深きモーリオンの患え(25)
かつての孫だったら、挽回のチャンスはくれなかっただろうに。しかして、祖父を気取っている雇い主はともかく……パートナーでもあるお嫁さんが諭せば、爪も牙もすんなりと引っ込められる様子。明らかに何かを悟った様子ながらも、もう1度会ってくれるのだから……彼は話の続きも聞いてくれるつもりらしい。
(やっぱり、キャロルちゃんには敵わんの。あのラウちゃんの仏頂面を、こうも柔らかくするなんて)
怒りで飛び出していったはずのラウールだったが。ブランネルの元に戻ってきては、やや申し訳なさそうな雰囲気を醸し出しつつ、かつてない程に穏やかな表情を見せている。
「話途中で中座して、すみませんでした。それと……」
「……別にそれ以上はいいよ、ラウちゃん。余は、こうしてお前が戻ってきてくれただけで、十分じゃ」
試しに「ラウちゃん」と呼んでみたが。呼び名に訂正が飛んでこないのを考えても、これからも孫扱いを許容してくれるのだろう。真っ直ぐにブランネルを見つめる緑の瞳には、彼を詰る視線は含まれていない。
「……そう、ですか。それはそうと、こちらの卵について話をしていただいても? これから、どうするのかも含めて聞きたいのですけど」
「そうじゃな。それに……折角じゃ。キャロルちゃんも一緒に聞いてくれるかの?」
「もちろんです。是非にご一緒します」
こちらはこちらで自然な様子で、花のように美しい笑顔を綻ばせるキャロル。そんな彼女の様子に、ラウールは随分とお嫁さんには恵まれたらしいと、ブランネルも釣られてようやく笑顔になる。
聡明な彼女であれば、これから巻き込まれるのが危険なことであることくらい、容易く予想できるだろうに。それなのに、さして困惑する様子もなく進んで厄介事に巻き込まれようとしてくれるのだから……彼女は彼女で、「ラウールの隣にいる」という事がどんな現実かを、しっかりと覚悟しているようだった。
「この卵なんじゃが。ラインハルトが姿を変えた形のようでの。ルサンシーちゃんのお話じゃと、ミュレットの実験が中途半端に成功した結果になるのだそうじゃ」
「中途半端に成功、ですか?」
「うむ。えぇと、な……」
「その先は僕から説明しますよ、ブランネル様。……普段は封印されていたとは言え、ある程度の実情も知っていますから」
ラウールが飛び出していったショックで、肝心のお題に神経が回らなかったのが、自分でも間抜けに思えるが。それでも、しっかり者の新しい側近が差し向けてくれたフォローに遠慮なく頼ることにすると……ブランネルは少しばかり安堵の息を吐きつつ、ソファの上でちょっぴり背筋を伸ばし直す。
「確か、ニュアジュはこう言ってたね。こいつの状態を原初の卵と」
「原初の卵?」
格好つけるのなら、プリミティヴって言うらしいよ。
小馬鹿にした口調で、ニュアジュが口走っていた単語を並べては……さも、滑稽だとルサンシーが続けるところによると。彼女の最終目的は「愛しいご主人様」の再現そのものであり、その暁に復活した彼らに相応しい世界を作り直すことだったそうだ。しかし、ニュアジュは肝心な部分をおざなりにしていると、ルサンシーは首を振る。
「果たして……ラウール君はこの卵が孵化すると、思うかい?」
「いいえ。こいつを見る限り、卵というよりは、何かの鉱物の塊だとする方が適切なのでは? ……重さもそれなりにありそうですし」
「だよねぇ。……多分、ラウール君の見解は間違っていないと思う。これはあくまでニュアジュが仕込んだ毒が、意図せず回り切ってしまった状態なんだろう。ラインハルトは普段から、ちょっとした精神安定剤を盛られていたみたいでね。そうそう……宝石鑑定士のラウール君は当然、知ってるよね。モーリオンって宝石」
「もちろん、存じていますよ。……幻の水晶とも呼ばれる、この世で最も真っ黒な宝石ですね。ガラス光沢を持ちながらも、一切の光を通さないその姿は……底知れない闇を感じさせるものがあります」
「そうそう、それだよ、それ。彼に盛られていたのは、まさにモーリオンっていう鉱物でね。大元の原料は黄昏の彗星の角らしい。彼の角を真っ黒くなるまで放射能を浴びせたものを、すり潰してラインハルトに摂取させていたみたいだ」
ラウール達が知る限りでは、かの石英の来訪者・黄昏の彗星は心臓を剥ぎ取られる事なく、虚空の彼方を彷徨っていたが。彼は地上を見限った際の一悶着のついでに、置き土産を残していたそうで。
俄かに聞き覚えのあるお伽噺に、フゥムと唸ってしまうラウール。まさか、こんな所で青空城の一幕が尾を引くなんて、予想外にも程がある。
「……黄昏の彗星には人喰い竜として討伐されかけた実情があったと、本人からも聞いていました。結局、彼は人間達の誤解を解けないまま、理想郷を天空へと移したようでしたが……。まさか置き土産というのは、その時の……?」
「へぇ。ラウール君は黄昏の彗星ともお知り合いだったんだ。流石だねぇ。まぁ、僕も具体的な時期は知らないけど。黄昏の彗星がメベラス山脈に残したのは、広大なラベンダー畑と切り落とされた大きな角だったそうだよ」
ラベンダーの紫よりも更に濃く、更に深い色味と芳香を放っていた来訪者の角。そのあまりに深い色合いと強すぎる香りが故に、人喰い竜の恨みが結晶化した遺物だと、当時の人々は恐れ慄いたと言う。そして……。
「そんな呪いの逸品をまんまと回収したのが、ニュアジュだったみたいでね。最初から呪いだのなんだのって騒がれていた遺物を、冗談抜きで呪いに仕立て上げるんだから、本当に趣味がいい。で……ここからが本題。こいつが孵化しないだろうと思えるのは、カラカラに乾き切っているからなんだけど。この変容性はまさしく、モーリオンの副作用によるものだ。ここまで煮詰まってしまったら、生き物としては中途半端だと思わないかい?」
「……そういう事でしたか。モーリオンの主成分は二酸化ケイ素、要するにシリカでしたね。モーリオンを初めとする水晶に含まれるのは、その中でも結晶性シリカ……毒性の強い成分だったかと。最近は乾燥剤としての利用が多いようですが、元は毒ガスを吸着するために開発された素材がルーツです。……であれば、確かにこの卵が孵ることはないでしょう。何せ、生物としての水分さえも乾かし切っているのですから」
彼女が撒き散らす怨嗟や愛情は深く深く、それでいて、どこまでも真っ黒い。ロンバルディア王族が持ち得る、奇跡の抵抗力を削ぎ落とすために使われたのは、ジワジワと存在を蝕むモーリオンの毒。ラインハルトはある意味で、彼女の望む結果を産み落とした事になるのだろう。既に息はなくとも、新しい漆黒の鉱物になり切ること。それは明らかなる、失敗の結果ではあるが……研究の通過点としては、成功の一手でもあった。




