深きモーリオンの患え(13)
「しかし……いいのかい? 僕の父上をこのまま見捨てても」
ここはロンバルディア城、アレンの居室。飽きもせずに紅茶を愉しみながら、アレンが意味ありげな問いをニュアジュに投げる。しかして、彼女の答えはカラカラに乾いた、執着とは真逆のものだった。
「えぇ、構いませんわ。今のあれは、タダの囮でしかありません。金緑石ナンバー3をロンバルディアから離してもらえれば、それ以上を望むつもりもありませんし……望んだところで、うまく役目を全うできるとも思えませんわ」
ニュアジュの言う囮……ラインハルトは今まさに、彼女の抱擁と擁護とを必要とする局面に転がされているのだが。裏舞台の思惑はなんとも、残酷かな。種馬から捨て駒に降格した彼には、もう救いの手が差し伸べられることもなければ、道標となる手綱がかけられることもない。その上、彼には残り時間もあまり用意されていなかった。
「……マティウスよりもラインハルトの方が血統としては優秀でしたが、如何せん……美しくないのが、よろしくありませんわね」
「それ、僕に対する当て付けも含んでるのかなぁ?」
「いいえ、そうではありませんわ。……私の申している“美しくない”とは、精神の在り方を示してのことです。フン……チャンスをやったのに、パーフェクトコメットを横取りされるのですもの。しかも、今度は純潔の彗星を娶りたい、ですって? ……子孫を残せない相手との婚姻を望む時点で、利用価値はゼロですわ」
「あぁ、そんな事もあったみたいだね。でも、パーフェクトコメットの件は許しておやりよ。だって……あの時、向こう側には例の怪人がついていたんだろ?」
「……」
アレンが何気なくキラーワードを口にすれば、途端にニュアジュの表情が曇ってゆく。そんな彼女を前に、側に仕えているユアンが一応の警戒体制を取って見せるが……。
「……大丈夫よ、ユアン。あなたと違って、私は心よりアレン様をお慕い申しておりますの。手にかけるなんて、野暮は致しませんわ。私が首輪なしでもここまでお仕えするのは、偏に……」
「ニュアジュ。皆まで言わなくても、分かってる。君は本当のご主人様を復活させたいんだよね? フフッ。いいよいいよ。いよいよになったら、僕も使うといい。……だって僕が1番、可能性が高いんだよね? 先祖返りを再現するには……どうしても、濃い血統が必要なのだもの」
「……畏れ多いことですわ」
畏れ多いと、口先では言って見せるが。事実、ニュアジュの目的はアレンが指摘した通りである。
アレンは表向きはマティウスと王妃・プリシラの第1子とされているが……実際の父親はマティウスではなく、ラインハルトだった。そして、王妃・プリシラが床に臥せったままなのは、マティウスの横暴だけが理由ではない。……ニュアジュが彼女に盛った劇薬も仮病に一役買っている。
「僕は本来、君を恨まないといけないんだろうね。いくら、血統を操作するためとは言え……母上を実験台に使ったんだから。ま……でも、それも仕方ないか。何せ、マティウスは嫌われ者だし。……母上がお前の申し出を飲んで、病気を装いたがるのも分かる気がするよ」
病床に臥せっていれば、大嫌いな暴君・マティウスに会わなくて済む。第2王子・ラザート以下は紛れもなくマティウスの実子ではあるが、そこに至るまでのプロセスは乱暴そのものだったらしい。どうも暴君というものは、多方面で血気盛んなようで……プリシラの体調も無視した妊娠と出産のサイクルは、ニュアジュの精神安定剤以上に母体に大きな負担をかけていた。
「それにしても……どうして、母上はイヤって言わなかったのかねぇ? あんなのと結婚したら、幸せになれないことくらい、分かっていただろうに」
「それこそ、それは仕方ありませんわ。……人間の貴族とは、そういうものらしいですし。プリシラは身売りに出されただけの、生贄ですもの」
「身売りに、生贄……か。それ、王族には無縁なモノのはずなんだけどね」
家督の存続のためなら、身内を切り売りすることも厭わない。資産を確保するためなら、人質を差し出すことも迷わない。家柄の由緒が正しくなればなる程、公認貴族であればある程。彼らは無理無法な縁組に勤しんでは、仲良しこよしを演じてみせる。しかして……そこに親子の情や仲間意識があるのかと、問えば。口先で紡いだだけの、綺麗な言い訳が絞り出されるのみである。より良い家柄の相手と結ばれることが、より高みに登るためのステップだと信じて疑わない彼らは、子供にも同じ境遇の強要を繰り返す。かつて自分がもどかしい思いをしたことさえも、見事に綺麗さっぱり忘れて。
それが貴族というもの……か。紅茶を啜りながら、ぼんやりとそんな事を考えるが。だとすれば……そうして「身売りされた生贄」から生まれた自分は一体、何者なのだろう? 本当は王族でもなければ、貴族ですらないのでは?
(そう、だね。僕は、自由を捥がれた実験台なんだ。王族だろうが、何だろうが……僕自身には自由を取り戻す力さえない。よく分かってる。だから……)
自分も本来は放り込まれる予定だったらしい、綺麗事だらけの醜い言い訳塗れの世界。虚しく、愚かで、どこまでも汚い。それでも、自分がその中で踊ってさえいれば……巻き込む相手は少なくて済む。
“見ての通り、太めでトロい利用価値のない王子”
誰かにそう自嘲したのは決して、嘘っぱちじゃない。……それはどこまでも、アレンの本心だ。弟達を守るためなら自身さえも偽り、自分さえも棄てることさえ……躊躇わない。




