銀河のラピスラズリ(8)
「……どうしたのです、兄さん。……そんなに悲壮な顔をして……」
「あぁ、ラウール……お帰り。……会えて、とっても嬉しいよ……」
(何があったんだろう……今日の兄さん、ちょっと気持ちが悪いんですけど……)
調べ物の結果も上々と、家に帰ってみれば。何故か捨て猫よろしくソーニャにバスタオルで頭を包まれつつ、髪の毛をクシャクシャにされているモーリスの姿が目に入る。僅かにバターの香りが残っているのを感じるに……どうやら夕食は済ませた様子だが、萎れたモーリスのご機嫌とはまるで反比例するかの様に、既にネグリジェ姿のソーニャがご機嫌なのがこの上なく不安だ。
「……一体、兄さんに何をしたのです、ソーニャ……」
「別に何もしていませんよ? ただ、私を元気付けるにはどうすればいいのかと仰るものですから……フフフ、背中を流してくださいとお願いしまして。先ほど一緒にお湯をいただきました」
「……あぁ、そういう事ですか。全く……兄さんは非常に奥手なのですから、そちら方面はお手柔らかにお願いしますよ。……チェリーボーイを必要以上にいじめないであげて下さい」
モーリスの異常な赤面はどうやら、色々な意味で上せてしまった結果らしい。そんな兄の様子に仕方なしに、手近にあったコップに水を注ぐとモーリスに手渡すラウール。
「あぁ、ありがとう……。本当に……本当にラウールがいてくれて良かったよ……」
「何を、この程度の事で涙目になっているのです。……それはそうと、ソーニャ。俺の分も夕食の準備、お願いできますか? ……兄さんの毛繕いはその程度で十分でしょうから」
「かしこまりました。……因みに今夜のスープは特別仕様にしてみたのです。ウフッフフフ……子猫ちゃんの舌にはとっても刺激的だと思いますよ?」
「……」
しっかりラウールもまとめて子猫扱いしつつ、更に不穏な空気を纏いながらキッチンへ戻っていくソーニャ。そんな彼女の意地悪を予想しながらも、その事は後回しと言わんばかりにモーリスに向き直る。
「そう言えば……今日はちょっとした調べ物をしに、ヴェーラ先生のところに行っていました」
「ヴェーラ先生……。えぇと……あぁ、そう言うことか。確か……ムッシュの薬草ドロップを作っている……」
「えぇ、そうです。今日はそんな腕利きの調剤師さんに水銀について知恵を借りれないかと思いまして、お邪魔していたのです」
「……水銀……?」
モーリスが不思議そうな顔をしているのをさも面白そうに、いつもの悪戯っぽい笑顔を見せると、得意げに1冊の本を掲げるラウール。そんな彼の手にある本には『拒絶の水と神の奇跡』という……モーリスにとっても聞き覚えのあるキーワードが、確かに刻まれている。
「……この本にある“拒絶の水”の正体です。本の内容自体は、例のリーシャ真教・創始者の伝記を神の奇跡に見立てて記しただけの、つまらないものでしたが。ただ……幸いな事に、“拒絶の水”については殊の外、詳しく記載されていましてね。何でも、例の御神体……“銀河のラピスラズリ”は創始者が“拒絶の水”を取り込んで、姿を変じた奇跡の宝石なのだとか。しかし……その水は不浄の者が触れれば忽ち、その肌を焦がし、神経を侵すとも書いてありました。そして、その拒絶される者とされない者の違いは、信仰の度合いの違いだと、この本では結んでいまして。……ですが、その差は信仰心の有無ではなく、おそらく……」
「あぁ、そういう事か……。きっと、その創始者も……何かしらのカケラを宿していたという事か」
「ご名答。多分……俺達と同類だと見て、差し支えないでしょう」
そこまで話し込んだところで、ソーニャが殊の外真っ赤な色をしたスープを意気揚々と運んでくる。目の前に置かれた、刺激的な色合いのスープは……一緒に出されたバターロールの癒しの抱擁さえ、あっという間に上書きするかの様に、情熱的な湯気を上らせていた。そんな風に、気圧されるくらいに熱のこもったアプローチを仕掛けてくるスープと格闘し始めるラウール。どうやら、お話の続きはスープをやっつけてからになりそうだ。




