ズバッとお仕置き!スペクトロライト(2)
(よし……と。今日は大切なお仕事で来たんだ。大丈夫……1人でもできるさ)
保護者から頼まれたお使いで、サムはロンバルディア中央街にあるブティックに来ていた。サムの目の前に堂々と佇む店、ブティック・アルミュールは、彼自身も結婚式用のよそ行きでお世話になった場所でもある。未だに高級感のある佇まいに尻込みしてしまうが、初めての場所でもないのだから大丈夫と、サムは自分に言い聞かせ。ヴァンのお手伝いをこなそうと、足を踏み出した。
「いらっしゃいませ〜」
「あの、すみません。……ミセス・ハイデルベッカー様はいらっしゃいますか? えぇと……僕、イザベル・パッフュメリの者ですけど……」
「あぁ! もちろん、店長からお伺いしてますよ。確か、新しい香水のサンプルをお持ちいただく予定だとか」
少年の着衣にそれなりの品位を嗅ぎ取ったのだろう。出迎えてくれた若い女性店員が話の通りもよろしいとばかりに、サムを快く迎え入れてくれる。
「まぁまぁ、お待ちしておりましたよ、サム君。それで……」
「は、はい。えぇと……ご注文は怪傑・クリムゾンをイメージした“悪戯の香り”……でしたよね。ここで、香りの説明をしても大丈夫でしょうか……」
「えぇ、是非にお願い。それにしても……ふふ。こんなに可愛い坊やに説明いただけるなんて。ヴァン様もハンサムでいいけど、サム君もなかなかにいいわね。おばちゃん、変に舞い上がっちゃいそうよ」
「は、はぁ……」
おばちゃんと自身が言う割には、ミセス・ハイデルベッカーの見た目は非常に若い。実年齢は確実に上だろうが……かつてサムの拠り所の全てだった母親よりも若々しく、その上、美しい。そんな彼女のフレッシュな反応に及び腰になりつつも、母親のことは思い出すまいと……サムは勢い任せに、お客様へ商品の説明をし始める。
「香水の名前は“méfait cramoisi”、“真紅の悪戯”です。トップには軽やかなバニラとアンバーの香りを利かせて、甘い恋の演出を意識したそうです。それで、ミドルはイランイランとクローブでちょっぴりエキゾチックな雰囲気を出しつつ……ラストはオールドローズとダマスクローズの2種類の薔薇を配合することで、華やかかつ大胆な印象を残す香りを目指しました。一旦、サンプルをお渡ししますので、お気に召したら、改めてご連絡ください……とのことです」
「まぁまぁ、そうなの? それにしても……サム君、今の説明を全部覚えたの?」
「は、はい……。ヴァン兄……あっ、じゃなくて……店主のお手伝いをする以上は、きちんと勉強しないといけませんし……」
「うんうん、偉いわ。それじゃ早速、検討させてもらいましょう。ふふ……説明を聞いただけで、ワクワクしちゃう。これを纏うだけで、クリムゾンに変身できそうね?」
「そう言ってもらえると、店主も喜ぶと思います。えぇと……それでは、お返事お待ちしております」
サンプルの瓶をカウンターに置いては、丁寧にペコリと一礼をする少年。彼の終始礼儀正しい様子にミセス・ハイデルベッカーも店員も、好印象を抱いては、きちんと店の外までお見送りまでしてくれる。そんな手厚いホスピタリティに、サムの方はくすぐったい気分になると同時に……どこか、寂しさも募らせていた。
(ママ、どうしているかな……)
自分を売り飛ばした母親を気にしてやる必要はないのかもしれないが。それでも、やはり心配になるのは親子の情かもしれない。
あの後、サムは「運び込まれた工場」で何かの身体検査を受けた後、「A品」と断定されたらしい。その時のサムには「A品」の意味はわからなかったが、ヴァンに聞いたところによると「A品」とは生まれつきカケラになるための適性を持つ希少な素体を示す暗喩なのだそうだ。そうして、幸か不幸か生まれついての「A品」だったサムは連れられてから間髪入れずに、心臓にあるものを埋め込まれている。
(……スペクトロライト、だったっけ。ラウール兄さんの話によると、ラブラドライトって言う宝石の一種だって聞いたけど……)
スペクトロライトはラブラドライトの中でも、特定の鉱脈からしか産出されない特殊な虹彩を放つ希少宝石である。地黒なのにも関わらず、不思議な虹色を放っては、見る者を惹きつけて止まない魔力がある。
そして……ただ買い取られた少年に核石の素が埋め込まれた理由は、他でもない。、サムを迎えに来た淑女が求める核石を量産するためだ。だから……あのままヴァンが拾い上げてくれなかった場合、彼の自我はジワジワと飼い殺され、ただ命を収穫されるだけの末路を迎えていただろう。
(僕はきっと、運が良かったんだ。それもこれも……)
サムにほんの少しの幸運が舞い降りたのは、一時「パパ呼ばわり」を許してくれた怪盗紳士・グリードこと、あの気難しい店主と彼の相棒がヴァンと知り合うきっかけをくれたからに過ぎない。その正体と素性を明かされた時には驚いたと同時に、落胆もしたけれど。今となっては、ありもしなかった夢から醒めるきっかけにもなったのだから、それはそれで良かったのだと、サムは大人びた判断で割り切る。
しかし……頭で割り切ってはいても、まだまだサムはホームシックが抜けない年頃でもあるらしい。中央街の大通りを歩いていたはずの足は、仕事帰りの癖に従うように、いつの間にかローサン街に舞い戻っていた。
(どうして、僕……こっちに来ちゃったのかな。えぇと……)
かつての住処の道は知り尽くしている。だから、表側に出るのだって容易い。そのはずなのに……心に閊える何かが苦しくて。サムは少し様子を見るくらいならいいかと……辛い記憶しかないはずのあの家へ、自然と足を向けていた。




