密林に咲くヒヤシンス石(29)
「……それで? 来週から、私達はお留守番なのか?」
「えぇ。ヴィクトワール様にもお世話係の派遣をお願いしてありますし、しばらくこちらで待っていてください」
4泊5日のキャンプも無事乗り越えて、久しぶりの我が家での食卓の席でそんな事を言われたらば。常々、体のいい退屈凌ぎを探しているイノセントとしては、ラウールの提案は不服以上の何物でもない。そうして、当然のように自分も連れて行けと駄々をこね始めるが……。
【イノセント、コンカイはラウールとキャロルにユズってやれ。シンコンリョコウにワりコむのはブスイにもホドがある】
「でもぉ! ジェームズはそれでいいのか? 美味しいものがたくさん食べられるかも知れないんだぞ⁉︎」
【……ウマいモノはこちらでもタべられる。それに……】
「それに?」
【イノセントはスコし、クウキをヨむコトをオボえたホウがいい。サイキン、ラウールにワガママいいスぎ。……アイテのフタンもカンがえろ】
「……」
ピシャリと賢いドーベルマンにそこまで言われて、イノセントも仕方なしに押し黙るが。渋々と言った表情を隠さないのを見る限り、納得はしていない様子。悔し紛れにソーセージをガブリと齧っては、尚も頬を膨らませている。
「ごめんなさいね、イノセント。お土産はしっかり買ってきますから、それで許してください」
「だったら……お菓子と、ケーキと、クッキーと……えぇと、それから……」
「ケーキもクッキーもお菓子でしょうに……。それで? そこにチョコレートも追加すればいいですか?」
「うむ。……それで手を打ってやる」
【あ、あの、ラウール】
「もちろん、ジェームズにもお土産は買ってきますよ。……とは言え、ヒースフォートにはそちら方面の名産はないですから。ローストビーフとか、ブロックハムとか……ありきたりなお土産になりそうですけど」
【……イわれれば、そうだな。ヒースフォート、リョウリはイマひとつだとよくキく。スコルティアとマズさをアラソっているだなんて、ワラえないジョークもあるしな】
妙な上から目線でイノセントが交渉にとりあえずの返事をしてくるが、グルメに関してはジェームズも言う通り、ミリュヴィラの方が余程充実しているのにな、と一方のラウールは考えてしまう。
ヒースフォートが観光地として有名なのは、立派な城があるからであって、料理が美味いという評判は一切ない。それなりに豪華な食事を提供している場所もあるにはあるが……どちらかと言うとパフォーマンス路線に走っている傾向があり、肝心のお味は今ひとつなこともしばしば。故に、グルメに関してはこちら側の方が恵まれているのが本当のところである。それでも、ソーニャのように雰囲気に酔えればいいという観光客が後を絶たないのだから、ヒースフォート城の存在感は偉大だとするべきか。
「あぁ、そうそう。留守番中はヴィオラのお世話もお願いしますよ。……責任もってお世話、できますね?」
「言われなくても、分かっている。……ヴィオラの世話は任せろ」
ヒースフォートに出かけたところで、思うような旨味がないとようよう判断したのだろう。大切なお友達の世話も任せろと娘もどきが胸を張ったところで、これならば大丈夫だろうかとラウールとキャロルとで顔を見合わせる。小さなお子様(中身は超高齢)のお留守番がちょっぴり不安だけれども。お利口な番犬と、意外と頼りになるご近所さんにもよくよく言い含めておけばきっと問題ないはず。そうして、不安混じりの胸を撫で下ろしつつ食後のコーヒーを口に含めば。何だかんだで、さりげなく側に寄り添ってくれる馴染んだ味と香りに、熱望した新婚旅行は素敵なものになるだろうなと……ラウールは胸を躍らせずにいられないのだった。
***
(……ボクは、誰……? ここは……?)
何かの弾みで、狭い狭い自分の世界から出られたらしい。割れたガラスを物ともせず、足を踏み出す少年は次第に明確になっていく意識の中でさえ、自分が誰なのかを思い出せずにいた。暗い洞窟の中にあっても彼がその場の状況を具に確認できるのは、瞳が特別仕様だからだ。黄金色に輝く視線を隅々に凝らしながらも、状況を把握できずにいると……腹が何かを急かすようにキュルルと鳴り出す。そうして、自分はどうやら生きているらしいことも実感すると、まずは食事が先かと足を踏み出すが……餌らしい餌は、何もない。あるのは焼き尽くされた後らしい、肉の香ばしい匂いだけ。その残り香が却って、幼い少年の空腹と本能とを刺激しては、早く行けとその足に歩みを促す。
(お腹空いた……お肉……食べたい……)
そこにあるのは深層意識に確かに眠る、有り余る食欲。彼にかの来訪者の記憶は何1つ、受け継がれていない。とにかく、生き延びるために本能のまま洞窟の外に出ては、当てどなく深い森を彷徨う。そして……。
「フォンブルトン様のお話では、化け物はいなくなったらしいな」
「あぁ、なんでも……ライヤが命懸けで仕留めたらしい」
「フゥン。馬鹿なことをしたもんだ。でも……お陰で、俺達の仕事がし易くなるな」
辿り着いた月夜の妖精の絨毯を踏み荒らすのは、2人のならず者。その話からするに、彼らはあまりよろしくない仕事で青い花畑にやってきた様子。何やら、手にしたスコップで足元をザクリと掘り返すと、美しい妖精の絨毯を無慈悲に切り裂いていく。
「ヒュ〜ッ! こいつぁ、凄い! これだけ青が濃けりゃ、きっと高く売れるぜ? 何せ……」
「あぁ。スコルティアでは掘り返すのも、輸出するのも禁止の天然物だからな。スコルテッシュ・ブルーベルだけで、俺達は大金持ちだ!」
【……おマエタチ……何、してる?】
「えっ……?」
妖精の絨毯は端切れでも高く売れる。まして、諸事情により原生林に取り残されていた上質な青は、その青を渇望するマニアを満足させる織物となるだろう。だからこそ、化け物という抑止力がいなくなったという有力情報に舞い上がっては、フォンブルトン様のかつての腰巾着2名はこっそりと盗掘に精を出していたのだが……。
「……嘘……だろ?」
「い、いや……まさか。生き残りがいたのか……?」
【生き残り……? そんなの、知らない。だけど……ボク、お腹空いてる。……お前達、美味しそう】
「う、うわぁぁぁぁ!」
「こっちに来るな、化け物ッ!」
彼が眠っていたのは、ドロドロした来訪者の胆汁で満たされた試験槽。彼自身も自分が何なのかは、知らないし、教えられてもいない。分かっているのは腹が減っている事と、目の前の人間が空腹を満たしてくれる事くらい。
そう……ライヤもラウールも気づかなかったのだ。濁った黄金の試験槽に、既に新しい生命が宿っていたことを。そして……彼はライヤが温めたレナクの試験槽の熱に引っ張られる形で、冬眠から目覚めてしまった。
(……お腹……一杯……。ボク、これからどうすれば……いいんだろう?)
抵抗さえ許さないまま、一方的に喰らい尽くした相手の亡骸を見つめながら、ぼんやりと妖精の絨毯に足を踏み出す少年。
あぁ、月が綺麗。なんだか、見上げているだけで心も体も舞い上がれそう。
そうして、腹に溜めたエネルギーを器用に変換して……醜いカエルの姿ではなく、紺碧の絨毯に相応しい薄羽を生やした爬虫類の姿へと変化を遂げては、漠然としながらも生きる意味を少しだけ見出す。
……そうだ、これからもここで待っていればいいんだ。餌も、幸せも、自分の存在意義も。誰かが見つけてくれるまで……月の下で、待っていればいい。ずっとずっと……この綺麗な青い絨毯の上で。
化け物の子孫は今も生きていて、みんなを食べるために待っている。妖精の絨毯に誘われて、青のステージでうまく踊れればいいけれど。無様なステップでは、きっと彼を満足させられない。だって……彼は人喰いの子。生まれも育ちも、別世界。最初から……みんなとうまく踊ろうだなんて、「共存」の意識はないのだから。
【おまけ・ジルコンについて】
地球上で最も古い宝石であり、ダイヤモンドに負けず劣らず「ファイア(虹色の輝き)」を示す、なかなかにブリリアントな宝石であります。
モース硬度はおよそ、7.5。青やオレンジ、イエローに赤など、幅広い多色性を持つ鉱石ではありますが……。
幸か不幸か、有名すぎる宝石と同じ輝きを持つことから、そちらの代用品として扱われてきた不名誉な歴史があったりする、妙に可哀想な宝石でもあります。
で、その宝石ですが……勿体ぶらずとも、ダイヤモンドですね。
ジルコンはダイヤモンド以外にもいわゆる「ダイヤモンド光沢(透明な鉱石で発生する、屈折率の高い光沢)」を持つ宝石としても知られ、輝きはダイヤモンドを上回ることがあるにもかかわらず、ダイヤモンドの代用品、あるいは廉価版とされてしまうこともあったりするとか。
産出量もダイヤモンドより安定しているので、お安いのかも知れませんが……。
とは言え、その歴史の長さはなんと44億年。
ジルコンは人間なんぞがドヤ顔で「ダイヤモンドの代用品」等と、決めつけてはいけない地球の大先輩でもあるのです。
【参考作品】
『ソニー・ビーン事件(作品ではありませんが、有名な事件ではないかと)』
『X-ファイル シーズン1(スクィーズ、続・スクィーズ)』
この世で一番恐ろしいのは、やっぱり人間(変異種含む)なのだと思いますです。




