銀河のラピスラズリ(9)
「……さて、と。それで、今回のターゲットを狙うには、おそらく水銀に気をつけないといけない事になりそうなのですが……厄介な事に、水銀というのは蒸気吸入すれば忽ちに神経がやられる、強力な毒みたいです。しかも、悪い事に……水銀中毒を防ぐには、マスクを被る程度しかないそうでして。ヴェーラ先生によると一応、治療法もあるそうですが、それもデトックスを促す程度という事で……かなり心許ないものでした」
「そうなんだ……。しかし、それこそリーシャ真教の信者さん達は平気なんだろうか? もし、そんな環境で日常的に修行をしていたら、当然……」
「えぇ、修行している方は遅かれ早かれ、死に至るでしょうね。ただ……この場合の問題はそれだけではないと思いますけど」
「どういう事だ?」
「だって……そんなものが充満している空間があるとすれば、周りへの影響が心配になりませんか? そもそも、水銀の生産だって防毒マスク必須の危ない作業なんですよ。そんな危なっかしい鉱物をきちんと扱わないばかりか、剰え修行に用いている時点で……教団の信仰自体が危険だと言わざるを得ません」
信仰自体が危険……ラウールの言葉に、どこかルトの信念さえも否定された気分になるモーリス。ラウールの言っていることはきっと、間違いなく正しい。……それでも、それに生涯を懸けている者がいる以上、易々と理念を否定するべきではないと思う。
「……ラウールは相変わらず、何かにつけ自分が正しいと思っているんだな……」
「兄さん、突然どうしました? ……何をそんなに怒っているのです?」
「いや、だってさ。その修行に明け暮れて、今まで生活してきた人も確かにいるんだよ。それを、ちょっと知り得た知識で全否定するのは……あまり良くないんじゃないかな」
「おやおや……相変わらず、兄さんはお人好しなんですね……。まぁ、俺だって信者さん達の信念までを否定するつもりはありませんが……その修行とやらで、今まで何人が命を落としてきたのやら。“信じる者は救われる”……なーんて、よく言われますけど。信じる相手が間違っていた場合の責任は、誰が取るのでしょう? 大抵、教祖というのは自分が正しい、自分を信じれば救われる……そんな触れ込みで信者のシンパシーを煽るものですが、その教祖が本当に正しいかを証明する手立てが、どれだけあるのでしょうね? ……もちろん、リーシャ真教の創始者が完全に間違っていたとまで、言うつもりもありません。きっと、彼女は自分が本当は何者なのか、知らなかっただけなのでしょう。だから、自分が達成できた修行を同じ様に信者にも課したのでしょうが……それを乗り越えるのに必要なのが信仰ではなく、適性だった事にまでは気付けなかったんでしょうねぇ」
いつもの嫌味な口調を取り戻しながらも、顔を顰めつつ……しっかり食後のコーヒーに何かを追加しているラウール。普段は香りが損なわれるなんて言いながら、ブラックにこだわる彼が大っぴらにミルクと砂糖を入れているのを見るに……余程スープの刺激が堪えたらしい。そんな弟の様子を見つめながら、情けなくラウールに八つ当たりをしてしまったことを後悔するモーリス。自分の中で俄かに火照った憤りの原因についても、相談しなければならないが……まずは彼の舌がクールダウンするのを、少し待ったほうが良さそうだ。




