密林に咲くヒヤシンス石(15)
「……と、言うことで。ジェームズにヴァン様。留守を頼みますよ」
【ウム、ショウチした。……キをツけてな】
「ま、お2人さんなら、大丈夫だと思うけど。……とにかく、無事に帰ってきてくれよ?」
事情をよくよく言い含めて、頼りになる保護者1名と1匹にお留守番をお願いすれば。こちらは心配なかろうと、新婚さん2名があまり楽しくない共同作業へと出かけていく。そうして、外に飛び出して空を見上げれば……綺麗に割れた半月が、少しばかり不安そうに夜空を照らしていた。
「……それにしても、夜は本当に涼しいですよね。なんだか、ちょっと不気味です」
「まぁ、オルセコは高原地帯でもありますからね。ヴランヴェルトやミリュヴィラとは、風の抜け方も違うのでしょう」
全体的になだらかでありながら、メベラス山脈の裾野という事もあり、オルセコの平均気温は市街地のそれよりも低い傾向がある。そのため冬の寒さはやや厳しめだが、夏も総じて涼しい事もあり、オルセコは昔から避暑地としての人気が高い地区でもあった。
「それはさておき……キャロル。準備はいいですか?」
「はい、もちろんです。……森に入った瞬間から、狙われていると思った方がいいのですよね?」
「……そういう事です。イノセントによれば、どこかしらのタイミングから視線を感じていたそうでして。ジェームズの鼻でさえ気づけなかったようですが、この森は彼女のホームグランドなのでしょうから。……彼女の匂いは森と同化してもいるのでしょう」
そうして、わざわざ目立つ白いワンピースを着たキャロルを先に森の中へ送り出すと、しばらくしてから彼女の歩みを窺いながら尾行するラウール。彼女の衣装は勿論、彼女達に見つけてもらうためでもあるが……ラウールが見失わないようにするためでもあった。いくら彼の瞳が暗闇の中でも十二分に機能するとは言え、遮蔽物の多い森の中では追跡しきれない可能性もゼロではない。とは言え……。
(まぁ……キャロルには特注の閃光弾もありますし。最悪の場合は、光ってお知らせしてくれるはずです)
意外と好奇心が旺盛なキャロルの軽やかな足取りを用心深く追いながら、ラウールはやっぱり彼女には頭が上がらない気分にさせられる。彼女の変質も自分の手による影響とは言え、その身を臨機応変に光源にも武器にもできる特性は頼もしい限りである。……ただ、彼女の瞳が赤い時は必要以上にサディスティックになる部分があるため、向こう側の大泥棒もなかなかにスリリングな体験をさせられていたりする。
(……まだ、お出ましになりませんか? ふぅむ……それとも……)
先方は意外と用心深いのかも知れないと、足音を殺してキャロルの白い姿を注視し続けるが。この調子だと、意外と長丁場になりそうだと……ラウールは真っ暗でありながら、どこか静謐な森の中でひたすら息を潜めていた。
***
「ラウールとやらは、こんな夜に、こんな場所で……何をするつもりなのだろう?」
「さぁ……。しかし、ここはミットフィードの中でも魔境とかって呼ばれてますけど……。大丈夫ですかね?」
コソコソとラウール達の後をつけて、ヒソヒソと話し合うのは……打倒・ラウールを目指す、フォンブルトン様と彼が普段から頼りにしている用心棒の2人組。ラウールが仲良く手を繋いでいた女性の方だけを先に歩かせつつ、森の中に入って行ったのを見届けて……はて奇怪なと、2人揃って首を傾げる。
尚、用心棒が口にした「魔境」と呼ばれる一帯の森は、昔から遭難者が後を絶たない樹海として、知る人ぞ知る場所である。未だに手付かずで残っていることもあり、貴重な資源があるのではと予測される一方で……事故や遭難が多いことから、呪われた地として領主一家が認識している場所でもあった。
しかし、そんな場所があるとなったら観光産業にケチが付くため、オルセコ領主は森の中に危険な場所があることを公表していない。その上で、非常に都合が良いことに……かのハーリティ伝説が有名すぎるあまり、何かあっても「正体不明の人攫い」のせいだと、ルーシャム側の事故として片付けては、ドレクァルツ家は難と責任とを逃れてきたのだった。
「で、その魔境だけど。入ったら最後、後戻りはできないって言われている場所だったっけ?」
「そうみたいですぜ。なんでも地質的に磁力が強いとかで、方位磁石も役に立たないとか」
「……そんな場所に、何の用があるんだろうか……?」
きっとその場にラウールがいたら、それこそ「何のご用ですか」とフォンブルトン様を逆に問い質しているに違いない。ラウール達の目的も大っぴらに公表できるものではないが、正直なところ……フォンブルトン様一族の内情も公表されたら、非常によろしくない。
「これは逆に、好都合と考えるべきだ。ここでラウールの弱みを握って、いう事を聞かせないと。僕の方が素晴らしいと、是非にイノセント様に見せつけてやるのだ」
「……いや、ある意味でフォンブルトン様はブレませんよね。少しは不意打ちとか、不正とかに頼らずに努力なさったらどうなんです。第一、ラウールさんに弱みがあると決まったわけじゃないでしょうに。……いい加減、誰彼構わず悪人と決めつけるの、やめた方がいいと思いますぜ?」
「う、うるさいぞ。とにかく……あんなにか弱い女性を1人で歩かせるのだから、ラウールは悪人に違いない! あいつの悪事を暴くついでに、ブランネル大公様にもしっかりとお話しして……それで……」
グヘヘヘヘ、と今度はいかにも高貴な笑いを漏らしながら。大手柄を挙げて褒め称えられる予定の自分に酔っては、勢いでフォンブルトン様がアッサリと「魔境」に足を踏み入れる。そんなご主人様のご様子に、やれやれと首を振りつつ。これもご当主様との腐れ縁と、用心棒はピリリと緊張感を保ちながら、彼の後に続くのだった。




