深きシトリンの憂い(10)
デザートですと運ばれてきたのは、慎ましくも美しい真っ白なチーズケーキ。おそらく、大切なゲストの好物をしっかりと選んできたのだろう。純白の台地に粉砂糖の雪化粧をしている様子は、まるで存在そのものが淡雪で作られたよう。フォークではなく、スプーンが添えられているのを見ても、山を切り崩すのではなく、掬って食べるのが想定されるお作法か。
しかし……ラウールとキャロルにしてみれば、デザートの完成度の高さは関心事の範囲外にとっくに追いやられていた。それもそのはず、デザートを運んできたのが明らかな顔見知りであったことに……どう反応すべきなのか、分からないのだ。
(どうして、こんな所にモホーク様が……?)
しかも、ご丁寧にも召使いの衣装を着込んで。更に、何故か満面の笑みで……デザートを手放しても、その場から離れようとしない。
「えぇと……ありがとうございます。ところで、私達にご用件でもおありで?」
「えっ? あぁ、えっと……」
「ご用事がないのであれば、早めに持ち場に戻られることをオススメしますよ。……これ以上、ここにいるのはあまりよろしくないかと……」
ラウールが仕方なしに、「早めに撤退した方がいい」と遠回しに忠告してみるものの。一方のタイエンはラウールの珍しい配慮を、あろうことか挑戦状として受け取ったらしい。ここで返り討ちにされてなるものかと、得意げに胸を張り始めるが……召使いから出たにしては、どう頑張っても非常識でしかない弁明に、ラウールだけではなくキャロルも縮み上がってしまう。
「もぅ! 本当に薄情なんだから、ラウールさんは! ほら、覚えていませんか? 僕は……」
「し、執事さんッ! それ以上は、本当にやめておいた方がいいです。これ以上、ここにいたら……」
「どうしてですか? キャロルさん。ようやく、再会できたと言うのに……僕はあなたのことを忘れられなくて、ここまでやってきたんですよ? 少しくらいお喋りしてくれても、いいじゃないですか」
周囲の射抜くような視線を感じないのは、ご本人だけらしい。
確かに、その場にいるのがラウールとキャロルだけであるのなら、顔見知りの誼で楽しくお喋りもできたのかもしれない。しかし……非常に悪いことに、今はロンバルディアとマルヴェリア両国のトップが顔を突き合わせている、重要な会食の真っ只中なのだ。ラウールでさえも、ジョークを無視する粗相が許されない局面で、一般市民でしかない、かつてのモホークがしゃしゃり出ていい場ではない。
「のぅのぅ、ラウちゃん。この変な召使いさん、知り合いかの? キャロルちゃんも知っとるの?」
「え、えぇ……お爺様。その……この方はお店のお客様で……えぇと、その」
しっかりとブランネルを「お爺様」を呼びつつ、キャロルが果敢にもその場を取り繕おうとするが……弁明途中で正直に話せないことに気づいたらしい。
ロンバルディアでは彼……モホーク・ブルローゼは窃盗罪で勾留されていた合間に、脱獄した犯罪者であることに変わりはない。ラウール達側からすれば「お客様」であることも間違いはないのだが、宝飾店は一般的に客単価が高い類の店なのだ。そんな贅沢品を扱う店のお客様となると……とてもではないが、普通のお友達では済まされないものがある。
要するに宝飾店の客という時点で、場違いな召使いが「貴族」だった可能性が急浮上する上に……どうしてロンバルディアにいたらしい貴族様が、マルヴェリアでフットマンをしているのかという、深すぎる謎が出来上がることになる。
更に、熱の籠ったアプローチからして、不届き者になりつつあるフットマンがキャロルに懸想していたことも匂ってくるとなれば。……ラウールとキャロルとしては、妙に居た堪れない。
(さっき宝飾店だなんて、言わなければよかったかも……!)
ただただ、「小さな店」で済ませておけばよかったものを。シュヴァル殿下のご提案をお断りするために、口を滑らせたと後悔するラウール。それでも、あれこれとどうにかして穏便にやり過ごしたいと考えるが……ラウールを他所に、この場を乗り切る名案が浮かんだらしい。先程まで大人しかったラインハルトが、王族の権威を振り翳しながらタイエンの罪状に余計なお荷物を擦り付け始めた。
「なるほど……この痴れ者は要するに、ラウール様とキャロル様のご息女を拐ったかもしれないということですな?」
「えっ? 娘さん……? ラウールさんとキャロルさんに……娘?」
「知らばっくれるな! この不届き者が! ラウール様ご夫妻のご息女は今、行方不明なのだそうだ! そうか……そうか、そういうことだったのだな! お前はキャロル様を忘れられないあまり、お子様を拐かしたのであろう!」
「えぇ⁉︎ ちょ、ちょっと待ってください! 僕はそんな事、していませんよ? た、ただ……キャロルさんに会いたくて……」
「問答無用! おい、お前達! こいつを摘み出せ!」
「ハッ!」
「誤解です! 誤解ですってば!」
しかして、弁明虚しく2人の衛兵に引き摺られて、強制退場させられるタイエン。そんな彼の様子に思わずキャロルと顔を見合わせては、保護対象が増えてしまったと、ラウールは額に手をやる。ラウールとキャロルの娘……とされているイノセントを拐ったのが彼ではないと分かっている以上、キャロルの性格からしても、このまま見殺しにはできないだろう。
(どうしてこうも……厄介事が後から、後から湧いてくるんでしょうねぇ……! 本当に、貴族なんか大っ嫌いですッ!)




