深きモーリオンの患え(2)
「いいですか? まず、お湯はドリッパーの上まで一気に注がないこと。そして、周りに出来上がった土手を崩さずに、真ん中にふんわりと減った分だけを継ぎ足すイメージで……」
どうやら、恋敵は相当にコーヒーにこだわりがあるらしい。何がなんでもダイアンにマトモなコーヒーを淹れさせたいらしく、意外にも丁寧かつ穏やかな物腰でレクチャーを再開し始める。しかし、ダイアンとしては、立ち登る湯気の香りが別物なのも大概だが……彼の左薬指で殊の外主張している、白銀の輝きが気に食わない。
「……どうしました? 俺の話、聞いてます?」
「えぇ、聞いていますとも。……大丈夫です」
「大丈夫そうには思えませんけどね、その様子だと。まぁ、いいでしょう。あなたが使い物にならないのであれば、ラインハルト様に突き出すだけですし、コーヒーも自分で淹れればいいだけの話です」
「ヴッ……」
どこまでも澄ました仏頂面で、的確に召使いの弱みを突いてくるご主人様の一方で……自分の持っている手札がいかに、貧相なものかを思い知ったダイアンには返す言葉もない。目の前の王子様が例の怪盗紳士だという自信はあるものの。彼が示した通り、確固とした確証はないのだ。証拠があるのかと、問われれば……今はありませんと答えるしかないのだから、遣る瀬ない。
「なお、気晴らしにキャロルと話すくらいはしても構いませんよ。ただし、彼女が迷惑がらなければ、の話ですが」
「えっ? い、いいのですか?」
「えぇ、構いませんよ。彼女とのお喋りが弾むかどうかまでは、保証はしませんけど」
ラウールにもそれなりに自信と意地がある。コーヒーを淹れる手際も、そう。キャロルとの夫婦仲も、然り。もちろん、今の関係がキャロル側の厚意で成り立っている事は、相変わらずだけれども。それでも……どこかの誰かさんの横恋慕がキッカケで、彼女はきちんと約束もしてくれたのだ。そんな彼女が今更、自分以外の相手を選ぶとも思えない。
“ずっとあなたの隣にいますから……これからは2人で一緒に満月の夜に出かけましょう”
今のところ、彼女があの日の約束を破ろうとした事はない。あったとしても、ラウールのおねだりをちょっぴり困ったように遇らう程度だ。
「……随分と自信があるんですね?」
「おや。そんな風に聞こえましたか? ククク……実際、その通りなのですけどね。……あなたと出会う前から、俺達は一緒だったのです。お互いに他の相手との生活を考え直す程、俺もキャロルも互いの事を知らない訳ではありません」
さて、コーヒーも淹れ終わりました……と、話している間も手を休めなかったラウールが意気揚々と、ドリッパーから3人分のコーヒーをカップに注ぐ。そうして、当然のようにダイアンにもカップを手渡すと、どうぞと言わんばかりに肩を竦めた。
「……」
悔しいが、彼が淹れたコーヒーは口をつける前から、明確な違いを見せつけてくる。香りも色味も、次元が違う。一口含めば、舌の上に広がるのは甘みのある油分のまろやかさと、主張のある苦味とスパイシーな酸味。同じ豆で淹れたとは思えない歴然の違いに……ダイアンは認めざるを得なかった。……目の前の相手は、何もかもが自分を上回っている、と。




