深きモーリオンの患え(10)
「ルサンシー様。仕返しをしたい気持ちは理解できますが、ここは抑えて下さい。……お馬鹿さんを喰らったところで、腹を壊すのが関の山です。こんな奴相手に、あなたの存在を曇らせる必要はありません」
「……それもそうだね。しかし……ふふっ。ラウール君、何か企んでるね?」
「えぇ、まぁ……それなりに」
ラインハルトを食い殺そうと、ルサンシーが唸り声を上げ始めるが……カケラの通例を盾に、ルサンシーを嗜めるラウール。
カケラが人間の血肉を喰らうことは、自らの存在を穢す事を意味する。それは天空の来訪者の存在意義……世界に救済を齎すという、形骸化した理想……を引き継いだが故の不文律でしかないが。今となっては、カケラ達を人間が制御できるようにと、わざわざ強調された特徴でもあった。
「本当はこの場で、ズタズタに切り裂いてやりたいけど。ここは……一旦、救世主のご意向に従っておこうかな。……どうせ、こいつの未来はそう長くないだろうし」
「おや、そうなのですか? ……そのご様子ですと、何かご存知のようですね?」
それなりに……ね。
そう呟きつつ、ルサンシーがいかにもな様子で「お手上げ」のポーズを取れば。同類同士でさも楽しいと、こちらはこちらで「ご愁傷様」とやっぱり肩を竦めるラウール。
しかし、当の元ご主人様は自分の立場をまだ理解できていない。その上、自分だけ妙に仲間外れにされては、面白くないではないか。そうして、無理矢理にでも仲間に入れてもらおうと、尊大な調子を保ちながらラウールに命令を出すラインハルト。古い手駒がいう事を聞かないのなら、新しい手駒を使うまでと、怒気も語気も荒げるが。
「もういい! アレキサンドライト、ルサンシーが使い物にならなくなったのは、お前のせいだ! だから、これからはお前が私の手足として、存分に働かせてくれてやる! まずは……」
「ルサンシー様を取り押さえろと、おっしゃるので? いやいや、お断りですね。仲良くするのなら、やっぱり同類がいいですし。俺がどうして、あなたのような小物の下働きをしなければならないのです」
「なっ……! さっきから、生意気な事を言いおって……! まぁ、いい。主人に従わない奴がどうなるのか、教えてやろうじゃないか」
「ふ〜ん……」
怒り猛る手元には、滑稽なまでにチャチなコントローラー。だけど、それはとっても素敵な権威の証と、ラインハルトは信じて疑わない。どこか間抜けな手板を掲げては、さぁ命令だとラウールに向けて「えいっ」と振って見せるが……。
「……なんですか、その情けないポーズは。いい歳こいて、悪魔少女の真似をされているとか?」
「悪魔少女……? なんだ、それは?」
「あれ? ご存知ないのですか? あれ程までにイノセントに首っ丈だったのですから、てっきりリサーチ済みだと思っていたのですけど……」
悪魔少女・ティー・ファニー。イノセントが夢中なトーキーアニメの登場人物であり、いわゆるヒロインポジションの魔法少女……という、触れ込みらしい。続編の評判も上々と、ハール君の配給元が男の子や保護者(主に母親)だけではなく、女の子も視聴者層として取り込もうと投入したのが、通称・ファニーである。悪魔でありながら、デビルハンター・ハール君に恋する乙女……なーんてロマンス路線で、視聴者を拡充する手腕はただただ、見事と褒めるべきだろう。
……尚、彼女が振るうステッキを模したオモチャが大人気らしく、巷では悪魔少女が大量発生しているとか、いないとか。
「ま、そんな感じで……あなたがしているような格好で、ファニーはえいっ! ……と、非常にあざとくステッキを振るのです。……それはさておき。イノセントは、ゴーフルとハール君の話題には漏れなく食いつく習性がありましてね。どちらかの話題を振りまけば、とりあえずは遊んでもらえると思いますよ。あっ、そうだ! その間抜けなポーズ、あの子の前でご披露されたらいかがでしょう? 絶対に大ウケ間違いなしです!」
「う、うるさいッ! そんな事はどうでもいい! サッサという事を聞かんか!」
悪魔少女のディテールを説明したついでに、ラウールはいよいよさも愉快と、腹を抱えて意地悪く笑ってみせる。一方で、思い通りにならない魔法のステッキ相手に、「えいっ、えいっ」と更なる恥を重ねていくラインハルト。しかし……彼の奮闘虚しく、願いは成就されるはずもなし。響き渡るはラウールの乾いた笑いと、ルサンシーが皮肉混じりに鳴らした、鼻息の掠れた音のみである。
「な、何故だ⁉︎ どうして、私のオーダーが通らないのだ⁉︎」
「いや、だって。この首輪……偽物ですし」
「はっ? な、何を言っているのだ? カケラ如きが人間に逆らうなど、あっていいはずがない!」
ここまで自分に盲目的に心酔できるとなると、これは一種の病気に近い。どこまでも浮世離れしたラインハルトには、ちょっとした酔い覚ましが必要か? そうして、わざとらしく指先で首輪を弄んだ後で……種明かしもここまでと呆気なく薄っぺらい服従も首輪ごと外し、ラインハルトの顔目掛けて投げ返すラウール。
「カケラが人間に逆らうなど、あっていいはずがない……か。さてさて、それは果たして本当でしょうか? だったら、この場で試してみます? 元ご主人様」
ペチンとこれまた情けない音を鳴らして、ラインハルトの頬を打った首輪が力なく足元に落ちる。それでも……この状況で、まだ彼はご主人様である夢を願うらしい。明らかに不利な立場にあるというのに、獰猛にラウールとルサンシーを睨みつけてくる。
……これだから、苛烈な暴君というのは、どこまでも惨めだ。立派で豪奢なのは見た目だけ。隠すほどの能もなければ、危機管理能力もない。しかも、自覚もないともなれば。Once a fool, always a fool……何とかは死ななきゃ治らないとは、この事を言うのだろう。




