ガス燈の煌めきはブルー・ジョン次第(23)
モーリスによれば、警察官を「自発的に辞職するのは有り得ない」ことらしい。
昨晩のちょっとした大集合の一夜から明けても尚、ラウールの脳裏には兄がもたらした「不可解な謎」がこびりついていた。
(警察官になれれば、余程のことがない限り、人生はまずまず安泰……。それなのに、ブライアン巡査は自ら旨みのあるパイを放棄している……)
モーリスのお給金も潤沢だとは思えないが、それは彼がどこまでも真面目に警察官の職務を全うしているからであって、大抵の者は貴族から副収入をガッポリ稼いでいるのだと言うから、呆れてしまう。それでも、ジェームズの頭をヨシヨシと撫でた丸顔の警察官を思い出しては、兄さんは大袈裟なんだからと、首を振る。
そうして首を振ったついでに、隣でまだスヤスヤと眠っているキャロルに気づいては……彼女を無理に起こすまいと、そっとベッドから抜け出す。そろそろ秋に差し掛かろうとしている朝は、太陽も少しずつお寝坊さんになりつつある。窓の向こうをうっすらと白ませて見せるが、朝日もまだまだ眠り足りないとアピールしているようだ。
【ラウール、おデかけか?】
「おや、ジェームズも早いのですね。……まぁ、ちょっと調べ物をしに行こうかと。どうです? ジェームズも来ますか?」
【そうだな。アサのサンポ、ワルくない。それに……ジェームズがイッショのホウがいいんだろ? そのヨウスだと】
その通り。
ニヤリと口元を歪ませつつ、ちょっと特別仕様のジャケットを羽織るラウール。何かと頼りになる番犬と一緒に、店の外に飛び出すと、街の空気は心なしかひんやりとしていて、厳かな気配を醸し出している。そうして、まずは朝の一杯と行きましょうと、ジェームズに誘いをかけてやれば。何もかもを心得ている愛犬も嬉しそうに一声鳴いて、尻尾を振ってみせた。
***
お目当ては貴族街のスタンドで頂く、ちょっと贅沢なコーヒーとゴーフル……という訳では、決してない。兄から流出したとある情報を元に、一端の警察官のフリをして探りを入れに来たのだ。その情報とは何を隠そう、ブライアン巡査の住所という完璧なる個人情報である。ここまでくると、モーリスはモーリスで副収入のために、手を汚している気がしないでもないが。警察官からマフィアへの情報提供がある事さえ、汚職まみれの警察組織ではありふれていて、モーリスのそれはまだまだ可愛い悪戯程度のものだろう。
「……ふ〜ん。なかなかに洒落た場所に住んでますね。流石はミリュヴィラ勤務の元巡査様、と言った所ですか?」
【まぁ、そんなトコロだろうな。……ケイサツはキゾクとつるむのが、スきだし。ナカでも、キゾクガイのスミっこにイスわれるヤツは、スジガネイりだろうな】
ジェームズの呆れた持論を聞きながら。コーヒー片手に張り込みだなんて、それこそ刑事モノのモノクロームフィルムさながらだと、ラウールは皮肉混じりに肩を揺らしてしまう。そんな事を考えながら、ブライアンが住んでいるらしいアパルトマンを見つめていると……何やら、鈍い輝き纏った女が出てくる。
「……おや? あの人は確か……」
【もしかして、ミュレットか……?】
間違いない。控えめながらも、不思議な煌めきを宿すその瞳は、ご近所に住んでいる少年のそれと違わぬ輝き。ラウールもブランネルの片腕として、ヴランヴェルトの組織も彼女が支えていることは知ってもいるが。無論、認識するべきは彼女が宝石鑑定士アカデミアの副学園長兼任のやり手だという事ではない。
「……妙ですね。ミュレット先生がどうして、こんな所に……」
【そうイえば、ヴァンもシゴトをウけオっているって、イっていたが。それとカンケイがあるのか?】
まるで顔を隠すような、ヴェール付きのファシネーターでオシャレをしていても。同類の目には、すぐに存在は知れると言うもの。しかして、彼女はこちらには気づいていない様子。このまま、ミュレットを尾けるべきか、或いはブライアンの顔を拝むべきか……。
「……っと、もうこんな時間ですか……。そろそろ戻らないと、キャロルを心配させてしまう。仕方ありません。張り込みは仕切り直しということで」
【そうなるか。まぁ……ジェームズはサンポとゴーフルでマンゾクだけどな】
尾行や張り込みよりも、店を開ける方が優先事項。それでなくても、奥様からは「きちんと働いてくれないと、イヤですよ?」と、お小言を頂いている。どこかの誰かさんのように家から叩き出されるのはゴメンだと、ラウールはいそいそとジェームズを連れて店に戻るのだった。




