ガス燈の煌めきはブルー・ジョン次第(27)
意外とワインも悪くないな。相手が最高級の白ワインだと言うのに、アンソニーは傲慢な感想を漏らしては、なかなかに酒の勢いが止まらない様子。それでなくても、アンソニーは酒には強いと自負してもいる。普段から精神安定剤代わりにスコッチやらウィスキーやらを常備しているのだから、飲み慣れてもいるつもりだった。しかし……。
「……⁉︎」
「おや? 酔いが回っちゃいましたか? あぁ、あぁ。これだから、出来上がったばかりの怪物はダメだなぁ」
「出来上がったばかり……?」
ブライアンの言う「出来上がった」は酔っ払った、という意味ではないだろう。アンソニーと競うようにほぼ同じ量のワインを嗜みながら、尚も口元を緩めては ブライアンは余裕の表情を見せるものの。彼の柔和なはずの笑みに、どこか底知れないものを感じては、一方のアンソニーはようやく怯え始めていた。そして……。
「こ、これは……一体……?」
「あっ、効いてきましたね。このワインですけど、ちょっとしたお薬が入っていたんですよ。ふふ。流石、一流の薬剤師さんが拵えたお薬は効果覿面だなぁ。こんなにすぐに効果が出るなんて。……この薬にはね。なんと、ダイヤモンドが使われているんですって。かの騎士団長・ヴィクトワール様も愛用されているそうでして、彼女の美しさと強さを支えているんだそうですよ。……だけど、ね。ダイヤモンドを取り込めるのは、ダイヤモンドだけなんです。本当なら……半貴石如きが口にしていいもんじゃない」
最後にキュッと思い切りよく、残りのワインを飲み干して。ポッポと温かいほろ酔い気分どころか、キュウキュウと縮み上がる緊張感でアンソニーの神経を威嚇し始める淡いブルーの瞳。はて……こいつの目はこんなにも強烈な輝きを放っていたっけ? グニャリと曲がり始めた景色の中で、アンソニーは朧げなブライアンの面影を思い出していたが……。
「どんなに小っぽけな破片でも、力を取り込むのはいつだって心地いい。さて……と。ここらであんたを引き渡してしまおうかと言いたいところだけど。ったく、これだから怪物は節操がないからいけないな。……ご丁寧にお友達まで呼ばなくてもよかったのに」
「……おや? 随分と恩知らずな事をおっしゃる。俺達は化け物から貧弱な元巡査を助けてあげようとやって来たのに。……どうやら、助けは必要なかったでしょうかね?」
オペラ座の怪人の魔の手から、善良な市民を守って差し上げようと参上しましたのに。まさか、怪人の方が陥落しているなんて、グリードにしてみれば予想外もいいところだ。
しかし、それはブライアン側も同じこと。ちょっとした情報提供元の話では、彼らのお仕事内容は大粒フローライト、通称・“ファントム”の保護までだったはずだ。それがまさか、怪物退治のサービスにまでしゃしゃり出てくるなんて、それこそ聞いてない。
「へぇ〜。これはこれは。噂の怪盗紳士様はお供も豪華だねぇ。美人な奥さんに、優秀な番犬。それに……そっちのちびっ子が例のオリジンかぁ。……どうしようかなぁ。こいつは、かなーり、キツイなぁ……」
「……グリード様。もしかして、こちらの方は……」
「えぇ、そうでしょうね。……多分、俺達の同類だと思いますよ。瞳の色からして、青い宝石のようですが……」
折角の最高級のワインの酔いに冷ややかな水を差すのは、真っ黒な礼服に身を包んだ大泥棒。酒宴の余韻さえも、鋭い紫色の視線で否応なしにクールダウンさせてくる。しかして……彼の視線に有り余る敵意を感じても、尚。ブライアンも相当に自分の輝きには自信があるのか、怖いもの知らずもいいところと、大泥棒を睨み返してくる。
「情報通りなら、怪盗紳士一味はスフェーン以外は貴石レベルの難物揃い。そして……あぁ、そのスフェーンも結構、厄介だって話だったっけ。……逃げるのも一筋縄じゃいかないか。……う〜ん、どうしようかな?」
「何をブツブツと……それはそうと、青目! そいつはこのハールの獲物なのだ! とっとと、引き渡さんか!」
「……なるほど。オプションの怪物退治はオリジン様のご意向か」
ブライアンを「青目」と素敵なネーミングで呼びつつ、ダラリと脱力しているアンソニーを渡せとハールが胸を張る。だが、ブライアンにもそれなりに「お仕事」がある以上、丸ごと掻っ攫われるワケにはいかない。
「あぁ、そうそう。話は変わるんだけど、さ。……天下の怪盗紳士様はホープ・ダイヤモンドって、知ってる?」
「……一応、訂正致しますと。俺は怪盗紳士と呼ばれるのは嫌いで……」
「大泥棒と呼ばれた方が、気分がいい……ですわね。ハイハイ、あなた。今は訂正している場面ではないですわ」
「うぐ……! そのくらい、自己主張してもいいじゃないですか……。ま、まぁ、いいでしょう。ホープ・ダイヤモンドですか? もちろん、よく存じてますよ。ブラック・オルロフ、コ・イ・ヌールに並ぶ、呪いのダイヤモンドの一角ですからね。特にホープはカラーダイヤモンドの中でも有難がられる、ブルー・ダイヤモンドの天然物だとされていますし。……呪いを差し置いても、所有したい方が後を絶たなかったと記憶しております」
「おぉ! 大正解! 宝石専門の怪盗紳士様は、手駒だけじゃなくて知識も揃えていらっしゃる。でも……ま。中身が宝石鑑定士であれば、そのくらいは当然か?」
「……」
こちらの手札と素性をここまで知っている時点で、ブライアンはタダの元巡査なんて相手ではなかったのだと、鮮やかに悟るグリード。何の脈略もないはずの突然の世間話に、その無駄話に誂えたような青い瞳。そうして……グリードの方もブライアンの素性にようよう、思い至る。
瞳に宿る、鮮烈なファイアの輝きはそんじょそこらの宝石では叶わないはずの、圧倒的な魅惑の虹彩。猛然たる輝きを纏いゆらりと立ち上がるは、傲岸不遜加減は怪盗紳士に引けを取らない、元巡査の愚か者。しかして、彼は……地下道の怪人の手に負えるような、小っぽけな共犯者ではなかった。




