深きモーリオンの患え(27)
(なんだろう……? 今朝もヤケに騒がしいような……)
タイエンがメイギーの仕事風景からいなくなった、あの騒動から既に3日。しかも、今は別のニュースでマルヴェリア王国内は天と地をひっくり返したような衝撃に見舞われているというのに。今朝は今朝で、何の騒ぎかな……と、メイギーは首を傾げずにはいられない。
どうやらメイギーの目の前で黒山を作っている工場の従業員達は、別の理由で沸きに沸いているらしい。浮かれた様子を見るに……誰か、特別ゲストでもお越しなのだろうか?
「おい、メイギー! 大変だぞ!」
「あ、あぁ……? どうしたんだい、ギリアン」
「聞いて、驚け! あのタイエンが帰ってきたぞ!」
「えっ……エェッ⁉︎」
ギリアンから驚愕の朗報を聞かされて、メイギーは黒山を掻き分け、渦中の同僚の元へ向かう。そうして、彼がようやく目にしたのは……やや疲れた様子でありながらも、きちんと元気なタイエンが噂のお妃様に嗜められている光景だった。
「これに懲りて、もう馬鹿なことはしないでくださいね」
「はい……。この度はご迷惑をおかけいたしました……」
「ですけど、これからはこちらにも遊びに来れるのでしょうから……ロンバルディアへいらっしゃる時は、必ずあらかじめお便りをください。主人にも、相談いたしますので。うふふ。また、ご一緒にコーヒーを頂きましょう?」
「あっ、いえ……大丈夫です。僕はやっぱり、ここで真面目に働いていくことにします……」
何やら、相当に絞られたらしい。憧れの王妃様のお誘いにもフルフルと首を振り、もう懲り懲りだと辞退するタイエン。
「おや、今日はいつになくしおらしいのですね。いつかの時には嫌がるキャロル相手に、無理やり言い寄ってきたというのに」
「あっ、それは、その……本当に、その際もすみませんでした……」
「あなた。そちらに関しては、もういいではありませんか。こんな所で、蒸し返さなくてもよろしいのでは?」
君が言うのなら、それでもいいか。
こちらはこちらで完璧な見た目の王子様が、お手上げポーズで肩を竦めてそんな事を言ってのける。そうして、お妃様に意味ありげな目配せすると、一応の謝辞も述べ始めた。
「いずれにしても……今回はあなたのおかげで、娘が戻ってきたのも事実です。あらぬ誤解を受けてくださったおかげで、ラインハルトの所業も明らかになったのですし。……あなたの多大なる貢献には、感謝いたしますよ。本当にありがとうございました」
「い、いえッ! め、めめめめ……滅相もございませんッ!」
折目正しく、申し合わせたように頭を下げる王子様夫婦に、いよいよタイエンが恐縮し始めるが。彼らのあまりに完成された所作に、周囲からは憧憬の吐息が大量に漏れる。そして……一方で、彼らの一連の話にあらかたの表向きの現実を悟るメイギー。
(なんだ……お邪魔虫はタイエンの方だったんだな……)
実際に横恋慕をしていたのは、タイエン側だったらしい。見れば見るほどお似合いかつ、仲睦まじい様子の王子様達の間には、割り込む隙間は1ミリもなさそうだ。
しかし、これはあまりに手酷い失恋だろうと、メイギーは萎れているタイエンの姿に苦笑いしかできない。きっと、彼の傷心はかなりのものだろう。であれば、これまで通りに接してやることが1番かも知れない。それに……。
「……タイエン」
「メイギー……! あはは、色々あったんだけど……一応は無事に帰ってこれたよ。……ちょっと、格好悪いご帰還だけど」
「みたいだな? 全く、どれだけ心配したと思ってるんだ。ま、何にせよ……これから、忙しくなるぞ。何と言っても、僕達は今までよりも自由になれるんだから」
「……そう、だね。うん。マルヴェリアでも……これからは夢を叶えることも、できるようになるんだよな」
ようやく、いつものちょっと頼りない笑顔を見せるタイエンに安心しながら。メイギーはこれからも楽しくやっていけそうだと、胸を撫で下ろす。
そんな彼らの会話に誘発された訳ではないだろうが……これから、どうする? 何がしてみたい? ……なんて、未来の希望に胸を躍らせる従業員達。何もかもが変化する可能性すらない、いつも通りの日々……だったのは、昨日まで。マルヴェリア王国は今まさに、閉じこもっていた卵の殻からも、鳥籠からも自由に羽ばたこうとしている。
ブランネル大公の報告と、お誘いの結果……とうとう、シュヴァル・フリッツィ・マルヴェリア32世は王国の開国を決断したらしい。息子として信頼していたラインハルトが閉塞した日常が故に、王女誘拐の凶行に走ったともなれば、流石に一国の王として、相当に考えさせられるものがあった様子。それに、身内もなく寂しがり屋の彼のこと。「寂しかったら、いつでも来てくれてオッケーじゃ!」……と、旧友から熱くお誘いいただけば。ちょっと旅行に行ってみるのも悪くないと、絆されるのも無理もないことだった。
(まぁ、これはこれで良かったのでしょうね。色々と宿題は山積みですが。……それは、帰ってから考えることにしましょうか……)
自由を余すことなく謳歌するのだと、身も心も躍らせているマルヴェリアの民を前に、心配事を蒸し返すのはそれこそ、野暮というもの。裏事情はきちんと持ち帰らねばならないが。今はこうして相棒と一緒に歓喜の空気に酔いしれるのも悪くないと……一方のロンバルディアの王子様は、いつになく前向きに考えていた。
【おまけ・モーリオンについて】
和名・黒水晶、モース硬度は約7。
透明感がウリの水晶にあって、お仲間のスモーキークォーツと同様の組成を持ちますが、モーリオンは不透明になるまで真っ黒くなったものを指します。
天然物の産出は極めて少なく、通称・幻の水晶とまで呼ばれます。
実は黒色の宝石として真っ先に挙がるであろう、ブラックオニキスの方が光を通さなかったりしますが……。
今回はちょっとした誇張も含め、作中では「この世で最も真っ黒な宝石」と評しています。
【参考作品】
『ウネルヴィル城館の秘密』
作者が違うことから、アルセーヌ・ルパンシリーズに数えていいのかどうか、微妙なラインですが。
”悪魔のダイヤモンド”(ポプラ社怪盗ルパン全集『悪魔のダイヤ』)の触れ込みと、ダイヤ名・ルサンシーはこちらから拝借しています。なお、正式にはル・サンシー。フランス王国で代々国宝として受け継がれてきたダイヤモンドという設定ですが、持ち主に不幸が降りかかる曰く付きの逸品として描かれています。




