は、彼の出荷先を突き止めるために発信機を仕込むことにしたのだった。……その作業に、当時は巡査でもあったブライアンを起用するのは、勤務地が違うとは言え……割合、自然な事だったのかも知れない。
(ハハッ、よっぽど悔しかったんだろうなぁ、ご主人様とやらは。向こうさんが自分達よりも優れた技術を持っているなんて、認めたくなかったんだろうよ)
件の悪魔憑き・バロウの豹変は紛れもなく、仄暗い命の禁制品によって成されたものだ。タダの人間をそこまで昇華させる技術をまざまざと見せつけられて、ご主人様がただ指を咥えて見ているだけで済むはずもなかろうに。
「ただいま、っと。ほれ、相棒。ご所望のスコッチに、つまみだぞ」
「うむ。とりあえずは、ありがとう……と言うべきか?」
「ナニ、その妙な言い回しは。もうちょい、素直になりなよ……」
それでなくても、今回はあんたの力が必要なんだから。
ブライアンは内心で毒づきながらも、ここは懐柔する場面だと大人しくお土産をファントムに渡す。そうされて、憎々しげに鼻を鳴らしながらも、のっぺりとした唇で器用にスコッチを呷っては……ファントムはご機嫌を上向かせつつあった。
「あぁ……美味いな、このスコッチ。どれ……おぉ! こいつはグレイリベット! しかも……この香りはきっと、シェリー樽熟成ではないか⁉︎」
「……えぇと、そうなのか? 俺は純粋に、高い酒を選んできただけなんだけど……」
正直なところ、ブライアンには日常的に酒を嗜む習慣はない。ただ、人間のように「心地よく酔う」を実体験したくて、酒場を渡り歩いていただけだった。それでも、流石に色んな酒を飲み比べれば、自分の好みに合う・合わないや、「旨い酒」の飲み分けはできると言うもので。どうやら自分の舌は「白ワイン」が好みらしいことを突き止めてからは、ブライアンは無作為にワインを偏愛している。
「まぁ、いいか……相棒がご機嫌なら。とりあえず、すぐに仕事に取り掛からないといけないんだ。……午後には出かけるから、心の準備はしておいてくれよ」
「うむ、承知した。これだけの酒が飲めるのなら、喜んで手伝おう」
「……あっそ。とっても素直で、助かるよ」
さっきまであんなにヘソを曲げていたのは、どこのどなたでしょう?
手元のショットグラスで慈しむようにスコッチを呷るファントムの豹変に、内心でやれやれとため息をつくブライアン。きっと……こちらの相棒と上手くやるには首輪という鞭よりも、高級酒という飴の方が効果的なのだろう。




