深きアメジストの悩み(16)
「それで? お前の言い分は要するに……私をイヴとやらの代わりにしようと言うことか?」
呆れた世迷言だと、イノセントはラインハルトの提案を小馬鹿にせずにはいられない。代わりにされるのも大概だが、この状態のイノセントを伴侶に選ぼうだなんて。……馬鹿げている。
「そこまでは申しませんが……結果的にはそうなるでしょうね。ただ、あなた様の美しさと、イヴの美しさの方向性は別物です。ですから、私はあなた様はあなた様として、伴侶に迎えたい。……そうすれば、あの忌々しい悲恋の思い出も、愚弟の事も忘れられそうなのです」
「……お前は随分と変わっておるのだな? このような子供を嫁にするなどと。歪んだ幼女趣味があると、誤解されそうだが?」
「あぁ、それにはご心配及びませんよ、イノセント嬢。……レディに成長していただく手筈も整えております」
手持ちに送還の彗星の核石があるのですと、さも自慢げに胸を張るラインハルト。しかし、一方のイノセントは……彼の申し出の意味を悟ると同時に、非常に苦々しい気分にさせられる。
ラインハルトが示した「成長の手段」は要するに、彼の所持しているブラックサファイアの核石をイノセントに摂取させ、変容を強制的に発生させようとしているに他ならないが。この事から、非常に厄介な現実がいくつも見えてくるものだから、頭が痛い。
まず、送還の彗星の核石があるという時点で、来訪者自身は絶命している、ないし心臓を取り上げられて弱体化している可能性が非常に高い。かつて、ブランローゼに囚われていたイノセントは、彼らの所業はよくよく知り尽くしているし、彼らの目的も薄らと知り得ている。……天空の来訪者は金蔓になるだけでなく、研究資材としても非常に高価値なのだ。グスタフはイノセントを純粋に資金源として利用していたが、目的が金目当だろうと、科学の発展だろうと……被験者がされることは、大差ない。削られて、毟り取られて、尊厳さえも奪われる。……ただ、それだけだ。
しかも、取り上げた「資材」の活用方法を知っているとなると、ラインハルトはイノセントの変容のメカニズムをある程度、把握しているのだろう。今のイノセントは、グリードが持ち帰ったプリフィケーションに連なるカケラの核石を取り込んで、人の形に「退化」している。核石の分量が不十分だったため、仕方なく子供の形を取っているに過ぎないが、今となっては、子供の方が好都合だ。だが、ラインハルトはイノセントの核石を増量して、「自分に相応しい伴侶の姿になれ」と言うつもりでもあるらしい。……それは偏にただの傲慢でしかないが、当のラインハルトは名案だと思っているようで、ますます手に負えない。
「……お断りだ。今の私はとある宝石鑑定士に厄介になっていてな。あいつの養女として通っておる。お前を慰めてやる義理も、寄り添ってやる理由もない。成長なんぞしたら、あいつの所に帰れなくなるじゃないか」
様々な思慮と考察を巡らせた結果に、ラインハルトの申し出は断固拒否する事を決め込むと……敢えて、子供っぽくプイとそっぽを向くイノセント。もちろん、養女などという目下の境遇に納得はしていないけれど。人間社会に溶け込む方便として、それなりに受容はしている。常々、子供扱いをされる反面……気難しい父親もどきでさえも、意外と保護者として振る舞ってもくれていたのだから、子供でいる方が都合がいい。
テレビ受像機を買ってくれたのも、そう。何かとお菓子のお土産をぶら下げてくるのも、然り。イノセントにも、デビルハント用の衣装も揃えてくれたし……お出かけへ連れ出してくれたのだって、1度や2度じゃない。
きっと、ラインハルトの嫁なんぞになったらば、「お楽しみ」がなくなってしまう。イノセントの興を満たす「何気ない日常」は、彼らの娘として暮らしているから、享受できるものであることくらい……イノセントだって、よく分かっていた。
「あぁ、本当に憎らしい……! その宝石鑑定士とやらは、ラウールと名乗っているそうですね? あいつはそれこそ……」
片や、ラインハルトのラウール考は全くもって、違うものらしい。イノセントが保護者のことに言及するや否や、ギリリと歯を慣らしては、悔しがる。
そのラウールこそイヴの忘れ形見の片割れであり、かつての彼女の勘所。余計なおまけとして、イヴ入手の障害になっただけではなく、憎たらしい弟が可愛がっていた養子でもある。そして、自分よりもマティウスを選んだブランネル公……通称・ホワイトムッシュの飼い猫であり、インスペクター側の切り札。忌々しいことに、イヴと黒髪や色変わりする瞳をお揃いにされては……ラインハルトには、憎まない方が難しい。
「ほぅ。そうだったのか? だったら、話は早いな。お前みたいな不細工よりも、あいつの方が男前だし、私達の扱いにも慣れている。……そうだな。ラウールだったら、まずは私にゴーフルと食事を用意してくれるだろうさ」
「……そう言えば、イノセント嬢はお腹が空いていたのですね。大変、失礼いたしました。すぐに食事をご用意させましょう。……改めてお話にお伺い致しますので、食後には素敵なお答えをご用意いただけると、嬉しいのですが」
やれやれ。何を企んでいるのだろうな。食事に核石でも混ぜ込むつもりか?
結局、イノセントに怯えてガラス管から出てこない、臆病な自称・婿殿を睥睨の眼差しで見送りながら。妙な事になったと、イノセントはため息をつく。こんな時、ラウールやキャロルであれば、含みもなくお菓子をくれるだろうし……ジェームズがいれば、気軽にお喋りできるだろうに。
(自分でも、情けない限りだが。あぁ、早くお家に帰りたい……。)
【おまけ・アメジストについて】
和名・紫水晶、モース硬度は約7。
水晶の一種であるため、石英グループの鉱石であり、旧約聖書にも登場する古株の宝石の1つ。
「紫の宝石」と言われたら、真っ先に名前が挙がる宝石ではないかと。
なお、科学的根拠はありませんが、アメジストには「酔い止め」の効果があると信じられてきたそうで。
アメジストの名前の由来もそこから来ているそうです。
……お酒に滅法弱いどこかの誰かさんにとっては、縋りたくなる効果ですね。もし、本当ならば。
【参考作品】
特になし。
終盤に向けて、ラストスパートなのです。




