ガス燈の煌めきはブルー・ジョン次第(12)
ブライアンとの邂逅で、心身ともに疲れ切った体を引き摺って。仕方なしに、事件現場へ足を向けるアンソニー。もちろん、このまま堂々と自宅に帰ってもいいのだが。しかし、今の彼にはどうしても準備しなければならないことがあるため、武器を仕入れに行こうと……自身の別邸に成り下がったアリシーの仕事用の邸宅へこっそりと足を踏み入れる。
「……フン。これだから、ロンバルディア警察は本当に役に立たない……。スコルティア警官なら、こんなに腐敗もしていないだろうに」
忌々しげに鼻を鳴らしながら、屋敷最奥の書斎にズカズカと入り込む。そうしてアンソニーは手慣れた様子で、壁の本棚からアリシーが歌姫・クリスティーヌ役を演じていた『オペラ座の怪人』の台本を取り出すが……無論、今はそれを読み漁るために取り出したのではない。
「ここをこうして、っと……」
台本が収まっていたスペースの奥には、細い隙間が3本、何かを受け入れるように刻まれていた。その隙間に手にある台本の表紙・裏表紙と、妙な具合で折られているページのそれぞれとを差し込むと、本棚の裏側からガチャリと何かが反応した音がする。そうして、カラカラと小気味良いリズムで横にずれた本棚の奥からは、アンソニーの背丈半分ほどの、扉が姿を表した。
「やれやれ。また、地下に潜ることになるなんてな。……本当に、アリシーもいい趣味をしている」
憎まれ口を叩きながら、注意深く扉の奥へ身を潜らせて。アンソニーは忘れずに扉を閉めると同時に、地下へ続く階段横のレバーを引いては地上の本棚を元に戻す。そうして、ポケットからオイルライターを探り出しては火を灯し、暗鬱とした空間へと歩みを進める。
手元の頼りない灯りが照らし出すのは、湿った空気と一緒に封印されていたはずの地下牢の列。今でこそ囚人らしい囚人はいないが。最後の囚人はつい最近まで、この場所に閉じ込められていたらしい。それもこれも……。
「彼女が宝石人形だったから……か」
アンソニーがその存在を知ったのは、白薔薇貴族が主催している「ビジネス」の一端に触れていたからに過ぎない。しかし、彼は宝石人形を知ってはいても、どんな存在なのかを知ろうとはしなかった。そして、彼女達がどのようにに生み出され、彼女達がどんな死に際を迎えるのかも……当然ながら、知る由もない。
「確か、この独房だったな」
ナンバー5の独房。ここにはかつて、アリシーが趣味で買い求めたという、宝石人形が繋がれていたらしい。アリシーにはポーラという肉親はいても、その生涯で伴侶を持つことはなかった。そして、その原因は……ここに繋がれていた蛍石ナンバー86、個体名・クリスティーヌに固執していたから、という特殊な事情によるものだった。
アリシーは“ファントム”が歌っているのを聞いたことがないと、嘯いては笑い飛ばしていたが。おそらく、それは別の意味で嘘ではなかったのだろう。ガス燈に煌めきを与える、ブルー・ジョン、通称名・ファントム。しかして、その正体はクリスティーヌの核石の煌めきであり、彼女の恨みをたっぷりと残した遺恨の輝きに他ならない。そして、クリスティーヌはアリシーには「天使の声」の啓示を与えるのを、最後の最後まで拒んだ。
アンソニーにはそれこそ、哀れな宝石人形の死に際を知る術はなかったが。……アリシーは愛の捌け口に彼女を利用しては、鬱憤晴らしをしつつ、一方で姪っ子のポーラを我が子のように溺愛していた。そう、アリシーが未婚のまま生涯を閉じたのは、彼女が実は同性愛者だったからである。アリシーは愛玩用の宝石人形を買い求め、愛の行方を一方的に強要することで……鬱屈とした衝動を鎮めるのに利用していたのだ。
「……しかし、アリシーは本当に趣味が悪いな……。こんな物で遊んでいたなんて」
アンソニーがこんな物と吐き捨てたのは「センク・ローの紐」という、ちょっとした小道具だ。投げ縄の要領で相手を拘束するためのもので、途中にフックがついており、相手を拘束ついでに宙吊りにもできるようになっている。そんな縄をアリシーは宝石人形相手に使っては、首を締め上げて楽しんでいたのだが……。
「……まさか、これで自分も殺されるなんて、思ってもいなかっただろうな」
クツクツと不気味な独り言を呟いては、低く笑うアンソニー。そうして、次に会った時には邪魔者にも目にモノを見せてやると……更なる孤独な嘲笑を独房に響かせていた。
【作者の言い訳】
作中にある「センク・ローの紐」は『オペラ座の怪人』に登場する、やや独特な武器が元ネタなのです。
原作では「パンジャブの紐」と言いまして、一瞬で相手の首を絞め上げる事ができるとされておりますです。
で、投げ縄が得意なファントムの攻撃を防ぐために、ラウル(クリスティーヌの恋人)が手を目の高さに保つシーンがあったりします。
しかし、その「パンジャブ」なのですが。……ハイ。困ったことに、これまた固有名詞(インドの地名)なもので、ママで引用するわけにはいかず。仕方なしにパンジャブの語源である「5つの水」をフランス語に置き換える事にしました。
小道具としてどうしても登場させたかったので、やや強引な形で引用しましたが……。
いつもながらに、作者の連想がメチャクチャでごめんなさい。




