深きモーリオンの患え(9)
イノセントが口走った、「手を繋ぎたい」というフレーズは決して、ただただ可愛げのある娘らしさを演出したものではないだろう。きっと彼女は自分の置かれている状況の一端を示すために、そんな事を言ってのけたのだ。
事実、ラインハルトはカケラを手中に収める手段を持ち合わせているのにも関わらず、イノセントに首輪を巻く事をしていない。それはつまり……。
(イノセントを伴侶として扱いたいのなら、さっさと首輪を巻いてしまった方が手っ取り早いはず。ふむ……そうしない理由にも、何かありそうですね)
首輪を着けないのは、本物の愛を貫きたい陳腐な姿勢の顕れか? 或いは……そうできない理由があったのか?
そこまで考えて、顔を上げれば。ラウールのヒントに乗り気なラインハルトが、ご機嫌な様子でお抱えのシェフらしき相手にしっかりと「カーリーパスタ・ブラウンマッシュルームソース」を作ってくるよう、電話越しに命じている。
有り体に言えば、ブラウンマッシュルームソースとは、シャンピニオンソースのことだったりするのだが。ラウールが言ったままのメニュー名を伝えているのを聞く限り、ラインハルトにはグルメな竜神様が喜びそうな小洒落た知識もない様子。こちらの無骨な紳士は「愛を語る」などと言う、ロマンティックな手法は持ち得ていないと見ていいだろう。だとすれば、彼はイノセントに首輪を巻かなかったのではなく……ただただ、巻けなかっただけだと考えるのが妥当か。
(イノセントが口走った「手を繋ぎたい」は、何らかの抜け道を示したものと考えて良さそうです。何せ……)
あの生意気で、常々上から目線の娘もどきがラウールに「手を繋いでちょうだい」なんて、素直に恥ずかしい事を言えるはずもない。おそらく、彼女はラウールに何かを伝えようとして、わざわざ「可愛いフリ」をしてきたのだ。
(……ルサンシー様。1つ、試したいことがあるのですが、良いですか?)
(何かな、ラウール君」)
(俺と……手を繋いでもらっても?)
(君と手を繋ぐ? えぇと……繋ぐと、どうなるんだろう?)
ここは別の誰かで試してみる必要があるだろうか。コソコソとご主人様の背後で内緒の話をしてみては、こっそりとイノセントが寄越した提案をルサンシー相手に試してみるラウール。そうして、いつも通りに彼の存在そのものを「自分にとって相応しい形」へと変化させるが……。
「何を勝手な事をしているんだ、アレキサンドライト! それは一体、なんだ? ル、ルサンシー、お前……」
料理の手配をした後は、まずは試運転……とラインハルトが思っていたのも、束の間。新しい手駒はなぜか、勝手に古い手駒と手を繋いでは、煌めく聖槍を作り出していた。流石、ダイヤモンドの輝きは一味違う。ラウールの手から溢れる圧倒的な光彩は余すことなく部屋中を満たし、辺り一面を不規則に照らし出す。
「あぁ、すみませんね、ご主人様。ちょっと娘からヒントを貰ったので、事実確認をしてみたくなったのです。……どうです、ルサンシー様。変化はありますか?」
(そうか。噂には聞いていたけど……君はどんな相手でも、こうして武器にすることができるんだね。それで……あぁ、なるほど! こいつはいいな、ラウール君! 僕も久しぶりに自由になれそうだ)
「……そういうこと、ですか。イノセントに首輪が着いていないのには、こんな所に理由があったのですね。……俺の力はどうやら、相手を武器として変質させるだけではなく、拘束への抵抗力にも影響を及ぼすようです」
イノセントが首輪をしていなかったのは、既にラウールの特殊な力に感化されていたから。
自身の出自をまだ知らないラウールには、彼を自由にしてやれるらしい原理には不明な部分が多すぎるが。何となくだが……読みそびれたままの手紙に、真実も書かれている気がして。二重の意味で気持ちを逸らせる。どうやら自分は宝石達の懸念である以上に、本格的な保護者としての素養も持ち合わせていたらしい。
そんなラウールが手放した途端に、元の姿に戻りつつも……一応は従順な顔を向けていたラインハルトに、今度は醜悪な笑顔を向けるルサンシーの凄みといったら。流石、ダイヤモンドは存在感も一味も二味も違う。ガラリと様子を変えて、ゾロリと牙を剥く彼の姿に、自由とは支配者に対する謀反もセットなのだろうかと、訝しんで。その答えを求め、彼と繋いだ手をジッと見つめてしまうラウールだった。




