深きシトリンの憂い(6)
(もう、いいや。一旦、帰ろうかな……)
特別支給のお給金は一応、貰えたのだし。これで、お菓子でも買って帰ろう。だけど……ちっとも、嬉しくないや。
お菓子を買う余裕には恵まれても、通り過ぎた噂話もタイエンに甘い夢を見せるつもりはないらしい。いつの間にか、憧れのあの子はお喋りどころか、会う事さえ簡単に叶わぬ場所へ行ってしまった。確かに、マルヴェリアに追放される前からも、彼女の恋人(当時はそうだったから、まだ望みもあった)が実はブランネル大公の孫らしいことは聞き及んでいたけれど。だけど……あんなちっぽけな店で働いている相手が、本当にそんな偉い奴だったなんて。信じられない方が普通だろう。しかも……。
(ラウールさんがあの怪盗紳士……で、間違いなさそうなんだよなぁ……)
揃い過ぎた状況証拠と、お餞別に紛れていた鑑別書からしても……宝飾店の店主=怪盗紳士・グリードであることは、疑いようもない。それでも、彼がそこまでの尻尾をモホークに掴ませたのは、マルヴェリアへ国外追放に付したからだろう。きっと、彼はモホークをマルヴェリアに追いやれば、王子様一家への面会が許されざる事くらい、重々承知していたのだ。
今でこそ、のうのうと暮らしているが。モホーク・ブルローゼは紛れもなく、怪盗紳士を騙って窃盗罪をしでかした、犯罪者。ロンバルディアはマルヴェリアとは異なり、素性も分からない相手を単純な労働者として歓迎する程、甘くはないだろう。ロンバルディアは資本主義国家であり、明朗なまでの階級社会なのだ。貴族どころか、一般市民以下に成り下がったちっぽけな泥棒崩れなんぞには……メーニックの裏社会に溺れるか、ローサンの吹き溜りに流れ着くかの末路しか見えてこない。
(おや? あの人達はあんな所で何をしているんだろう? お城の人……じゃ、なさそう?)
タイエンが階段の裏側で、自身の置かれた立場と状況とを悶々と考え込んでいると。廊下の先から今度は彼と同じ、借り物の制服を着込んだ男が3名、キョロキョロとあたりを見渡しながらやってくるではないか。
(どうしたんだろう? 迷子かな?)
だけど、迷子になるには随分と中まで入り込んでいるような。自分も城に忍び込んでいる身だというのに、どこか他人事のように考えながら……状況を伺っていると。あろうことか、彼らは手近にあった部屋に潜り込んだ。これは、もしかして……?
(ま、まさか……泥棒……?)
そんな、恐れ多い事をして大丈夫なんだろうか……と、何故か当事者でもないのに冷や汗が止まらないタイエン。しかし、考えてみれば……今のこの城は諸事情により警備が手薄なのだから、盗みを働くのにもグッドタイミングなのかもしれないと、今度は感心してしまう。
さっきのメイド達が言っていた通り、国王はゲストのおもてなし真っ最中なのだ。ある程度の警備は残されていても、素人のタイエンさえも簡単に潜り込めた以上、泥棒にしてみれば狙い目もいい所なのだろう。
「ジェームズ、ごめんね。僕の気晴らしに付き合ってもらって……」
【クゥン、キャフン……フルフル(キにするな。ジェームズ、サンポ、スき)】
(って……ワワッ⁉︎ あの犬はもしかして……!)
しかして、これは何の因果だろう。今度は廊下の反対側から、ロンバルディアのゲストと思しき少年と、どこかで見た事のあるドーベルマンがやってくる。少年の方はともかく……ドーベルマンにはあまりいい思い出がないタイエンには、この不慮の再会はあまりに酷だ。
そう……あれは、間違いない。天敵の愛犬であり、いつかの恋路を邪魔した憎っくきメッセンジャー。ライムグリーンの瞳に、黒光りする毛皮を纏った姿はあいも変わらず、芸術品と見まごう美しさだ。まるで、自分は付け入る隙がないと言わんばかりの完璧な佇まいに……タイエンは人知れず、打ちのめされざるを得ない。
【……キュフ? ハウゥン……(このニオイは……)!】
「どうしたの、ジェームズ。……誰か、いるの?」
【ガフガフ、ハフン!(このニオイ、カぎオボえある)】
「……ウゥン? えぇと、こっち?」
(う、嘘っ⁉︎ もしかして、見つかった……?)
折角、息を潜めてタイエンが見つかるまいと、緊張で身を固くしていたのに。犬の嗅覚は不都合な程に、鋭いから参ってしまう。そうして、いよいよ番犬を気取るドーベルマンがジリジリとにじり寄って来ては、獰猛な唸り声を上げ始めるが……どうも見つかったと思ったのは、タイエンだけではなかったらしい。
タイエンよりも先に慌てて飛び出したのは……多分、泥棒と思われる3人組の男達の方だった。




