深きモーリオンの患え(8)
「ラウール!」
「意外と元気そうですね、イノセント。よしよし、怪我はなさそうですね?」
「当たり前だ! 私を誰だと思っている!」
強気な発言とは裏腹に、今にも泣きそうな顔で父親もどきに抱きつく……事が許されるはずもなく。今のラウールとイノセントに許されたのは、無味乾燥な取引のみ。無粋なガラス管に閉じ込められる格好になっては、ご主人様の用心深さにやれやれとラウールも嘆息してしまう。
「お迎えに来ましたよと、言いたいところなのですけど。見ての通り……俺も捕まってしまいましてね」
「……なるほど? これだから、ラウールはいけ好かない。仕方ないな。だったら、ここは話に付き合ってやろうじゃないか」
「ククク……。流石、純潔の彗星ですね。素直でよろしい」
ラウールがわざとらしく、クイクイと自分の首で主張する首輪を見せつければ。妙に余裕のある緩やかな表情に、イノセントも何かを悟ったらしい。父親もどきを敢えて「情けない」ではなく、いつも通りに「いけ好かない」と詰ったのは、娘もどきなりのお利口なお返事だった。
「……で? どうすればここから出してもらえるのか、聞いてきたんだろうな?」
「一応、ね。でも、君なら条件もとっくに分かっているのでしょ? そう……神経を尖らせないで」
「ふん! そういうことなら、ちょっとは考えてやってもいい。そもそも、ここは退屈なのだ! ハール君の活躍を見る事もできん! 今すぐに、いつものヤツを用意してこいと伝えろ! それと……最後に、ラウールともう1度だけ、手を繋ぎたい」
「おや……意外と、可愛げのあることを言ってくれるではないですか、イノセント。……そう。君は最後に俺と手を繋ぎたいのですね?」
聞きました? ご主人様。イノセント様はハール君の活躍と、お別れの抱擁をお望みのようです。
昇降機の上から聞き耳を欹てているラインハルトに向けて、表向きのオーダーを伝えるラウール。
「そうですね。一応、父親役をやっていた身としては……イノセント様には、きちんとしたお食事をお出しした方がいいと思いますよ? あれで、彼女は相当にグルメですから」
キュリキュリと、非常に耳障りな音とともに、引き上げられて。昇降機から降りるついでに、イノセントの嗜好と習性を嘯くラウール。だが、どこか知った口を利くラウールが気に入らないのだろう。ラインハルトが、怒り混じりの言い訳をぶつけてくる。
「無論、お食事は用意したぞ! だが、イノセント様は一口もお召し上がりにならなかったのだ!」
「ですから、きちんとしたお食事、と申しているでしょう? そのご様子ですと、無理やり変なものを食べさせようとしたのではないですか? ……それ、却って逆効果ですから」
「なんだと!」
これだから、短絡的なご主人様はよろしくない。やや小馬鹿にした口調で、澄ました顔をしては……一応は「当然の指摘」をしてみるラウール。ちょっとした彼の応酬に、噛み付かんばかりのラインハルトをドウドウと諌めながら、仕方なしにこちら側の常識も与えてみる。
「こちら側の方ではない以上、分からなくても仕方のないことだとは思いますが。カケラは心身共に健康な状態では、鉱物を食す必要はないのです」
「そう、なのか?」
「えぇ、そうですよ? それでなくても、相手は正真正銘の竜神様ですからね。そちら方面の食事を拒否する元気も矜持も、まだまだタップリと残しているのでしょう。ですので……ふむ。ここは彼女の好物を提供することを、お勧め致します」
そうして、今度はきちんと正答を放り投げてやるが。裏に隠れた真意を、向こうの誰かさんに届けるときは今だろうと、ちょっとした符号も織り交ぜてみる。
「今のご機嫌ですと、カーリーパスタのマッシュルームソースがいいでしょうか?」
「……パスタ?」
「えぇ、パスタ。先程も、申したでしょう? 彼女はグルメなのだと。ですから、キノコのソースはしっかりと飴色のブラウンに仕上げたモノでお願いしますよ。そうすればきっと、流石のイノセント様も食いつくでしょう。あの美しいブルーの瞳を輝かせて、あなたの元に突入してくるに違いありません」
「そうか、そうか! ……なんだ、イノセント様はパスタがお好みだったのか」
実際には、そんな洒落た物を食べさせた事はないけれど。気軽に屋台でゴーフルを買い求めては、ジェームズと一緒に食べ歩くのがちょっとした贅沢だった娘もどきにとっても、ラウールが口にした特別な一品はベストな逸品に違いない。




