深きモーリオンの患え(26)
「……さて。これからどうするか、じゃが。ルサンシーちゃんの話からしても、ミュレットを野放しにしておくわけにはいかなさそうじゃの。すぐにでも、ロンバルディアへ帰らねばならんか」
目の前で黒々と輝く、息子の成れの果てを見つめては。「本当に仕方のない奴じゃ」と首を振りつつ、ホロリと涙をこぼすブランネル。いくら問題児だったとは言え、ラインハルトは紛れもなく実の息子である。彼は「もう元には戻れない」だろうし、この卵が「絶対に孵らない」だろう現実を突きつけられて……ブランネルは息子を諦めると同時に、喪失感も募らせていた。
「お祖父様。よろしければ……こちらで、涙を拭いてください」
「……すまぬの、キャロルちゃん。やはり、歳は取りたくないもんじゃの。……涙脆くなってしもうて、いかん」
キャロルから気配りのハンカチを受け取って、もう1粒、更に1粒と、涙を溢す。それでも、しっかりとお祖父様と孫の嫁から言われ、ブランネルは気分を少しだけ和らげていた。彼女の発言に訂正を入れてこないのを見ても、難物の孫はその関係性もようよう飲み込んだ様子。少しばかり、キャロルのお節介に呆れた表情を見せているが、不愉快ではなさそうだ。
「しかし、シュヴァル殿下にはなんと説明するのですか? おそらく、彼はこちら側の事情を知らない方だと思いますよ? ラインハルトが毒を盛られて、卵になっちゃいました……なんて話が、通じるとは思えませんが」
「でしょうね。そちらに関しては、ブランネル様にて対話をしてくださるそうです。大丈夫です。ブランネル様の外交手腕の鋭さは、このキャメロもよく存じております。きっと、よしなに丸く収めてくださるのではないかと」
「へぇ〜……そうですかね?」
「もぅ、ラウちゃん……そんなに意地悪な顔、せんでくれぬかの。キャメロの言う通り、相手を丸め込んで、事態も丸く収めるのは得意中の得意じゃ! シューへの説明は余に任せちゃってくれて、構わんよ。ラインハルトが死んだことは、あやつも悲しむだろうが……そこに関しては、例の変な召使いさんに絡めて、それっぽいお話をでっち上げるつもりじゃ」
「あぁ、やっぱり彼を犯人に仕立て上げるのですか? この際、それでもいいかもしれませんね」
「い、いや、そうじゃない。ラウちゃん、おっかない事を言わんでくれるかのぅ。それじゃ、彼が可哀想じゃろうに」
可哀想なもんですか。だって、夫婦の間にズカズカと入り込んでは、奥様に言い寄ったみたいですし。
いかにも憎々しげに鼻を鳴らし、いっそのこといなくなってしまえばいいのにと、尚も物騒なことを言い出すラウール。なんでも、ラウールの留守中にお節介にもダイアンはキャロルに、ラウールと一緒にいるのは危険だと諭したらしい。そんな一幕を聞かされてからと言うもの……ラウールのダイアンに対する警戒心は、しっかりと増量されていた。
「あはは、そうなの。もぅ、大丈夫じゃって。キャロルちゃんはお話に乗らなかったんじゃろ? じゃったら、ラウちゃんが心配することは、何もないじゃないの」
「どうでしょうかね? ……俺は常々、面倒だと言われてますし。キャロルはこれで、お節介が過ぎる部分がありますから。知らず知らずのうちに相手に愛想を振りまいては、俺が知らない所で変な虫をくっ付けていないか心配で仕方ありません」
「まぁ!」
捻くれたラウールにしては随分とストレートな物言いに、キャロルが彼の隣からちょっとした抗議の声を上げる。そうして自分が周りに気を遣うのは、旦那様が偏屈過ぎてフォローをしなければならないからだと、お説教すれば。お嫁さんの主張にぐうの音も出ないのか、今度はややフテた様子で拗ね始めた。自己申告の通り……ラウールは相変わらず、非常に面倒な奴である。
「ふふ……本当に、ラウちゃんはとっても気配り上手ないいお嫁さんをもらったの。それはさておき……シューにはある程度は正直に話してしまうだけじゃよ。こちら側の事情を伏せつつ、イノセントを攫ったのがラインハルトだったと、白状してしまうつもりじゃ」
ある意味で王家の恥を曝け出すことになるだろうが、それ以上にこちら側の事情を赤裸々に打ち明けるわけにもいかない。そうして、ラインハルトを名実ともに「恥知らずの大バカ息子」に仕立て上げることに決めると、ブランネルにしては珍しく皮肉めいた乾いた笑いを漏らす。
イノセントが親鳥を誘き寄せるための雛だったのなら、ラインハルトは現実を隠蔽するための卵の殻。いずれも間抜けな媒鳥である事に変わりはないが、片方は巣から転げ落ちて命を落としているのだから、ちっとも笑えない。
(この結果は、自力で飛び立とうとしなかったツケかの。ラインハルトはある意味で、どこまでも籠の鳥じゃったのかも知れんの……)
ラインハルトは最後の最後まで、自分の世界に閉じこもって、自力で何かを成そうとしてこなかった。王族に生まれたという傲慢と怠惰故だろう、ラインハルトは何もかもを「周りがやってくれる」境遇に慣れすぎていたし、疑うこともしなかったのだ。安全な巣から飛び立とうともがく事も、力一杯羽ばたいて飛び出そうと苦労する事も。何1つ、経験してこなかった。
強い心で、雄々しく生きてほしい。ロンバルディアのトレードマークでもある、勇ましい獅子のように。そう願って、彼に「ラインハルト」と名付けてみたが。いくら獅子の子でも、揉まれたのがぬるま湯では、病的なまでに腑抜けのままである。Spare the rod and spoil the child……獅子は我が子を千尋の谷に落とすと、言うけれど。崖から突き落とすまではないにしても、少しは苦労させておいた方が良かったのかも知れないと……ブランネルは尚も後悔せずにはいられなかった。




