深きモーリオンの患え(3)
コーヒーのレクチャーの後に、突如訪れるボーナスタイム。きっと、ダイアンの行方について確認事項があるのだろう。単身、恋敵だけがラインハルトから呼び出しを受けたので、ダイアンとキャロルの2人きりの状態だ。
(これは絶好のチャンス、だよな。そうだ! 僕がキャロルさんを泥棒の手から救ってあげないと……!)
……言うなれば、余計なお世話である。しかして、ダイアンは「2人の約束」を知らないのだから、無理はないのかも知れない。もし、親しい相手が「何も知らずに」犯罪者の所業に巻き込まれているのであれば、目を覚ましてやろうと考えるのも、まずまず凡庸な反応だ。
「キャロルさんは、後悔していないのですか?」
「えっ? 何をでしょうか、ダイアンさん」
「……ラウールさんと一緒にいるのは、危険というか。だって、彼は……」
「怪盗紳士かもしれない、ですか?」
見透かしたようにダイアンの手の内を鮮やかに言い当てると、疲れたようにため息を漏らすキャロル。その上で、珍しく自分を置き去りにして、出かけて行ったラウールの腹の内も悟ると……本当に彼は意地悪なのだからと、今度はクスクスと笑いをこぼした。
「何がおかしいのですか……?」
「ふふ。本当にラウールさんは誤解されやすいのですから、世話が焼けますね。……ですけど、そんな彼と一緒に暮らしていく事に関して、私は後悔はしていません」
「だ、だけど! このままだと……」
「このままだと、犯罪に巻き込まれる……かしら? あら、ダイアンさんは……何かを勘違いされているようですね。この際ですから、ハッキリと申しますけど。仮に彼が本当に怪盗紳士だったとしても、主人と別れる理由にはなりませんよ」
「しゅ、主人……?」
キャロルの口から出た「主人」のキーワードはきっと、自分の「ご主人様」とは違う意味だろうな……と、ダイアンは肩を落とす。いつかのカフェでは「心配で仕方のない相手」なのだと、困った顔をしていたのに。ダイアンがマルヴェリアに放逐されている間に、彼らはしっかりと関係を深めていた様子。やんわりと彼の言葉を否定する彼女の面影には、ダイアンが愛しいと夢見た、かつての優しい表情も見えなかった。
「それに、もし……主人が本当に怪盗紳士だったとしたら、これ程までに素敵なこともないでしょう」
「へっ? い、いや、素敵って。どういう意味ですか……?」
「意外に思われるかもしれませんが……私はかつて、売られそうになった所を怪盗紳士に助けてもらったことがあったのです」
「売られる……? キャロルさんが?」
「……えぇ。ほんの子供の頃でしたけど。私は親に売られたことがあったのですよ」
貴族だったダイアンの日常生活には、直接的な「売る・売られる」の営みはなかった。だが、いくら世間知らずな彼とて、その類の人身売買が、貴族主導で行われている実情くらいは、知っている。
そうして、彼女の意外すぎるカミングアウトに、ちょっとしたショックを覚えるダイアン。目の前の彼女はロンバルディアのお妃様だったはず。まさか、その出自が一般庶民どころか、子供を売らなければならない程の貧困層だったなんて。自分とは住んでいた世界が違うのだと、妙に拒絶された気分にさせられる。
(だとすると、ラウールさんはやっぱり、キャロルさんの見た目に惚れて……あぁ、いや。怪盗紳士として、助けてそのまま……)
それはそれで、けしからんではないか。幼気な子供を助けたと見せかけて、攫ってそのまま奥さんにするなんて。
(あれ? でも、そうなると……歳が合わないような?)
キャロルの正確な実年齢をダイアンは知らないが。しかして、ラウールとキャロルとでは、そこまで歳が離れているようにも思えない。だとすると……子供だったキャロルを助けたらしい怪盗紳士も、子供だったことになるか?
そんな事をグルグルと考えながら、キャロルが作り出した巧妙なミスリードに嵌まるダイアン。確かに彼女が親に売られたのも事実なら、怪盗紳士に助けられたのも事実である。だけど、彼女が売りに出された回数は1回ではなく、2回だった。1回目は養父の借金精算のため。そして2回目は……何もかもを諦めた怪傑・サファイアの処刑ショーのため、である。2回目を身売りと定義するには、やや意味は違うのかもしれないが。町中の人々から、自分の命が終わることを望まれた事を考えれば。「売られる」だなんて表現は却って、ソフト過ぎる。
「それと、ほら! ダイアンさんも聞いた事、ありませんか? 彼は孤児院に寄付をしている……って。彼はいつだって、子供の味方なのですよ。もし、ラウールさんが怪盗紳士だったのなら……ふふふ。私も鼻が高いです」
「そう、ですか……」
手放しに怪盗紳士を褒めるキャロルに、自分の手札は切り札にならないばかりか、恋敵を勢いづかせるだけの悪手でしかない事を痛感するダイアン。手元の札は、最も強力なスペードのAだとばかり思っていたが。スペードの鋒が向いていたのは、恋敵ではなく……自分の方だったらしい。
(ここまで申し上げておけば、ダイアンさんも変な考えを起こさないかしら……)
あからさまに落胆するダイアンの様子を窺いながら、この調子であれば……彼をきちんと逃がしてあげられるだろうかと考えるキャロル。なにせ、このままこちら側の事情に首を突っ込みかけていたら、ダイアンは本当にアウーガ送りになってしまう。なぜなら、ラウールとキャロルに付き纏うこと……それは、ロンバルディア王宮がひた隠しにしてきた秘密に触れる可能性が高いことを意味するからだ。
だからこそ、ラウールもキャロルも……やや自分勝手で非常識な召使いへの再教育を、粘り強く実行しているのである。ダイアンを互いにとってもベストな状態で、安全に逃すため。彼がこちらの事情に執着しすぎないようにするためには、しっかりとキャロルを諦めてもらう必要がある。




