蒼鉛の仮面に伝うは、七色の涙(7)
「お父様、お帰りなさい! ねぇ、ねぇ。今回はゆっくりしていられるの? いつまで居られるのかしら?」
無邪気に自分を出迎える、愛しい娘。しかして、いつまでも成長しない娘がどこかの誰かさん似の笑顔の裏で、平然と残酷なことをしてきたことを……父であるアダムズはよく知っている。
「ふぅむ、どのくらいだろうね? まぁ……少なくとも、今日1日は一緒に居られるだろうか」
「本当⁉︎」
何気ない返答にさえも、キラキラと満面の笑みを見せるアンリエット。その笑顔に……救われた気持ち半分、厭わしい気持ち半分。きっと、彼女が自分と同じ道を歩もうとしているのは、父親に対する混じり気のない敬愛でしかないのだろう。
(あのまま、この子は眠らせておいた方が良かったのかもしれないな……。その方が……)
ここまでの狂気に飲まれることもなかったろうに。
父親と同じ色に染まろうと、必死過ぎる娘の黒い瞳を見つめる度に……言いようのない罪悪感が、アダムズの左胸をチクリと刺激する。今思えば……彼女を目覚めさせるのは、好奇心のついでなんかで、絶対にしてはいけないことだった。
アンリエットがこうして「生きている」のは他でもない、アダムズが先代の怪盗紳士との取引で手に入れた「人形」が息を吹き返したからである。彼女の大元となったオリジナル・アンリエットは、ロンバルディアの記録では櫓の倒壊事故に巻き込まれて死亡していた事になっているし、それは覆らない現実でもある。だが、アンリエットは純粋な人間ではなかったために……彼女の命には、こっそりと続きが用意されていた。
原初のカケラを父親に持つ、生まれついての適性保持者。しかも、その父親が完成されたカケラであったが故に、アンリエットは幸か不幸か人間のそれとは異なる体を持っていた。非常に素敵なことに……彼女に流れる血の作りは、カケラのそれと同じだったのだ。
カケラ……人であって人ならざる者。彼らがそう言われてしまう理由を端的に片付けるとするならば、「心臓の構造が異なるから」に尽きると言っても、過言ではないだろう。
カケラ達の人体構造は人間のものとなんら変わりはないが、心臓の素材は心筋細胞の他に、癒着した核石由来の鉱物も含まれる。そして、性質量が多い者ほど心臓を構成する鉱石質の割合も高くなり、身体の堅牢性が増す一方で……人間と同じように、熱を持つ血液を流せなくなる。故に、性質量が多いカケラは異様な程に体温も低く、誰かに寄り添うことでしか温もりを感じることもできない。
(人形のままで満足するべきだったのかもしれんが……私は、この子との在り方をどうしても解き明かしたかった)
それは、一種のない物ねだり。
アダムズの伴侶として作り出されてたイヴは、役割に反して彼に「愛」を向けることはしなかった。しかも、イヴのアダムズに対する「無関心」は日増しに酷くなり、双子を産み落としてからは彼らばかりに愛情を傾け続けた。そして、父親であるアダムズを徹底的に拒絶するようになり……きっと、誰かに唆されたのだろう。母性というトリガーを思いきり引っ張られて、アダムズの貴重な研究資材を怒り任せに研究所ごと吹き飛ばした。
しかして、アダムズは冷静な探求者でもある。大それた叛逆をしでかしたイヴを易々と殺すことはせず、むしろ自身の研究所に入り込んでいたネズミを炙り出そうと、囮にすることにしたのだ。そして、彼女の預け先として世間を賑わす怪盗紳士を選んでみたが……そこには2つほど、誤算が転がっていた。
アダムズの誤算、まず1つ目。怪盗紳士・グリード……こと、テオが持ち帰った望みの品の状態が、あまりに良すぎたこと。
アンリエットは下半身を叩き潰されて、大量の失血とショックとで即死状態だった。間違いなく、アンリエットは1度は確実に死んでいる。だが、アンリエットの亡骸は墓地に葬られることもなく、ブランネルの元で暗躍していた研究員の手によって、苗床としてこっそりと再利用されていた。きっと、向こう側もアンリエットが宝石の完成品の娘であることを、よくよく知っていたのだろう。そして……アダムズ自身もアンリエットの「肉体」がカケラ研究において、非常に重要なサンプルであることも熟知していた。
そもそも、人間とカケラのハーフはそれだけで貴重なのだ。生きていなくても、人形としての価値は十分にある。上半身だけとなったアンリエットは、大きめのトランクに試験槽ごと詰められた状態で、アダムズの元に届けられたが。スパリと無くなった下半身の断面は、朝と夜とで輝きを変える美しい結晶で止血されており、見るからに不完全な状態にも関わらず……アンリエットはまるで生きているかのように、肌の弾力も、唇の血色も保ったままだった。
最初はアダムズも自分の娘のあまりに生々しい状況に大いに困惑したし、例の怪盗紳士がここまでの対価を持ち帰ってくるなんて、思ってもみなかった。だが、約束は約束だ。アダムズは自身が持ちかけた提案の責任を取ろうと、報酬込みでイヴを買い取る資金と、彼女が出品されるオークションの情報とを提供し……その後の顛末も余すことなく観測してやろうと、ほくそ笑んでいた。
(だが、イヴは本当に私を嫌っていた。まさか……当てつけのように、家族を持つようになるなんて)
アダムズの誤算、2つ目。イヴが息子達だけではなく、人間の男にさえも愛を傾け、家族として馴染んでみせたこと。
最初はなんて陳腐な光景なのだろうと、アダムズは自分の過ちを否定するつもりで見つめていた。カケラと人間との愛は成立しない。そう決めつけては、カケラに家族を持つことはできないと思い込むのに必死だった。なにせ、自分は人間との間に子供を作れるか……という事を確認するために、とある女性との愛に溺れるフリもしてみた後だったのだ。……結局はフリだけではなく、本気になりかけたのが悍ましくて逃げ出したのだが。イヴとテオが家族になり始めた時は丁度、アダムズが自身の信条を捨てかけたのを恥じていた時期でもあった。
人間はどこまでも実験対象であって、恋愛対象ではない。人間は自分達よりも遥かに脆弱で、野蛮な劣等種。自分が人間に本気になるなど、あり得ないし……カケラが人間との愛情を育むなど、あってはならない。
しかし、そう決め込んでみても、生まれて初めて感じる胸の痛みは一向に治らなかった。そして、途端に羨ましくなったのだ。イヴとテオと、2人の息子達が家族として暮らしている光景を見つめれば見つめるほど、寂しさもどんどん積もっていく。
そんな光景に絆されたアダムズはとうとう、やってはならない間違いを犯してしまった。
手元で保管しては、眺めるだけで満足していた娘を生き返らせて……家族を再構築する。そのために、保持していた延命の彗星の仄暗い輝きを使って、アンリエットを復活せしめたのだ。しかし、アダムズは観測者ではあっても、予言者ではない。アンリエットのお転婆加減を見抜くことは、彼女を母親に預けたっきりだったアダムズには難しすぎることだった。




