密林に咲くヒヤシンス石(16)
(ここがラウールさんの言っていたお花畑でしょうか……?)
何事もないまま、探索を続けること十数分。道なき道を順路もなく進んでいたはずなのに、何かに誘われるようにキャロルはとうとう、真っ青な絨毯の上に躍り出ていた。頼りない月明かりの下でも輝いて見える妖精の絨毯は、仄かに風に揺られて爽やかな甘い香りを放っている。
(やっぱり、どこかから見られている……?)
神秘的な情景に感動するのも、そこそこに。キャロルは無邪気に花を愛でるフリをしながら、警戒心を募らせる。熱視線が浴び慣れている旦那様のものであるのなら、ちょっと寒気を感じる程度で済むのだが。……おそらく、この不穏な空気はいくらなんでも、ラウールの不機嫌によるものではないだろう。
(もう少しで……ご対面、と言ったところかしら?)
そうして、予断なくキャロル(とラウール)が神経を尖らせていると……別の場所から予想外の悲鳴が聞こえてくるのだから、緊迫感も台無しである。
「う、うわぁぁぁッ⁉︎」
「キャッ⁉︎ い、今の声は一体……?」
「キャロル!」
「ラウールさん! えっと、今の悲鳴は……?」
「おそらく、彼女達はママを確保するよりも先に、食料調達を優先したのでしょう。とにかく、声のした方に行きますよ!」
「は、はいっ!」
ラウール達側の囮作戦はどうやら、どこかの誰かさんのせいで失敗したらしい。それでも、キャロルの代わりに囮役を買って出たお馬鹿さんがいるとなれば、彼を助けるついでに化け物の足を引っ張るのも一興だ。ただ……。
(さっきの声……何となく聞き覚えがあるのに、嫌な予感がするのですけど……)
どうして例の領主様がこんな時間に、こんな場所にいるのかが分からないが。ご領主様というのは縄張り意識も強いのかもしれないと、木立の合間を走りながらも器用に嘆息するラウール。貴族様の自己顕示欲は常々、面倒で迷惑だと……非常事態にも関わらず、考え込んでしまうのだった。
***
「お前達ッ! ぼっ、僕を誰だと、思っていりゅ……! 僕、こそは……」
「あぁ! フォンブルトン様、とにかく黙ってて! オルセコ領主だろうが、貴族だろうが、こいつらには関係ないと思いますぜ。……多分、丸々と太った子豚にでも見えているんじゃないですか?」
「うっ、うるさいぞ、ライヤ! とにかく、こいつらを何とかしろ!」
「軽く言ってくれますよね、全く……」
普通であれば異形の化け物に囲まれれば、軽口を叩く余裕さえないだろうに。尻餅をついて一歩も動けなさそうなフォンブルトン様の一方で、背後に彼を庇いながらライヤと呼ばれた用心棒が慣れた手つきで化け物達の足を縊り落としていく。しかし、薄っぺらい威厳が長時間保つはずもなく。鼻先をかすめて飛び散る鮮血の匂いに、虚勢さえも保てない貴族の坊っちゃまはいよいよ震え始めた。しかも……。
「う、うわぁぁぁ! ぼっ、僕に触るなぁぁぁぁ! あ、あっちに行け!」
「フォンブルトン様! ちょっとまずい状況ですか? これ。……まさか、再生機能まで獲得しているなんて、思いもしませんでしたし……」
「い、痛っ! ひ、ヒィぃぃぃッ! 血! 血が出てる! い、嫌だッ! 僕は、僕は……ッ! ぼ、ぼ、ぼ……びょく……は……」
「お気を確かに、フォンブルトン様〜。あっ、気絶してます? もしもーし? う〜ん……困ったなぁ……」
片足をちょっと齧られただけで気絶だなんて、軟弱にも程がある。仕方なしに、不意打ちでフォンブルトン様に齧り付いたお行儀の悪い僕ちゃんの首を、鎖鎌であっさり落としてみるが。ライヤとしては彼らがここまでの頭数と性質とを増量していると思いもしなかったのだ。
(子供達もここまで進化しているとなると……レナクの奴。とうとう、変態したか……?)
……尚、一応弁明させていただくが。彼が思い浮かべた「変態」とは生物の形態変化の方である。断じて、倒錯した性的嗜好の方ではない。
(ヒィ、フゥ……ミィ……うん、数は5人か。だけど……あぁ、あぁ。まだ尻尾が残っている子までいるじゃないか。……今期の食糧確保、難航しているんだろうな……)
片手に鎖部分を長めに持ち、ヒュンヒュンと警告音を響かせてみるが。きっと、彼らは腹ペコなのだろう。ライヤの配慮も無視して、獰猛に唸り声を上げて涎をたらし始めた。一方で……発育が遅れている子供がいる時点で、彼らの狩りがうまく行っていないことにも思い至っては、やるせない気分になるライヤ。……やはり、これ以上は野放しにする訳にはいかないと、姪っ子や甥っ子達に向き直る。
「……この中で、リーダーは誰かな? 良ければ、パパと話がしたいんだけど。もし良ければ、お家に案内してもらえない?」
「……パパ、肝臓が欲しい。パパ、もっと、強くなるために、肝臓、必要。私達もお腹、空いてる」
「いや、そうじゃなくて……」
まぁ、丸々と太ったご馳走を前にして、これ以上の「待て」は厳しいか。そんな事をしているうちに、ご主人様目掛けてちびっ子化け物がこちらに突進してくるので、迎え討つべしとライヤも身構えるが……。
「ヒャゥッ⁉︎」
「……ッ⁉︎ この閃光、まさか……!」
「大丈夫ですか⁉︎ って、はぁぁぁぁぁ……やっぱり、悲鳴の主はこの方でしたか……」
「ラウールさん、この人は?」
「フォンブルトン・ドレクァルツ様と仰るそうですよ。……ご本人様曰く、オルセコの次期当主様なのだそうで」
表向きは絶対絶命のピンチに駆けつけたのは、関係者が恐れて止まない噂の武器を手にした尾行相手。そうして、助けられた格好になったライヤは右手に握られた特殊武器の存在に、彼らのご用件を鮮やかに理解する。
(……拘束銃の所持を認められているとなると、彼らはまさか……)
こうも手際良くお役目を横取りされては、出るものは取り越し苦労のため息ばかりかな。しかも、か弱いレディだと思っていた白ワンピースの彼女も、相当に腕が立つハンターらしい。衣装の下に隠し持っていた鞭を鮮やかに操り、お連れ様の光弾で痺れた子供達を纏めて縛り上げている。
「さて……と。ところで、あなたは? 昨日、フォンブルトン様にくっついていた方ではなさそうですが」
「申し遅れました。えっと、俺はライヤと申しまして。一応、フォンブルトン様の用心棒としてお供してましたけど」
「フゥン? 左様ですか? でしたら……伸びているご主人様を連れて、サッサとお帰りください。この先は俺達の仕事ですし……あぁ、そうそう。彼らのことはくれぐれも、内緒に願いますよ」
「内緒にできればいいんですけどねぇ。そうは行かないんですよ、こっちも。……噂には聞いていましたが。本当にいるんだ、インスペクターって人種。やっぱり、本物のジェムトフィアの迫力は違うなぁ。……これ以上近づくと、俺も危ないのかな?」
「なるほど? こいつを怖がるとなると……あなたも同類でしたか」
「そうみたいだね?」と、投げやりな様子で掌をラウールに向けては、「降参」のポーズを取るライヤ。一方でラウールはこんな所にノーマークの同類がいるなんて思いもしていなかったため、相手のご用件を探ろうと紫色の瞳を細めていた。




