ガス燈の煌めきはブルー・ジョン次第(2)
やはり、ロンバルディア警察は頼りにならない。アンソニーはミリュヴィラの一等地に建つ、妻の実家でもある屋敷に帰っては、疲れたようにドカリと自室のソファに腰を下ろす。そのソファも、本来であれば彼が気安く座れるような代物ではない。座面の生地は牛革最高峰とされる、マーキオン産のヘアカーフ。本体は森林伐採と密輸の観点から今や取引も制限されている、滑らかな木目のローズウッド。そんな最上級の暮らしを手に入れたというのに……易々と泥棒如きに壊されてなるものかと、アンソニーは苦虫を噛み潰した顔をしては唸っていた。
生まれは貧しいスコルティアの労働者階級だった彼が、こうして華やかな生活を手に入れられたのは、ひょんな巡り合わせに過ぎない。
彼がまだまだ幼かった頃。仕事帰りの父親が馬車に撥ねられ、帰らぬ人となったのだ。アンソニー少年の母は流行り病で既になく、その瞬間に天涯孤独かつ、食い扶持すら持たない浮浪児になりかけたのだが……。そんな彼に手を差し伸べたのは、彼から父親を奪った馬車の持ち主でもあった、スコルティアを代表する老作曲家・アンドルー・ウェバー・グレイソンだった。
非常に運がいいことに、アンソニーには音楽の才があったらしい。アンドルーの養子として引き取られてからというもの、アンソニーはピアニストとしての才能と、作曲家としての才能とを開花させていく。養父のオペラ楽曲の編曲技能を余すことなく受け継ぎ、彼が亡くなってからも、その代理と言わんばかりにロンバルディアで華々しくキャリアを積み重ねていったが……。
(そうだ……あの宝石が私を魅了して止まないんだ。あの美しく、奇妙なまでに深いブルー……)
儚げなサファイア、その名をサラスヴァティと言ったか。栄えある白薔薇貴族のオーダーで仮面舞踏会用の楽曲を提供した際に、こっそりとお披露目された青の輝きは、何かを埋めるような贅沢の矛先を探していたアンソニーの心を一瞬にして縛り上げた。そしてそれ以来、彼は何かに取り憑かれたように「同じ趣を持つ宝石」を探し求めるようになる。……その宝石の輝きが、本当はどんな物かも知らずに……。
そんな折、同業者が所有する「同じ趣を持つ宝石」に遭遇したアンソニーは、どうしてもその宝石が欲しくて欲しくて、仕事も手に付かない状況に陥る。夜になると蛍のように儚く輝き、果ては「天使の声」で啜り泣くと噂される宝石・ブルー・ジョン、またの名を“ファントム”。それはあくまで迷信だと、元の持ち主も笑い飛ばしては、啜り泣きなんて聞いた事もないと一蹴していたものの。アンソニーはこのテの宝石の輝きが迷信ではないことを、よく知っていた。何せ、あのサラスヴァティも……それはそれは美しい声で、啜り泣いて見せたのだから。
(あの声をもう一度……是非に聞きたいものだな。だけど……)
しかし、“ファントム”が美しい声をアンソニーに聴かせてくれることはない。折角、元の持ち主であったオペラ歌手・アリシー・アルキアから強引に受け継いだというのに。
「……あなた、戻ってらしたのですか?」
「あぁ、戻っていたさ。ところで……ポーラ、調子はどうなんだ? また、何か無くなったとか、言わないよな?」
「……」
何気なく体調を聞いたつもりでいたが、悲しげに顔を伏せるのを見る限り、彼女の病状は思わしくないらしい。しかし、アンソニーにしてみれば、却って好都合と含み笑い込みの鼻を鳴らす。そうして、メイドにポーラを寝室に戻すように告げては、今一度素敵なソファに背を預けるが。そうしても、尚……不安ばかりがのしかかってきそうで、嫌になりそうだ。
(宝石専門の怪盗紳士……か。全く、お誂え向きにも程があるだろう)
ギリリと歯を食いしばっては、ロンバルディア警察の情けない様子を思い出すアンソニー。「狙った獲物を取り逃がしたことのない厄介者」。それが警察官の口から出た“Phantom thief”、怪盗・グリードの評判であり、その言からするに、彼が仕事をし損じたことはなかったのだろう。そして、その先にある罪の輝きさえも暴かれそうで、アンソニーはいよいよ震えが止まらない。怪人は地下でひっそりと暮らしていれば良いものを。どうして、こうも華々しく出しゃばっては、目立つようなことをしでかすのか。彼らの思考回路にはついていけないと……アンソニーは仕方なしに、気付け薬代わりの香り高いワインを啜ることしかできなかった。




