深きアメジストの悩み(9)
「ヴァン兄!」
どこもかしこも、真っ白で清潔なのに。病院というのは空気を吸うだけで暗鬱な気分になるのだから、参ってしまう。
ヴァンが重い気分を引きずり、白の空間から這い出たのも束の間。本格的に秋めいた色合いになりつつある前庭で、懐かしい声に呼び止められる。そうして、ヴァンが顔を上げれば……視線の先にはこちらへ駆け寄ってくる弟分と、きっちりと番犬まで同伴しているご近所さん夫婦の姿があった。
「サム……どうしてここに? しかも、ラウール君達まで……」
「何も言わずに出かけたら、サムが心配するのも当たり前でしょうに。何を間抜けなことを」
言葉はなくても飛びついてくるサムの代わりに、相変わらずの不貞腐れた調子で簡潔な説明を寄越すラウール。思いがけず、相当に心細い思いをさせてしまったのだろう。視線を腰元に下げれば、サムが自分に抱きつき、既に涙を溢していた。
「……何も言わずに出かけて、ゴメンな。アハハ、もぅ……そんなに泣くなって。大丈夫さ。サムを置いて、どこにも行きやしないから」
「本当? ヴァン兄はまた、あのお仕事をさせられているのだと……僕、思って……」
彼の言葉を聞くに……この子は、不安からある程度の事情をご近所さんに打ち明けてしまったのだと、理解して。ヴァンが改めて向き合えば……大人しくこちらを見守るなりにも、ご近所さん達も心配そうな表情を浮かべている。意外や意外、あの王子様までもが悲しそうな顔をしているのだから……サムの「助けて」は難物の角さえも、ちょっぴり柔らかくしてしまったのだろう。
(……やれやれ。ここまでお膳立てされたら、頼らざるを得ないか)
それに、彼であれば難題だった出入国の問題もすんなりと解決してくれるかもしれない。ヴァン自身は一応はオルヌカン籍のままだが、思い切ってロンバルディア国籍を取得するのもいいだろうか。
それでなくても、頑なに出入りを制限し、逐一管理しているのは大陸でもロンバルディアの威光を遮断している、マルヴェリア王国だけなのだから。ロンバルディア国民を名乗ったところで、オルヌカンに帰る分には苦労しない。
「……ラウール君。えぇと……」
「存じてますよ。相談があると同時に、イノセントの行方にもお心当たりがおありなのでしょ? でしたら、俺達も一口乗るのが腐れ縁の誼というものでしょう。それに……」
【キュゥゥゥン(うるうる)……】
「アハハ、そうだよね。……ジェームズも仲良しのお嬢さんがいないのは、寂しいよな」
縋るようにこちらを見上げては、か細い声を上げているドーベルマンの頭を撫でつつ、忘れずにサムの頭も撫でるヴァン。気軽ではないにしても、自分にできることをと気負ってみたが。自分だけの責任感に押しつぶされる前に、他にこんなにも感情を揺さぶり、絆そうとしてくる相手がいるのだから……1人で抱え込むのも、よくないと割り切って。ヴァンはフランシスから得たヒントと一緒に、イノセントだけではなく「自分も助けてほしい」と、甘える覚悟を固め始めていた。




