深きアメジストの悩み(15)
(それにしても、退屈だな……)
豪華な寝具に身を包んだフカフカなベッドで思う存分、ボヨンボヨンと跳ねてみても。一緒にはしゃいでくれる相棒がいなければ、ただただ虚しいだけ。もちろん、イノセントとて脱獄を試みなかった訳ではない。しかし、イノセントの抵抗は先方もお見通しなのだろう。イノセントがありったけの炎を吹き出してみても、壁紙を多少焦がす程度で、逃げ道の糸口さえ見いだせない。
「お腹、空いた……」
無駄に暴れたせいか、イノセントの腹は情けなくキュゥと鳴るばかり。少女の姿に戻って、腹を摩ってみてもお菓子も食事も出てこない……と、思っていたが。どうやら、誘拐犯はイノセントに随分と興味津々らしい。彼女が疲れ切ったのを見計らったように、どこからどもなく声が響いてくる。
「ふふ。流石の竜神様も、腹は減るのですね?」
「だっ、誰だ⁉︎」
「あぁ、高い所から失礼しますよ。私はラインハルトと申しまして……」
天井のシャンデリアが引っ込んだかと思えば、代わりにツツっとカプセルのようなガラス管が伸びてくる。そんなガラス管に守られて、今度はラインハルトと名乗った男がパネルに乗って降りてくるが……彼が乗っている昇降機は、中々にモダンな機械仕掛けの一品らしい。キュリキュリと鎖が軋む音がやや耳障りだと、思いつつ。彼を覆っているガラス管自体が特殊素材であることも見抜き、イノセントは出方を窺ってやるかと……ただただ、ラインハルトを睨むのみである。
「……ラインなんとか?」
「いや、ですから。ラインハルトと申しまし……」
「覚える気もないから、それ以上はいいぞ。適当に、ラインとかって呼べばいいか?」
「そ、そうですね。……この際ですから、愛称で呼んでいただくのも、悪くありませんか」
……尚、イノセントは人間の名前には非常に疎い。しかもどこかの誰かさんと違って、敢えて覚えないのではなく、最初から覚えようとしていないのが却ってタチが悪い。
「そんなに怖い顔をしないで、イノセント嬢。私は別に、あなたを悪いようにするつもりはありません」
「ほぉ? だったら、どうして私をこんな所に閉じ込めておくのだ? ……どうせ、お前も私を解剖して、利用するつもりなのだろう?」
「まさか! そんな野蛮な真似はしませんよ。私はあくまで、あなたという存在が欲しいだけです。……どうせ、私は人間にしかなれません。いわゆる適性もないようですので、そちら側の存在になる事はできないのです。ですけど……」
「ですけど?」
しかし、そこまで話した所で、急にラインハルトが恥ずかしそうにモジモジし始める。いい歳こいて、何を初々しい様子を醸し出しているんだと、イノセントが呆れていると。ラインハルトが更に彼女を呆れさせる宣告するのだから、いよいよ手に負えないではないか。
「……私は、あなたを伴侶として迎えたいのです」
「伴侶? えぇと、それはつまり……」
「そうですよ。私はあなたを、妻として迎えたいのです」
「……意味が分からんぞ、ラインナントカ。お前、人間だろう? それが私を妻に迎えるなどと、申すなど。一体全体、何がどうなって、その結論に至ったのだ?」
付き合うのも馬鹿馬鹿しいと、イノセントがヒラヒラと手を振っては「話にならん」と突っぱねてみても。ラインハルトの方は本気も本気。厳つい顔に似合わず、ちょっぴり目元を潤ませながら彼が懇願するところによると。ラインハルトはかつて、とある女性に本気で恋をした事があったのだが……。
「……何でも、彼女はあなたのような竜神様から作り出された、希少な存在だったようで……仕方なく諦めもしたのです。それでなくても、彼女は原初のカケラと呼ばれる奴の番として生み出されたそうでして。……最初から、人間とは一緒になれるはずもなかったのです」
しかし、どうしても諦められなかったラインハルトは、自身の世話係であったレディ・ニュアジュにせめて彼女を所有できないか、相談を持ちかけたそうな。そうして、ラインハルトが可愛くて仕方のなかったニュアジュは彼の願いを叶えるため、ターゲットの暴走を装いつつ……彼女を外に逃がす事には、成功してみせたものの。更に思わぬ想定外があって……結局、ラインハルトの側に彼女がやってくることは、最後の最後までなかったらしい。
「彼女……固体名・イヴ、正式名称・パーフェクトコメットは、既に子を成していたのです。カケラは妊娠できないと聞いていたけれど、彼女は妊娠する機能さえも埋め込まれていたのだとか。……ニュアジュが彼女を逃した時には、余計なおまけが2人もくっついていました」
仕方なしにおまけだけ売り捌こうと、ニュアジュは子供達をオークションに出そうとしたものの……イヴは彼らを見捨てようとはしなかった。もし、彼らを切り離すのなら燃え尽きてやると猛々しく牙を剥き、自らの命を断つとまで宣言したらしい。
「……その時には既に、イヴの瞳はヒビだらけでしてね。過剰なストレスを与えては、折角の至宝が砕けてしまう。だから、仕方なしに私はニュアジュがこっそりと主催したオークションに参加して……彼女達を丸ごと買うことにしたのです」
だが、そこに飛んだ邪魔が入った。とある紳士が、想定金額の10倍もの値段を宣言しては……あっという間に、イヴと子供達を丸ごと掻っ攫って行ってしまったのだ。ラインハルトの目の前で、さも当然のようにイヴに手を差し伸べ……彼女を手に入れたのは、後で聞かされたところによると、噂の怪盗紳士だったらしい。そして、その怪盗紳士こそが自身の異母弟・テオだったとラインハルトが知ることになるのは……オークション終了から、数日後の事だった。
ラインハルトは弟にまで邪魔されて、最愛と錯覚した女性・イヴを手中に収める事もできずに、恋破れることとなったが。……どうしても、彼女を忘れる事もできなかった。




