密林に咲くヒヤシンス石(11)
昼間なのに、深い緑の影に囲まれた森林では、応戦も逃亡も思うようにいかない。それでも、頼もしい番犬の働きにより、子供達はまだ逃げ切ることを諦めないでいた。そうして、無我夢中で走っていると……意図せず、ぽっかりと開けた青い花畑に出てしまう。
「……これは、ブルーベルか?」
「ブルーベル? でも、ロゼッタ様。今は、お花の種類を気にしている場合じゃなくて……」
「ロゼッタ、サム。とにかく、お喋りは後だ。……ジェームズ、まだ行けるか⁉︎」
【ガフフッ(マカせろ)!】
隠れる場所もなければ、見晴らしは良くても、逃げる方向は分からない。それでも、ジェームズが視界が開けたのも好都合と、果敢に化け物の迎撃態勢に入る。そうして彼が化け物に向かって踊りかかった、次の瞬間。子供達の視界の端から、ロゼッタのサブマシンガンのものではない銃撃が割り込んでくる。
「全く! あれ程、遠くに行くなと、言っておいたでしょうに!」
「ラウール!」
「……あっ、僕もいますよ、イノセントちゃん。うんうん、とりあえず……みんな無事みたいだね?」
そいつは何よりだ、と朗らかな笑顔のヴァンが子供達を安心させようと、彼らに走り寄る。一方で、ラウールは勢いで対峙する事になった少女らしき相手を見定めようと、手元の拘束銃を予断なく構えていた。
(こいつの効果が薄いということは……性質量が低い相手だと考えるべきでしょうか。しかし……)
……悲しいかな。このテの異形が同類に近しいことは、ラウールも散々織り込み済みである。それに効果が薄いと言いつつ、しっかりと命中した時点で、それなりに拘束銃好みの相手ではあるようだ。
「……パパには肝臓が必要。私もお腹、空いた。それと、ママが欲しい。女の人、欲しい」
「ママが欲しい?」
「お前達、女の人じゃない。だから、食べる」
「左様ですか? あいにくと……俺達は餌にはなり得ないと思いますけどね」
意味不明でありながら、意味深長な譫言を呟く少女。しかし、食べられるのはご勘弁願いたいと、ラウールは威嚇の意味も込めて一応の有効打を再度構えた。すると……きっと傷は深くないにしても、警戒心を刺激される程度のダメージはあったのだろう。チリチリと脅し混じりの小さな警告音を銃口を認めると、彼女も特殊武器が相手では分が悪いと判断したようだ。その場で深く屈伸をしたかと思うと……驚異的な跳躍力を見せつけて、森の奥へと跳び去っていく。
「た、助かったぁ……。ヴっ……もう、探検はいらないよぅ……」
「こら、サム。女の子よりも先に男の子が泣くもんじゃない。ほらほら、もう大丈夫だから、泣かないの。ラウール君と僕がいるからには、怖い思いはさせないぞ」
「へぇ〜……それはそれは、素晴らしい限りですね。ですけど、俺は言いつけを守らない悪い子の面倒を見るつもりはありません」
「あっ! この、薄情者! ここは一緒に頑張るところだろう!」
「そーだ、そーだ! ラウールの薄情者!」
口先ではラウールを薄情者と気丈な事を言いつつ、「怖い話」の尾を引いているイノセントはサム以上に甘えたい気分の模様。ヴァンに抱きついているサムが羨ましいと、抱っこを要求してくる。
「それはそうと……私は疲れたぞ、ラウール。だから、ほれ。さっさと抱っこしてくれ」
「疲れているのは、俺も一緒なんですけどね……。まぁ、いいか。プリンセスも無事で何よりですよ。それと、ロゼッタ准将とジェームズはお疲れ様でしたね。様子からするに、2人で退路を確保していたのでしょう?」
微かに残る火薬の臭いと、ジェームズの口に咥えられたサバイバルナイフ。2つの戦闘の痕跡を指摘しながら、彼らをしっかりと褒めるものの。ラウールに労われ、素直にサバイバルナイフをジェームズから返却されても、ロゼッタの表情は晴れないままだ。
「我は……自分が情けなくて、仕方ないぞ……。相手が怪物とは言え、傷1つ負わせることすら叶わぬ。それなのに……ラウール准尉もジェームズ号も。しっかりとあやつに一撃を加えては、退散せしめたではないか。……我は、非常に悔しい。悔しすぎて……!」
【キュゥゥン、キューン(いや、アイテがワルかっただけだとオモうが)……】
この場で「向こう側の秘密」を知らないのはロゼッタだけである。だから、他のメンバーは彼女に不足があったのではなく、特殊な存在だったからという隠れた事情もよく分かっていた。しかし、彼らの内部事情を知っているのは騎士団の中でも、ごく限られた人員のみ。騎士団長と、側近のアンドレイ、そして……騎士団直轄の実働部隊である、ロイスの名を持つ者だけ。それ以外の人員に秘密が明かされる事は、この先もないだろう。
「……あの、ロゼッタ様。僕はロゼッタ様はとっても立派だと思う。だって、最後まで諦めなかったじゃないか。僕、ロゼッタ様は格好いいと思うし、強いと思うよ」
「グズっ……慰めは良い、サム隊員。我は今回、自身の不甲斐なさと鍛錬不足を痛感した。故に……」
しかし、ロゼッタはこの程度で凹む程に軟弱者ではなかった。しばらく悔しさで肩を揺らしていた……かと思えば、急に高笑いし始めては、誰も望んでいない宣言をし始める。
「ズビビ……ッ。ズビ、クククク……ファーハッハッハッハ! まさか……こんな所で、未知の化け物相手に訓練ができるとは思いもせなんだ! よし! こうなったら……ロンバルディア騎士団の威信に賭けて、我があの化け物を仕留めて見せようぞ!」
「……何だかんだで、平常運転で何よりですよ、ロゼッタ准将。とにかく、帰りましょう。それと、鼻水を垂らしながらおっしゃっても、不恰好なだけですからね。まずは、こちらでお顔を整えてください」
最後までブレないロゼッタに呆れつつ。イノセントを抱っこしたまま、器用にラウールがハンカチを差し出せば。無遠慮にも豪快に鼻をかんでは、ロゼッタが更に晴々とした表情を見せる。そんな彼女の一方で……ラウールは想定外の懸念事項が増えてしまったと、頭を悩ませ始めていた。
(ロゼッタ准将にあれの正体を気取られるのは、非常に不都合です……。ここは……)
相棒に相談して、先に仕留めてしまった方がいいだろうか。そうして、とにかく今は約束通りに早めに帰ろうと……世にも珍しい、真っ青な花畑を観察するのもそこそこに。ひとまず、その場を後にするラウールだった。




