ガス燈の煌めきはブルー・ジョン次第(19)
(これは一体、どういうことなのだろう?)
ラウールの根回しの結果が手元に届けられて、モーリスは出勤早々に頭を抱えている。鑑識結果も状況的に意味不明なら、任された調べごとも暗礁に乗り上げている。不可解な状況に……警察官の中でも、非常に誠実なモーリスが悩むのも無理はない。そんな悩める警部補殿の懸念事項は、大きく分けて2つ。
モーリスの懸念事項、1つ目。アリシー・アルキアの仕事用の別邸で発見された血痕はアリシーの物に間違いはないが、落下距離は約1.8メートル程だろうと記載されており、天井の高さにも一致せず、かと言って本人の身長からしてもまずまず、この高さから血液を落とすのは難しい。
アリシーの身長は約158センチ。例え彼女が頭の天辺から流血していたとしても、数値が一致しない。更に、殺人現場とされている居間の天井の高さは3.5メートル。普通の住宅よりも天井が高めなのは、豪奢なシャンデリアがかかっていたせいだろう。
(この状況からするに……)
アリシーの死因が絞殺だったのは当初の検証結果に合致はするものの、現状で取調べ中の被疑者はシロということになりそうだ。なぜなら……。
「……被疑者のオペラ関係者、女性なんだよなぁ……」
アリシーよりはやや長身とは言え、彼女を締め上げて浮かせるのは難しいと判断していいだろう。もちろん、モーリスも彼女が犯人ではないと薄々感づいてはいたものの。またオペラ関連の事件で、誤認逮捕をしでかしたとあれば、世間様になんと説明すればいいのか……今から頭が痛い。
何せ、モーリスは弟に負けず劣らず、顔が非常にいい。しかも、幸か不幸か警部補の職位に就いており、それなりに責任も負わされている。記者会見にしても、謝罪会見にしても……見目が良く、程よく役職持ちのモーリスは矢面に立たせるのは、都合がいいと警察組織内では判断されるらしい。マリオン誤認逮捕の時も、ロンバルディア中央銀行での状況説明も。……なぜか、モーリスが記者のお相手をする羽目になっていた。
「まぁ、そればかりは仕方ないか……。彼女がシロなのが分かったのだから、よしとしよう。……罪もない相手を裁かなくて済むんだから、それでいいじゃないか」
……しかも、モーリスは弟とは違い、非常に優しい。自分が苦労しても、周りが穏やかでいられるのなら、嫌われ役になるのも厭わない。その諦めにも近い処世術は、中間管理職の労苦である以前に……幼い時から、弟が壊した空気を補修するために磨いてきたスキルだったりする。
「鑑識結果はこれでいいとして。問題はこっちか……」
モーリスの懸念事項、2つ目。ラウールから身辺調査を頼まれていた、ブライアン巡査が何故か急に辞職していたこと。正直なところ、警察官を自ら辞めるなんて、それこそ馬鹿げている。
ロンバルディア警察がとってもご立派な集団なのは、市井の皆様もよく知るところではあるが。この隠れ軍事国家には、別枠でロンバルディア騎士団という、由緒正しい軍隊組織があるのも周知の通り。そして……警察官になるのは非常に難しくても、騎士団員になるのは意外と簡単だったりする。ただし、中に入ってからの処遇は正反対と言っていいだろう。
ロンバルディア警察は政治家や貴族との結びつきも強く、彼らへの便宜を図りやすい立場から、いい思いをできる可能性も高い。そのため、ひとたび警察官になれたなら、大抵の者は努力の仕方を忘れるなんて言われてしまうくらいだ。しかし、警察官になるためのハードルは非常に高く、公務員でもある以上、バカロレア修了程度を見込んだ国家試験に、体力テストも行われる。そうして、晴れて警察官任命と相なるのだが……実の所、優秀だったはずの彼らの堕落っぷりを鑑みるに、警察官として頑張るというよりは、警察官になるために頑張ると言った方が正しいのかも知れない。
一方で、ロンバルディア騎士団は政治家や貴族というよりは、王家との結びつきが強い。そもそも、軍部の上層部メンバーのほとんどがノアルローゼ出身の大貴族である。そのため、彼ら相手に賄賂や癒着はほぼほぼ通用しないと言っていいし、幸か不幸か、主力を担うミドルネーム持ちのノアルローゼ一派はやや堅物で、融通が利かない者が多い。おそらく……彼ら相手に袖の下を提供した時点で、叱咤と同時にお家没落の憂き目もおまけでサービスしてくれるだろう。
そして、騎士団員の鍛錬は容赦がないし、刷り込まれる騎士道精神の気高さも半端ではない。入団は簡単かも知れないが、騎士団員として一端の戦士になるには相当な努力と精神修行を要する。……故に、新入団員の実に3分の2が入団から1年と保たずに辞めていく。
(だから、分からないんだよなぁ……。警察官は死んでも辞めたくないって人が多いし……)
自身も一応は試験をパスしたモーリスも、警察官になるのがいかに大変かはよく知ってもいるし、薄給気味ではあっても、まずまず処遇は恵まれている事も自覚している。それなのに……どうしてブライアン巡査は「警察官である旨味」を自ら手放したのかが、分からない。それでなくても、彼は例の誤認逮捕でお手柄を挙げたばかりのはずだ。
(これは、何か裏があるな。ラウールには検証結果も含めて、知らせておくか……)
今日は帰りがてら、弟のアンティークショップに寄り道することを決めつつ。ラウールさん家の娘もどきの存在も思い出し、お土産も買って行こうと考えるモーリス。自身に子供がいないせいか……なんとなくだが、イノセントの存在がモーリスにはちょっぴり羨ましい。




