ガス燈の煌めきはブルー・ジョン次第(5)
「ジェームズ、何か分かるかい?」
【キュゥン、ワフっ(スコし、マってろ)】
飼い主は知れっとモーリスになりすまして。1人と1匹がやって来たのは、ミリュヴィラに聳えるオペラ歌手の「仕事用の邸宅」。アリシーはポーラの母親の妹になるそうで、享年は36歳。いわゆる働き盛りの大物歌手の訃報に、連日献花に訪れるファンが後を絶たないらしい。そのせいか、玄関は大量の白い花で埋め尽くされており、その中に混ざっているリブロンの強い香りは殊の外、鼻を突く。
【ハゥン……】
「どうした、ジェームズ。何か見つけたのかな?」
【ワフワフ、ハフフン(ここから、テツっぽいニオイがする。これは……チのニオイだ)】
目立ちたがりの花の芳香にも負けず、優秀なシークハウンドの鋭い嗅覚が確かな痕跡を探り出す。そうして、健気に合図をする愛犬の小声に耳を傾けては、マジマジと彼が示す部分を見やるモーリス……いや、モーリス仕様のラウール。絨毯のゴブラン織の鮮やかな色彩に紛れて、気付かれなかったようだが。確かに、彼が示した場所にはややくすんだ赤黒い斑点が数カ所落ちていた。
「すみませーん! 鑑識、呼んでくれませんか?」
「ハッ、モーリス警部補。何か見つけられたのでありますか?」
「えぇ。少し、確認をした方がいいものを見つけました。……血痕のようです」
「な、なんと! 分かりました! すぐに鑑識課に連絡してみます!」
一応の一斉家宅捜査ということもあり、居合わせた若い警官がキビキビと返事をしてみせる。ミリュヴィラの中央署に勤めているのだから、彼も「お高級な」警察官には違いないだろうが。モーリス効果もあり、意外と素直に応じてもらえるのだから、事の運びもスムーズだ。
「しかし、この血痕……妙ですね」
【ワフ?】
思いの外、素直な警官が鑑識係を呼んでくれている間に、改めて足元を見やるラウール。
織物の模様でやや判別しづらくなっているものの、ジェームズが探り出した手がかりはいわゆる「滴下血痕」。綺麗な円形をほぼほぼ保っていることから、垂直に近い角度で落とされたものに違いないが……問題は、突起と2次小滴の激しさだ。
「こいつは相当の高さから落とされた痕だとは思いますが……ここまで突起が荒れていて、かつ飛び散った痕があるとすると、1メートル以上の落差があったと考えていいかと。しかし……」
【……ハゥ、ウゥン(テンジョウにケイセキはないな)】
垂直で落とされたであろう血痕が残っている真上を見上げようとも。マホガニーブラウンの天井にはそれらしい形跡は見当たらない。
そもそもアリシーの死因が自殺であれば、ここまで大事にはなっていないだろうし、ラウール達が立っている場所が自殺現場の真下だったのなら、現状は不自然なまでに綺麗すぎる。
……あまり、深く考えたくもない話だが。一般的に首吊り自殺は弛緩と同時に、体液やら排泄物やらが無遠慮に垂れ流される。まして、落下先が豪奢な毛織物の類とあれば、匂いもシミも相当に残るはずだ。
「お待たせしました、モーリス警部補。鑑識課に連絡をしておきましたので、可能な限り早めに来てくれるそうです。それで……」
「あぁ、そうだね。えっと……ここにこうして、パネルを置いて……と。悪いのだけど、この血痕の持ち主が分かったら教えてくれるよう、担当者に伝えてもらえないかな。僕達は最後にアリシーさんがお亡くなりになった場所を、もう一度確認してくるよ」
「ハッ! 承知しました!」
アリシーが亡くなったとされるのは、2階の居間だということだったが。その部屋が手がかりの真上だった場合は、血痕の主はアリシーだと考えて間違いなさそうだ。しかし、やはり妙な疑問が残ると、階段を登りながらラウールは器用に首を傾げる。
(天井にはそれらしい痕跡はありませんでした。であれば、雨漏りした可能性もない事になりますが……)
だとすると、やはり落下地点は先程の玄関先ということになるか?
そんな事をグルグルと考えながら、犯行現場にやってくるが。どうやら、先客がいたらしいと肩を竦めてしまう。現在のこの屋敷は現在警察の管理下に置かれているため、丸ごと「現場保存」されている状態だったはずだ。なので、本来であれば簡易的なパネルやフラッグを目印にするだけで事足りるはずなのだが……。
「こんな所にチョーク・フェアリーがいるなんてね。これだから、玄人さんばかりのロンバルディア警察はよろしくない」
【……ハゥ(そうイってやるなよ)】
チョーク・フェアリーとは、正式なお作法ではないはずのチョークで大胆に犯行現場の痕跡を残してしまう悪戯っ子のことであり……知識不足の調査員を示す暗喩である。特に今回のように屋敷まるごとが管理下に置かれている場合は、ほぼほぼここまでの後書きは必要ないので、無駄な気配りが行き届き過ぎている。
そんな妖精さんの残した、自己主張の激しい純白のチョーク・アウトラインに口の端を歪ませつつ。きっと、刑事モノのモノクロームフィルムに憧れた調査員でもいたのだろうと、嘆息するラウール。……勝手にアウトラインを引くのは、現場保存の観点からしても、あまり褒められたものではない。




