深きモーリオンの患え(11)
「おや、ニュアジュ。帰ってたんだ。マルヴェリアからやって来るのは、そう簡単じゃないだろうに。……あぁ、その辺は叔父上効果ってところかな?」
ここはロンバルディア城内、王族が暮らすエリアの1室。ニュアジュはいつまで経っても実らない、古い果実を見捨て……新しく実を結ぼうとしている、漆黒の果実の元へと舞い戻っていた。
そんな漆黒の果実ーーいつものように、豪奢な自室の窓際で香り高い紅茶を嗜むアレンの元に、静々と歩み寄るニュアジュ。彼女の様子からしても、事の次第は首尾良く進んでいるのだろう。鋭い双眸でチラリとニュアジュを一瞥すると、アレンはそのままクイっと紅茶を飲み干す。
「アレン様もお人が悪い。わざわざあの愚か者を叔父上だなんて、呼ばれるなんて」
「ハハッ、それもそうか。……この場合は父上とでも呼んだ方がいいのかな? ちょっと気が進まないけど」
本当は憎さが有り余って、愛しかったはずの相手。それを今や、ニュアジュは愛だけを器用に捨てて、「愚か者」と切り捨てる程に、別のご主人様に心酔している。そうして、新しいご主人様が飲み干したティーカップをお側仕えの執事よりも先に受け取っては……甲斐甲斐しく新しい紅茶を注ぎ始めた。
「うん、ありがと。ユアンの紅茶もいいけど、ニュアジュの紅茶もいいね。……茶葉は同じはずなのに、ニュアジュの紅茶は、より危険な香りがする」
そう……そうだ。この鋭さこそが、本当の百獣の王に必要不可欠な機微と野心に違いない。恐れもせずに紅茶を含んでは、ふふッと口元を歪めるアレンの豪胆さと言ったら。……彼に適性がないのが、何よりも高貴に思えて。ニュアジュは長い旅路の末に、ようやく再会のご主人様を見つけた気分にさせられる。
(……あぁ、この高揚感に威圧感! これでこそ、正当なロンバルディアの血筋というものです……!)
ロンバルディアの王子達は頑ななまでに、核石への適性を持ち合わせない。先王・ブランネルも、現国王・マティウスも、彼の実弟であるラインハルトも。自らカケラになる事を望んでは、人としての一生を終えたジェームズも。そして、ニュアジュの目の前で嬉々として危険な香りのする紅茶を飲み干して見せた、アレンも。
ロンバルディアの男性は全員、適性を持ち合わせないと同時に……核石への拒絶の能力をしかと、見せつける。だからこそ、ニュアジュはプライドも屈折させて、ロンバルディア王族に取り入ってきたのだ。彼らは古代天竜人の正当な血筋を引いた、由緒正しい支配者達。かつて……自分を作り出した愛しいご主人様達の血をしっかりと引き継ぐ、人の皮を被った魔獣。
今でこそ、その血筋は人間に混じり過ぎ、相当に薄くなっているが。ロンバルディアの一族は近しい相手と婚姻を繰り返していた時期もあり、まだまだ天竜人達の残り香を纏ってもいる。だが、残念なことに……人間になりすぎた彼らは、天竜人の存在そのものさえも否定し、進んで忘れようとしていった。
(ご主人様達はやっぱり、馬鹿な選択をしたのだと言えそうね。こうも手を取る相手を間違えていたら、夢は夢のまま……絶対に叶わないわ)
実際に、古代天竜人は既に絶滅した伝説の存在として、人間に溶け込み切ってしまっていた。彼らは自身が「侵略者である」後ろめたさと、持ち前の慈悲深さ故に、原住民である人間を甘やかし過ぎたのだ。
安住の地盤作りに用意した来訪者達を、人間にも貸し与え。自ら翼を手折っては、共に歩む覚悟を示し。天竜人達の方は人間達にしっかりと、配慮と理解とを示したというのに……。
「……そんなに、僕が憎いかい? ニュアジュ」
「えぇ、とっても憎くて……愛おしすぎて、狂ってしまいそうですわ」
「そう。まぁ、本当の歴史を知っているのなら……そうなるよね。人間はどこかの宗教が教えるように、神の似姿だなんて綺麗なもんじゃない。本当は……君達を作り出した高等な知的生命体から、大切な物を奪っただけなんだ。そして、ロンバルディア王族は天竜人にとっては、最たる略奪者。僕達は原初の支配者であり、最初の貴族・エンメバラと、天竜人の姫・イヴの子孫だった。だけど、イヴを愛するあまり……エンメバラは彼女を自分と同じ存在に仕立て上げようと、狂気の実験に手を染め始める……」
アレンが知る限りの「ロンバルディアの歴史」はそれこそ、人間側の略奪の歴史でしかない。ロンバルディアの歴史は、強欲と略奪が堆積した後ろ暗い現実の集合体。そこには、愚かな王の自己欺瞞を満たすための実験台として、天竜人達を人間に都合がいい形……今で言う「カケラ」のプロトタイプへと作り替えたという、あまりにドス黒い史実が横たわっていた。




