密林に咲くヒヤシンス石(21)
注意深く、それでいて淑やかに。ラウールと別行動を取っていたキャロルではあったが、いよいよライヤがそれらしい洞窟へと進んでいくのを見届けては、このまま単独で進むべきかどうかを悩んでいた。ラウール程ではないが、キャロルの瞳もそれなりに夜目は利く。しかし……。
(私1人では、できることが限られる……)
鞭は持っているが、生憎と肝心の麻酔銃は持っていない。それに、キャロルには拘束銃は与えられてもいなかった。
拘束銃・ジェムトフィアは非常にクセがある上に、数も限られる貴重品である。歴戦の狩人でもあるソーニャの腕前でもまだまだ不適格とのことで、彼女でさえ、拘束銃の携帯は許されていない。そして、現在のホワイトムッシュの秘密結社で所持を許されているのは金緑石ナンバー3・グリードと長月石ナンバー37・サナ、そして……月長石ナンバー4・ニュアジュこと、ヴランヴェルトアカデミアの副学園長のみである。
(それに、私1人では自分を武器として振るうこともできないし……)
う〜ん、どうしようかしら。しばらく進む、進まないを悩んだ末……このままではターゲットを見失う以上に、最終的に自身の好奇心に根負けしては、単独で踏み込むことにしたキャロル。確かに武器らしい武器は確かに持たされていないが、今の彼女大胆不敵で怖いもの知らずの怪傑・クリムゾン。最悪の場合でも、自慢の灼熱を吹き出して……肌に触れる相手を拒絶することくらいはできるだろう。
(よし……と。大丈夫。ライヤさんを追いかけることに集中しなければ)
何かの覚悟と一緒にブーツを脱ぎ捨て、ワンピースの裾を切り裂いて。足裏でやや湿った悪路さえも掌握し、低い姿勢から自慢の俊足で駆け抜けるキャロル。そんな彼女の追跡を持ってすれば、ターゲットに追いつくことだけは難なくできはするだろう。しかし、キャロルの目に飛び込んできたのは……確かに前情報と一致する内容でありながら、違和感を感じずにはいられない光景だった。
(ライヤさんは洞窟にある研究設備で生まれたと、言っていましたっけ……)
だけど、研究対象の磅礴の彗星は研究者達と一緒に、忽然と姿を消したと彼は言っていた気がするし、何より……取り残されたのは、理性も残されていない怪物だったと聞いていたが。しかし、洞窟に残された研究設備は未だに稼働しているようにも見える。理性もないような怪物に、どこか苦しげに稼働音を響かせるタンクやら、制御装置やらを動かし続けられるものなのだろうか?
(これはなんだろう……? えぇと……)
ライヤが奥に進んだのを見届けては、整然と並ぶ試験槽の趣に寒気を感じるキャロル。それは決して、ひんやりと不気味な洞窟の空気感がもたらす寒さではない。試験槽をドロドロと満たす黄色の不気味な何かに、キャロルは震えていた。
「おや……? まさか、あなた1人だけなのですかい? インスペクターの旦那はどうなさった?」
「ライヤ、さん……」
「てっきり、先に到着しているものと思っていたのですけど。もしかして、俺を尾けていたのですか? そのご様子だと」
足音を抑えるために、裸足を泥まみれにしたキャロルの姿に言及しながら、ライヤの瞳が黄金色に輝き始める。その様子に、彼こそがこの研究設備の主人だという事に気づくキャロル。なぜなら、この輝きは……。
「ライヤさんが……今は磅礴の彗星さんご自身だったということで、合っていますか……?」
「どうして、そう思ったのかな?」
「……男性のカケラは近しい鉱物を取り込むことで、来訪者に近づくことができるのだと聞いてはいました。だけど、ライヤさん達が必要なのは、鉱物ではなく肝臓なのですよね?」
ゆらりと姿を現し、こちらを見つめてくるライヤに不気味なものを感じるキャロル。そんな彼に、ラウールが感じたと言っていた「違和感」をぶつけてみれば。これまた、非常に淡白なお答えが返ってくる。
「確かに、私達も普通の食事はしますし、お肉もお魚もいただきますよ? ですけど……人間を食べることだけは、しないのです」
「そうなんだ? それまた、どうして? こんなにもありふれていて、狩りがしやすい相手もいないだろうに」
「……狩りがしやすい、難しいの問題ではありません。私の場合は純粋に気持ち悪いのもありますけど……私達カケラが人間を食べるようなことをすると熱暴走を起こして、やがて……」
人の血肉を喰らったカケラが迎える末路は超新星発動という、新しい仲間を増やすための自爆である。そして、その引き金はカケラ達だけではなく、来訪者でもあるイノセントにもしっかりと存在している。しかし……キャロルはすぐさま例外にも思い至っては、ほぅとため息を吐く。おそらく、彼は例の不気味なハーレキンに近しい存在なのだろう……と。
来訪者でもない、カケラでもない。来訪者を取り込んだ変異種。きっと……目の前で黄色味帯びた肌を顕し始めたライヤは、元々は来訪者でさえなかった別の生き物っだったのだろう。
「……ところで、君の名前をきちんと聞いていなかった気がするな。キャロルと呼ばれていたけど……本当の名前、聞いてもいい?」
「どうして、そんな事を聞かれるのですか?」
「使っている繁殖体の寿命が近づいていてね。そろそろ、彼女を挿げ替えないといけないもんだから。……子供を作っておかなければ、冬眠中の非常食にも困ってしまうし……。だから、俺の糧を生み出してくれる伴侶の正式名称くらいは知っておいた方がいいと思って」
だから、君の名前を教えてよ。おたまじゃくしだなんて、変な名前で呼ばれたくないだろう?
不気味な笑顔でライヤがそんな事を嘯くが……その笑顔以上に、彼がアッサリと白状した計画そのものが悍ましい。
「Malheureusement……お生憎様、ですね。私はこれでも、既婚者ですよ? それに、カケラの女性は子供を産むことはできません」
「あぁ、そう言えば……インスペクターの旦那とお揃いの指輪、してましたっけね。でも……そいつぁ、俺にしたらどっちも些細な事です。君が結婚しているかどうかも関係ないし、カケラの女性が子供を作れるようになる方法もあるっちゃ、ありますし」
その方法を教える必要もないけどね……等と一方的に言い放ちながら、カポっと大きな口を開けるライヤ。ジメジメした洞窟の主人に相応しく、いかにもな長い舌を顔全面に這わせて見せる。
「君は肝臓じゃなくて、心臓の方に石が詰まっていそうだね。その胸に埋まっているのは……瞳の色から、ルビー? それとも、ガーネットかな?」
「一応はルビー……かしら?」
「なんて、素敵な事だろうね。こんな所で、宝石の女王に出会えるなんて。であれば……耐久性もバッチリじゃないか!」
「左様ですか? ふふ……でしたら、やれるものならやってご覧なさい。……その舌が、私の熱に耐えられるといいのですけど」
「……うん? 随分と自信があるんだね。熱、だって?」
「えぇ。私の熱〜い肌に素手で触れられるのは、主人だけですの。……あぁ、そう言えば。そちら側の名前……まだ、名乗っていませんでしたね。申し遅れました。私は裏舞台ではクリムゾンと、呼ばれておりますわ。まだまだ駆け出しですけれど……これでも、大泥棒・グリードの相棒でもございまして」
「グリード……? って、まさか、あの……?」
彼の顔に浮かんだ焦りはきっと、彼がタダの泥棒ではないことを知ってのものだろう。探し物はなんでも見つけ出すとまで言われる、漆黒の大泥棒。その対象は何も、宝石だけではない。後ろ暗い事情も、闇深い悪行も。狙われたら最後、秘密も身ぐるみも。全てを剥がす勢いで、存在そのものを丸裸にするのが彼の最大の特徴であり、悪ふざけの手段であった。




